プロローグ 出会いは突然、公共で

1/3
前へ
/231ページ
次へ

プロローグ 出会いは突然、公共で

 2017年7月18日、火曜日 8:34AM―  東京の電車は、人を人ではない物質に変え、定刻通りに輸送している。    もう慣れてしまったが、各駅で扉が開く度に人がホームに溢れ出しては、発車時に駅の係員が電車から溢れ出る人を押し込んで扉が閉まる。    こんなことが普通だと思えない位には、私は地方出身者だった。だから、それまではなるべく朝のラッシュの時間は電車に乗らないようにしていた。  学生時代というのは何とかなるもので・・友達の家を頼ってみたり、朝まで遊んでみたり、時に彼氏というものが出来てみたりと、満員電車に乗らずに朝の移動をする術が見つけられた。  そんな私も、ここ最近は2~3日に1回のペースで満員電車に乗る羽目になっている。 (苦し・・しまった、ポジション間違えた・・)  私の住む最寄り駅から、地下鉄に乗って六本木駅に向かう途中。それは起きた。 (痛っ・・)  急に、私の頭に何かが当たった。頭に衝撃を受けると目の前が一瞬白くなるというのは、本当なのだ。なんて、私は冷静になりつつも痛みで少し涙が出る。 「今押しただろ!」 「そっちだろ!」  私の頭上で、大の大人が・・サラリーマンらしき、スーツ姿の男性が2人で取っ組み合いを始めた。満員電車の中だというのに、だ。  その度、私の頭や、慣れないパンプスを履いた足に、そのどちらの男性の物とも分からない手や足が当たる。 (あーもう、ついてないなあ・・)  度々起こる車内トラブルというやつは、どの路線に乗っていても、どの時間帯でも起こる。  でも、今日のこの時間には遭いたくなかった。折角纏めた髪が乱れてしまう。六本木駅についてから訪問する会社までの間に、身だしなみを整えるだけの時間はあまりない。 (ああ、終わった・・)  私の頭の中に浮かんだのは、ただそれだけだった。この調子では、今日の面接は上手くいかない。行くはずもない。私は一体何社から、ご縁が無かったと告げられなければならないのだ。今日の面接にこぎつけるまでに、試験も受けて、エントリーシート(※選考応募書類)も提出したのに。  相変わらず頭上で争う男たちの怒号が響く。満員電車で全く隙間も無いと思われた車内なのに、人が引いて、周りに空間ができた。私は、2人と座席の間に挟まれてしまったせいで、なかなか場所を動けない。  不意に、誰かに手を引かれた。 「ちょっと、周りの人に迷惑なのが分からないんですか?!」  私の手を引いた人が、そう言った。今となっては、正確な言葉がこれだったのかは分からない。でも、確かにそんなことを言っていた。 「次の駅で、警察行きますよ」  その人はそう言って、2人の間に立っていた。きっとその人も、サラリーマンだ。スーツを着ていて、ネクタイを締めていて、20代半ばから後半位の男の人。手に持っている紙袋に書かれた社名で、勤め先が分かる。  『松味食品(まつみしょくひん)』  なんの会社だろ・・食品系だよね・・。  その人は、争っていた2人を連れて次の駅で降りた。背は、恐らく180㎝弱。髪は短くて、ワックスか何かで耳周りをスッキリさせている。顔はそこまでよく見えなかったけど、何となく素敵な人だな、と、それだけの印象が残った。何より、都会の車内トラブルでは大抵の人が見て見ぬフリをするのが当たり前だと思っていた。  だから、私は・・助けられたのも、助けている人を見たのも初めてだった。  実は、その日に起きた彼との出来事は、たったそれだけ。
/231ページ

最初のコメントを投稿しよう!

184人が本棚に入れています
本棚に追加