1. 発端

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1. 発端

 幼い頃、ミシェル、という女性が家にいたことを覚えている。彼女は私の父の妹……つまり、私にとって叔母に当たる人だった。  使用人はみな、彼女を避け、彼女を「吸血鬼」と呼んだ。狭い部屋を当てがわれ、息子……私にとって従兄にあたる青年と、肩を寄せ合って暮らす姿に、憐れみを覚えたこともある。  私の家系からは、時折、吸血鬼が産まれる。  太陽の光を苦手とし、人間の血液を養分とする伝承の怪物そのものが、何の変哲もない人間の腹から産まれてくるのだ。……「スカーレットの呪い」というジンクスとして、今も使用人たちの間で盛んに噂されているらしい。  ミシェルは美しい人だった。けれど、哀れな人だった。  吸血鬼として、怪物として扱われたからか、彼女はとうの昔に狂っていた。……誰もがそう思っていた。  もちろん私も、彼女を狂人として見ていたように思う。  父も母も、彼女に関して触れることは無かった。  先の大戦で祖父とともに軍功を立てた父ですらも、「吸血鬼」のことは余程恐ろしかったのだろうか。私がそのことに触れようとすると、決まって顔を真っ青にし、「黙れ!!!」と怒鳴りつけるのだった。  もう少し詳しく言うなれば、吸血鬼はミシェルとその息子だけではない。ミシェルには弟がいた。  祖父は相次いで生まれた「怪物」に恐れをなし、半ば捨て子のような扱いで養子縁組を募ったのだ。  我が血脈に連なるどんな名声も、隠さねばならぬのなら意味は無い。……けれど、私の叔父に当たるその人……ああ、吸血鬼ではあるが、人と言っておくか。……彼は、あっさりと他家に貰われていった。  戦時中であったことに意味があったかどうかは、私の知るところではない。  その「弟」は、ある日突然家に訪れたらしい。……伝聞体なのは、私本人はちょうどその時、通っていたパブリックスクールの寮にいたからだ。  ミシェルとその息子は、父の号令も待たず忽然と家から姿を消し、私も二度と会うことは無かった。  ほとんどミシェルの話になってしまったが……聞きたいのは私の過去の話、だったな。  だが、ミシェルの存在は、私という存在を語る上で必要不可欠なのだ。……私がミシェルをどう思っているか、という話ではなく……ミシェルと私を比べれば、自ずと私がどういう存在かが見えてくる。  不思議そうな顔をしているな。  ……なぜ私のことを語るのに、他者との比較が要るのか……。なるほど、一理ある。  ……比較せずとも、自分は自分……か。  それがそうとも限らない。なぜなら……  私には、もう分からないのだ。 「私」が、いったいどういう人物だったのか。  ……ミシェルは見るからに狂乱した、おかしな女だった。だがその実、驚くほど理知的でしっかりとした意志を持ち、情け深い女性だった。  私は、その逆だ。  ……この話をするのは、お前が初めてになる。  もし苦痛であれば、途中で止めても構わない。  だが……そうだな。最後まで聞いたのなら、教えて欲しいことがある。  私の行いが、「自然」だったのかどうか。  それを知りたい。
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