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斯かる不祥事について 第三話
若い店員は、ぶつかり合う陶器の器をガチャガチャといわせながら、逃げるようにそれを運んでいく。颯爽と階段を降りていく足音がその後で聴こえてきた。それにしても、あんなくだらない雑談を聴かされた後で、先ほどのような引き締まった会話をそのまま続けていくのは、いかにも難しく感じた。すっかり、こちらの部屋の雰囲気も壊されてしまったと思いながら、須賀日巡査は壁に設置された、幾つものモニターを再び見上げて、本当のところは、仕事に対する集中などしていないわけだが、その態勢だけでも、本来の業務へと戻したようなわけである。本当はこんな陰鬱な場所から、もう、とっととおさばらしたいし、駅前の安い立ち飲み屋で、何杯か飲んで勢いをつけてから、電車に飛び乗って、空いてる座席をみつけて眠りたいと思っていた。結局は、疲労困憊にある自分が、いったい、これからどうしたいのかもわからないような気分だった。視神経をまやかそうとする、モニター映像の醜い動きに対して、集中すればするほど、それは意識の麻痺を呼び、認識に対しては、まったくの無意味でもあり、何か一大事が起きて、自分がそれを真っ先に発見する確率を、かえって押し下げてしまうような気がした。例えば、自分がこの瞬間にトイレにでも行って、画面から目を離しているときにこそ、(我を地獄へと貶めるべく!)きっと、都内全土が慄くような大事件が出来するのだ。しかも、幸運の巡り合わせにより、都民に不幸をもたらしかねない大事件を、自分のファインプレーにより、未然に防いで見せたとて、多分、来年も同じ立場で、まったく同じ職務に就いているような気がしていた。この暗く狭い部屋で、朝から夕まで、モニターを呆然と眺めながら……。
ほんの些細なミスから、不祥事を起こしてしまい、元より細かった運気が、さらに下降していく未来は見えても、上級幹部へと導かれていく赤絨毯に飛び乗れる可能性は、現実的にいえば、天文学的なものだった。なぜなら、自分と同じ監視作業をしている周囲の先輩で、過去に上級管理へと出世をしたとか、今後出世をする兆しがある、などという噂話に恵まれた人と、一度たりとも出会ったことがないからだ。彼らと同じように、泥にまみれた道を延々と歩いていく自分にとっても、きっと同じような、侘しい老後への順路が示されているのだろう。
非常灯の緑色の灯りに照らされた室内は、四十五台もの巨大モニターを、何とか冷やしてやろうと、天井から巨大な冷房器具が吊るされており、すでに年月が経ち古くなってはいるが、相変わらず、その強風が奏でる無機質な音が、絶え間なく室内に響いていく。それだって、日中の間は集中を削ぐほどではなかった。眼前を流れていく映像に集中していれば、全く気付かないほどである。しかし、疲労の蓄積する夕刻には、次第に神経を逆なでする騒音に変わっていく。二人は少し離れた椅子に座り、四時間以上もの間、一度も下半身を椅子から動かさずに、たまに違反車についての簡単なメモを取りつつ、黙りこくって、ひたすらにモニターを見つめ続けた。須賀日巡査は西新宿一丁目の交差点を視界に捉えていた。何か理由があったわけでなく、おそらく、大店舗が立ち並び、駅の改札へと続いていくこの付近が、新宿界隈でも、もっとも人通りが激しいと思われたからだ。
夕方四時をまわり、夕暮れの大都会を映し出す映像の中には、個人の外見の判別など、到底できぬほどの人波が、その交差点を取り囲むように押し寄せていた。どんな局面においても、きちんと順番を守って信号を渡ろうとする、多くの真っ当な帰宅者を強引に押しのけて、乱暴なマナー違反者が、人垣から飛び出して来る。赤信号の道路をそのまま横切っていく。昼間の時間帯に比べれば、仕事終わりにより皆殺気立っている今の時間帯は、対人トラブルが遥かに起きやすい状況にはなっている。『後ろから肩を突き飛ばされた』程度であれば、当てられた側が激昂して、ふところから凶器でも取り出さない限りは、警察まで出動するような騒ぎにはならないはずだ。二人のいさかいを何とか止めようとする良心的な人だって、その周囲には必ず存在するはずだ。
都内に無数に在る交差点の中には、こういった不審な監視カメラが一つも設置されたことのない大道路の方が圧倒的に多いはずだ。単純にいえば、カメラの置かれていない場所で起きた、一般大衆同士でのいざこざは、よほど大掛かりな暴力事件にまで発展しない限りは、警察組織の視線の網の外側へと、かき消えていくわけだが、取るに足りない軽犯罪とはいえ、それこそ、常日頃、確実にこの街のどこかで起きているわけだ。別に都心の周辺にだけ、性悪な人間や質の悪いスリや痴漢が現れるわけではない。人口千五百人程度の町や村にだって、凶悪犯の一人や二人、探せばいるだろう。ただ、人口が千三百万人を超える、首都を名乗る、この広大な都市の全ての交差点、大店舗のロビー、パチンコ店のホール、無人の電話ボックス、あるいは、コンサート会場の受付口までを完全に監視することは、もはや不可能である。残念なことではあるが、他人には伺い知れぬ猟奇的な事情により、鋭利な刃物やマサカリを無抵抗の通行人の肉体めがけて、力任せに振り降ろすような、残酷極まる人間による犯行が、もし起こってしまった場合に、負傷者が出る前にそれを防ぎに行く手立ては、まったく存在しないに等しいのである。もっと言えば、多くの人が行き交う道路上で、数人の被害者が血まみれで倒れ込んでいるような、悲惨な事件が起きてしまってから、警察や救急車を呼んだとしても、そこから、きちんとした対処が出来るかどうかすらも、わからないのである。これまでも、日本のあらゆる場所において、自分とはまったく関わりのない人を、さしたる理由もなしに刺し殺したり、後方から殴りつけてから、金銭を奪って逃亡した凶悪犯も数多く現れたわけだが、大人しく警察に自首した人間よりも、血の海と化した現場から、体よく逃げ切ってやろうと試みた人間の方が遥かに多かったはずだ。すでに戦前の時分から、その猟奇性において、世間の衆目を集めながらも、結局は解決に至らなかったケースは非常に多い。容疑者が上手く捜査の網にかかり、捕えられたケースにおいても、新聞や週刊誌においては、その加害者の若い頃の素行の悪さが派手に喧伝されるばかりで、刑事事件の専門家や裁判官を納得させ得る物証はきわめて少なく、最高裁での結審後も、『本当にこの人があの事件を起こしたのか』と、冤罪すら匂わせる事件も多い。指紋鑑定や血液鑑定がまだ確立していなかった時代の捜査であれば、証拠を求めて、懸命に各地をひた走る、捜査員たちに対して、例え、事件解決に至らなくとも、その流した汗には一定の評価も出来ようが、都民の大多数を監視カメラで見張っておきながら、『今回の殺人事件の犯人は、半年が経過した今でも、国内か国外を逃亡中であり、完全に迷宮入りの様相です』というマスコミ発表に対して、テレビの前に座っている、どれほど多くの視聴者が納得してくれるのだろうか?
警察としては、せいぜい少数の法律違反者を捕えて、そのプライバシーの多くを、惜しげもなくマスコミ各社に引き渡し、その身内ともども、世間一般のさらし者にするくらいしかない。『こういう目に遭いたくないなら、悪いことはするなよ』犯人が例え未成年であったとしても、『法律違反自体を許さない性質』を有する人間たちによる、執拗な個人攻撃、あるいはインターネット上やビラ配布などを駆使した、刑法違反すれすれの晒し行為や嫌がらせ、犯罪自体を正義の旗のもとに懲らしめるという名目で、犯人宅に火をつけて、放火騒ぎまで起こす人間もいる。(私には、こういったエセの正義感こそ、真に猟奇的であると思わざるを得ないのだが)つまり、被疑者のプライバシーを故意に多くの市民の目の前に晒すことにより、普段は警察の活動には目もくれないはずの、鈍感なる一般市民たちにも、犯罪抑制の一翼を担ってもらおうとの警察関係者の思惑が少なからずあるわけだ。ただ、こんなやり方は決して先験的なものでなく、おそらく、江戸時代以前から脈々と存在するのであろうが……。『そのやり方で、凶悪犯罪は減っていくのか?』と厳しく問われたなら、『それは数値化できるものではなく、判断のしようがございません。真摯に努力を続ける所存でございます』とお偉いさんが会見で答える。しかし、努力を続けていくのは、上の幹部たちではなく、底辺で働く一般の捜査員たちであり、前科を持った人間と指名手配されている人間の顔写真を数百枚もコートの内ポケットに入れて、足が棒になるまで、都内各所の下街の飲食店や賭博場を駆け回り、しつこく聞き込みを続け、いつ的中するかもわからぬ、小さな希望の矢を放ち続けている。『自分が所持している写真の人間は、もうすでに全員死んでいるか、あるいは、とうに、この国を去っているのかも……』その考えが脳裏をよぎってしまったら、無理な労働と疲労のために、鉛のようになった両足は、すぐに機能しなくなってしまうだろう。このTokyoの人口は、一週間に二十万人ほども入れ替わる。例えば、十年前に人を殺したとされる加害者が、今もこの街のどこかにいると、どうすれば想像できるのだろうか?
この若い巡査とて、常日頃、そういった狂人が、自分のすぐ近くに存在するはずだ、と真剣に思うようにしている。それは、人間の狂気は視覚での区別がつかないからである。人の精神を判断するという行為は、理屈には寄らない感覚的な問題である。先日、真っ赤なスポーツカーが、四丁目の交差点を信号無視により、およそ120キロ以上のスピードで走り抜けていった。当時、横断歩道では、十人以上の歩行者が今にも向こう側へ渡ろうとしていた。車体は人と人との隙間をすり抜けて走り去り、幸いにも怪我人は出なかった。すぐに本署から二台の白バイが出動して、不審車の後を追ったわけだが、結局のところ、捕らえることは出来なかった。後で聞いたところでは、その速度違反のスポーツカーは、市ヶ谷駅前での交番勤務の警察官から職務質問を受けたらしく、それを無視する格好で突破してきて、この新宿界隈を猛スピードで通過したらしい。配属されてから、こういった不条理な事態は比較的よく目にするのだが、刑法からまんまと逃げ切ったマナー違反者の姿から、須賀日巡査は『犯罪者は一度は逃げ切っても、やがて、同じことを繰り返すだろう。自分から網にかかる時がくる。いつか過去の未解決事件も、無事に解決される日が来るのだ』と思うようになった。そのために自分の日々の積み重ねがあると考えている。過去に犯して素通りできた事件により、『おそらくは、今回も絶対に逃げ切れるだろう』とあっさり考えてしまうのが、犯罪者特有の心理だからである。この事件からの教訓を皮切りにして、突発的な連想を繰り返しながら、最近とくに印象に残っていた、次のような事例を思い出した。
「たしか、三月の始めごろでしたっけ……? 渋谷のスクランブル交差点歩道の脇で、二人組の東洋人のクスリ売りと暴力団関係者数名が些細なことから言い争いを始めて、暴行事件にまで発展したケースもあったじゃないですか……? 後で事情を聞いたところでは、麻薬売りの縄張り争いだったらしいですけど……」
「ああ、覚えてるよ。そういうのもあったよな……」
青木先輩は相変わらず、その視線を前方のモニターに固定したまま、表情はいっさい変えずに相槌だけを打ってくれた。ただ、その話題に対する彼の熱意は、ほとんど感じられなかった。『都心で仕事にあたっていれば、そのぐらいのことは日常茶飯事に起こるものだ』『クスリ売りとナンパと痴漢は、どの街角でも昼夜問わずに行われる光景だ』とでも言いたげだった。
「あのときは、隣の部屋のモニターに、その言い争いが起こる場面から、つかみ合いが起きるまでの一部始終が、ばっちり映っていたわけで、あの人混みの中での、凶器を使用した大乱闘に発展する前に、所轄の警官数名が現場に駆けつけて、双方から迅速に事情聴取を行うことで、大事に発展することなく無事に解決できたわけですよね?」
「ああ、まあ、結果だけを見れば、確かにそうかもな……。どちらかの人間が、怪我をしたわけでもないし、人混みで拳銃をぶっ放したわけでもないしな……」
「こう言っちゃなんですが、あの事例は、うちらの持っている犯罪抑制力を最大限に発揮できたケースの一つですよね? 大きなトラブルに発展する前に最新鋭の監視カメラでそれを察知して、機動隊が迅速に現場に急行する。そして、マスコミに気取られる前に双方の身柄を迅速に拘束して、署まで連行して事情聴取できたと。警察の出動を通行人の多くが目の当たりにしたことにより、ざわめきだしていた街の雰囲気は、たった数分で、まるで何事もなかったように落ち着きましたからね」
須賀日巡査は少し誇らしげにそう説明した。社会人であれば、どんな職業の人間であっても、自分の所属している組織の業務が、市民社会のために立派に役立っていることを肌で感じたいものなのだ。月末にばら撒かれる給料という安易な餌だけでは、厳しいノルマと教育の中で、長期間に渡り、モチベーションを維持していくことは難しいだろう。『自分の存在(知名度)を高めて、社会に広く知らしめたい』とは、決して、ベンチャーや財閥系企業のエリート社員の胸の内だけにある台詞ではない。口に出さなくとも、誰しも胸に秘めている台詞なのだ。
「その嬉しい気持ちはよくわかるけどな、この仕事は一つの事件の解決に対して、単純に一喜一憂できんのよ……。その渋谷で起きたトラブルもな、暴力を振るった側を捕まえてはみたものの、結局のところ、暴力団関係者なんかじゃなかったわけだ。相手方を脅して引かせるために、知っている暴力団の組織名を名乗ってみただけで、実際は、ただの元暴走族のチンピラでな。東洋人側の持っていたクスリにしても、ほとんどが合法ドラッグで、携帯していた中で、違法にあたる麻薬は、量の上では、ほんの少しだけだった……。あのくらいの量を所持している人間を悪人にするのだったら、近所の不良学生から、金を使いたくて仕方のない芸能人、あるいは、その筋の売人まで、あの界隈には無数にいるわけだしな……。いちいち、そいつらを捕まえては、クスリの出どころを問い詰めていってもな、所持している本人たちでさえ、糸がどこまで繋がっているのかは、ほとんど知らないわけで……、結局のところ、あの事件の顛末は……、パスポート期限切れによる、不法滞在の容疑で、外国人労働者数人が身柄確保されて、本国へと強制送還されただけだったんだよな……」
「あ……、結末はそんな感じになってたんですか……。もっと、大掛かりな組織に繋がっていく案件だと思ってました……。自分は最後まで情報を追っていなかったです……」
「君がさっき言った通り、凶悪事件を解決したことを世間に対して大々的に誇ってやりたいのは、警察幹部も一緒だよ。この組織の評価や信頼を何とか上げようと、がんばっているのは、なにも広報課だけじゃない。
『重大犯罪に関わった極悪人たちを、一網打尽にしてやりました。皆さん、どうです、ご覧になりましたか? 我々警視庁でなければ出来ないことですよ!』
頼りになる組織だという印象を広めていきたいのは、下々の警官も上層部もまったく同じなんだ。ただ、この世界の仕組みは特に複雑でな……。南米の蛇の巣穴のように右へ左へと入り組みながら奥へと続いている。裏社会の穴倉を良かれと思って掘り進めていくと、なぜか三か月前と同じところに出てきたり、警視総監のお知り合いであるはずの企業幹部や政治家さんの名刺が出てきちゃったり、最悪の場合、その洞窟の先が、自分たちの棲み処へと繋がっていたりもする。こうなると、もう笑っていられないわけでな。最下層の捜査員が上司の指令も空気も読まずに、ずんずんと一人で好きなように進んでいってしまうと、その事件のゴールが我が身の大変な不祥事に繋がっていることが露見しても、簡単には、捜査を打ち切れなくなるわけだな。全ての事件に対して、三人や四人でチームを組んで挑めるわけじゃないんだからさ……。弱みを握られた、五十人の口を後から塞いでいくとなると、いったい、どのくらいの金がかかるやら……。大事件になるほど、腐食が見つかった際に、捜査を途中で打ち切るわけにはいかなくなるわけだ。やたらと正義感の強い、買収できないタイプのマスコミ記者も、すぐ後ろから追いかけて来ているわけでね……」
先輩はそこまで解説をすると、少し喋りすぎたか、とでも言いたげに苦々しい表情をして、その後、しばらくは口を閉ざしてしまった。去年の夏、この監視室に配属された頃は、まだ若かった須賀日巡査には、青木先輩の長い説明の多くは、間が持たないために意味もなく行われているのだと感じられ、ほとんど理解できないものであった。彼にとって、警察官としての未来図というものは、とても明るくて、澄んでいるものに見えた。世の中というものは生産と需要と統制という非常に単純な仕組みで出来ていて、わざわざ暴力によって、それらを混乱させようとする輩がいるなんて、これっぽっちも考えてはいなかった。配属から、たった一年しか経っていないのに、自分の組織の内部にも、裏社会に繋がる不正や違反が当たり前のようにあることを思い知らされ、『警察官の成す行為とは、世の犯罪を取り締まるために許された唯一の正義』という完全に誤った認識には、すでに懐かしい匂いすらした。
左前方にある二つのモニター、つまり、新宿三丁目Aモニタと新宿三丁目A-2モニタは、この少し離れた位置から眺めていると、ぼやけてきた視界の中では、次第に同じ映像であるように思えてきた。あらゆる観点から冷静に考えてみると、それは、完全にあり得ないことであって、こちらの疲れ切った目が、実際には存在しえぬ虚像を創り出している、という回答が正当に近いと思われるわけだ。だが、万が一、本当にまったく同じものが映っているのであれば、すぐにでも、上役に報告しないといけない事態になる。そして、専門の業者を呼び寄せて、配線の全てをチェックしてもらわなければ……。何しろ、都心からの無数の映像回線を、迷路の如き配線を複雑に組み合わせて、作られたシステムである。その故障が重度の場合、この重要な監視業務において、どのくらいのタイムロスが発生するのだろう? たった、三日や四日で復旧できるような気はしない……。修繕工事が長期間に及んだ場合、自分がたまたま故障に気づいたことが、出世に値する手柄として取り上げられるはずはなく、かえって、幹部たちへの嫌な印象へと跳ね返り、経歴の傷にさえ、なるのかもしれない。
冷静に考えてみれば、どちらの選択肢に進んでも、手柄にもミスにもなり得ないことなのだが、やはり、どうしても気になるのだった。一度、何の言葉も発さないままに、ゆっくりと椅子から立ち上がってみた。自意識は普段の二割も生きていないだろう。罪を背負った多数のモニターが、誤った幻想を創り出しているに違いない。そのまま、なるべく音をたてずに、モニターの側まで歩み寄ってみた。横で他のモニターに気を取られている先輩の方は、こちらに視線を寄こそうともしないが、部屋を前方へと少しずつ歩んでいる自分の行動には、完全に気づいているだろう。彼はまだ何も言葉を発さない。モニターから五十センチほどの距離まで寄ってみて、二つの映像を怖々と見比べてみた。赤いリュックサック、黒の横線、白の横断歩道、白いトラック、黒いライトバン、パチンコ店の金ぴかの看板、道路工事の黄色いヘルメット……。やはり、どちらの画面にも似たようなものが映っているように見えるが……、意識が呆然としていて、確実なことは何もわからない。判断が曖昧にとどまる場合、結論はどう導き出すべきか。ファッション雑誌によく掲載されているような服装を着た、どこにでもいそうな人々の群れ、同じような派手な看板の消費者金融、同じような信号機、もちろん、同じような交差点。やはり、どちらも同じ映像だろうか? 自分の恐るべき判断が正しいのであれば、他にも同じ映像を映し出しているモニターがあるのかも……。不安が恐怖に変わる前に、一つひとつのモニターを明確に区別できるところまで、集中力を高めなくてはいけない。
ほとんど十分ほども、幾つかの映像を見比べていたわけだが、やがて、亡者にかけられていた呪いが、はっと、突然解かれたかのように画面から目を離した。そして、三度か四度、首を横に振って、彼は元の席に戻っていった。どんなに意識を乱されても、いつまでも錯乱しているわけではない。意識が鮮明になるにつれて、目の前で際限なく無数の光を放つ二つのモニターは、まったく違う映像であることがわかったらしい。『この街では、外観も動作も似たような人々が、それこそ似たような行動を取る』ことから、見分けが付きにくいというだけであった。そんな不快な現実を、人という不正確な生き物が瞬時に受け入れられるわけはない。つまり、須賀日巡査の社会を見る目は、すでに混濁しているのだ。ただ椅子に深く腰かけ、ふんぞり返って、気楽に映像を確認したり、少しの異常があれば注視するが、その後は、自分の行動がなるべく楽に済むような判断を探したりしている。不快や苦痛をいっさい伴わない、そういう作業だと思っていた。しかし、いつの間にか、気味が悪くなってきた。主観は彼の側ではなく、モニターの側なのかもしれないという、おぞましい考えも当然のように湧いてきたのだ。
『いいか、警察として生きていく気なら、目を逸らすなよ、ここに映る人間たちの多様な生きざまを満遍なく記憶に留めておけ』
そう命じられているのかもしれない。自然と手に汗を握っていた。動悸が高鳴っても、吐き気がしてきても、彼を取り囲んでいるモニターの全てから、視線を外すことは許されないのだ。集中しようとすればするほどに、弱い心は震えるはずである。その画面のどこかに、どれほど凄惨な事件を見つけたとしても、警視庁の幹部が必要としている何かを、単純な不注意によって見過ごしてしまっても、彼は処分されこそすれ、この業務からは永遠に逃げられないのである。支配者たちが悪意を持って作り上げたシステムが、いまや、我意を手に入れ、監視者の目を逆手にとって、自らの悪意を自在に行使することにより、社会を操る行動を始めたというわけだ。
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