斯かる不祥事について 第一話

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斯かる不祥事について 第一話

    自分のものとは到底いえない多くの眼を持って、私はこの社会全体をあまねく眺めていた。しかし、監視という名の、いつ途切れるとも知れぬ、長い拘束と労務の果てで、頑としていた意識は次第に保てなくなりつつある。見るとは、決して一方的な行為ではない。その単純な事実は、全てが終わりに近づいた今となって、ようやく、愚かな一兵卒であった私を、ひどく驚かせることになった。そう、無限とも思える多くの眼は、その鏡の中から、無数の汚れた街角から、駅前の大広場から、今や私の方を見つめているではないか。彼らの肉体こそ、よく見えないようだが……。その呪詛に変わりつつある怨嗟の声は、誤った行為をあえて続ける私を、やがて、厳しく非難するのだろう。ああ……、そう、気づいたとき、私は暗く閉ざされた墓場の真ん中に立ちすくんでいたのだ。  都心一帯の各交差点には、交通事故の削減を名目にして、無数の監視カメラが備え付けられている。新宿署内のとある一画では、モニターにより、それを注視する業務が日夜行われている。主要な観光スポットが密集しているこの地域には、言うまでもなく、『こんにちは』『それを、ひとつください』の意味すら知らぬ、外国からの訪問者を含む、多くの遠方からの観光客でごった返す地区である。深刻な交通事故や単純で危険な対人トラブル、また、銃や刃物を用いた凶悪犯罪が起こる可能性も比較的起こり得る確率の高い地域といえる。国内で起こる、全ての外国人犯罪を未然に抑えることが無理であるならば、目立つ犯罪がもっとも起こり得る、この地域を重点的に見張るための取り組みである。監視という防御的なシステムには、凶悪犯罪の抑制に一役買っていると評価する見方がある一方で、人混みに設置されているカメラで、その動きの一部始終を常に見張られている通行人の大多数は、『悪意を持たぬ無害の一般人』であるはずだ。その無実の人々の動きの詳細を許可も無しに覗き見るという行為は、プライバシーの侵害にあたるのではないか、という批判の声も当然あり得る。  とある金曜の夕方。監視室において勤務をする何名かの職員にとって、明日は非番となるため、就業間近となると、フロア全体の雰囲気も自然と浮ついてくるように感じられた。この辺りは、民間企業でも省庁においても、ほぼ同様の趣きであり、大きな違いは見られない。その中で、去年の春に、この監視室に配属になったばかりの新米である、須賀日巡査は眉間にしわを寄せて、周囲に設置された、多数の画面を時折顔面の角度を変えながら、食い入るように覗き込んでいた。その狭い室内には、多数のモニターの他には、飾り気のない一つのステンレス製テーブルと、二つの丸椅子しかない。長時間の労働による、目や肩の疲労によって、体勢を維持しようとすることに、耐え切れなくなることもあるわけだが、少しでも後ずさりしようとすると、その背中は、あえなく後ろの壁にぶち当たってしまう。暗く狭い部屋の中で、修行僧のように身体の態勢を保ち続けるしかないのだ。  隣の席には、高木巡査というベテランの警官が、何の存在感もなく座っていたが、彼もまた、数時間の監視においても疲労の色を全くみせず、山道の地蔵のように殺気もなく微動だにしない。早朝から、同じような前傾姿勢において、光と闇を含む三原色に点滅する、多くの画面を同様のタイミングで覗き込んでいた。背後以外の三方の壁一面には、それぞれ十五個の大型モニターが規則正しく積まれている。そして、この多くのモニターに映し出される映像は、新宿一丁目から七丁目までの比較的人通りの多い交差点に、民間企業によって開発されて、そのまま設置させるまでを委託した、高性能カメラによって、常時映されているものである。これは主に人や乗用車を中心とした、現場付近の動的な映像を、この監視室へと断続的に伝送してくる仕組みになっている。特殊な高性能レンズを用いることにより、悪天候の日でも映像はほとんど乱れることはない。監視カメラは交差点の信号機の脇の目立たない位置や、電信柱の中腹付近などに、ほぼ均等になるような距離をおいて、(しかも、なるべく市民の目には触れない位置に)取り付けられていた。カメラの多くを主要道の交差点に設置する理由は、それがうるさ型の市民に発見され、区議会などで問題化して、撤去するように申し入れがされた場合に、『監視カメラは、あくまでも交通事故の事前防止が主たる目的である』という反論を正当化させるためである。  並べられている多くのモニターと、それを注視する監視官との距離は、およそ3.5メートル。この監視室内における監視員の待機場所は、いちいち首を左右に振らなくとも、なるべく多くのモニターを視界に収めることが出来るような配置になっている。カメラによって見張られている、どの画面が異常を伝えたとしても、例え、遠目においても、決してそれが死角にならずに、鮮明に見えるように、余計な器具はいっさい置かれていない。飾り気のない室内の灯りは、モニターの灯りがなるべく映えるように、若干落とされている。丸一日消されることのない、非常灯の薄緑色の明かりの方が、かえって強く感じられるほどだ。  周知のように、新宿のビル街には風俗関係の店舗が所狭しと立ち並び、パチンコ屋や若者向けの飲食店が密集している。その近辺に設置されている監視カメラには、深夜になるにつれて、仕事にあぶれた浮浪者や暴力団くずれの若い連中による、肩が当たっただの当たってないだのという、公権力が介入する必要性がまったく感じられない、ほとんど無益な、付近の住民の利益にもならぬ、いさかいが頻繁に映し出されていくわけだが、ほとんどの場合、それらの茶番劇は監視官にとっては重大事としては扱われず、コンクリートに吐き捨てられたチューインガムのように、視界から外れていくことになる。例えば、ならず者たちの殴り合いを同僚に伝えて、防具服を装着させた、機動隊の面々を出動させるという行為は、まだ経験の浅い彼らにとっては、非常に億劫な判断に思えるのだろう。  深夜にもなると、繁華街を出歩く通行人の多数を占める、酔っぱらいたちが、次の行き場を探し求めながら、まるで意思を持たない亡霊のように、足をふらつかせながら行き交うことになる。そんな煉獄の祭りのような人混みの中で、たった一つ二つの不毛なる言い争いが起こるたびに、いちいち、数人の警官を乗せたパトカーを出動させていたら、人件費やガソリン代がかさんで仕方がない。最下級に属する警察官とて無給で働いているわけではないのだ。彼らが酔っぱらいの喧嘩の処理に当たっている、まさにその間に、予期せぬ大事故が発生して、人手が足りなくなるような事態に陥ったとしたら、その方が余計に処置できぬ問題となる。庶民の喧嘩などは当事者同士の話し合いから、民事裁判の判断に任せることにして、警察側としては、面白くもないいざこざについては、全く見ていないことにするのが無難である。しかし、ここは考えどころでもある。万が一、これは軽犯罪だと判断を下して、見過ごした口喧嘩が、脅し合い、殴り合い、そして、武器を振り回すような凶悪犯罪にまで発展してしまったら、いったい、どうするのか? それを止めに入った善意の第三者までが血にまみれることになってしまったら……。 『こんな悲惨な事態が起こる前に、警察はもっと早く出動して、適切な対処が出来なかったのでしょうか?』  付近の住民やマスコミに、はした金で雇われた、口うるさいコメンテーターやライターに、そんな理不尽なことを言われてしまうかもしれない。スポーツ紙は基本的に警察を敵視するようなコメントしか書かない。社会的地位の低い、物のわかってない連中に限って、情報料の安い媒体にやたらと目を通したがる。例えば、芸人同士のどうでもいい乱痴気騒ぎを知り、それを重要情報のごとく他人に教えたがる。そして、自分たちには何ら関係のない事件であっても、その一件に、ほんの少しのいかがわしさでも嗅ぎつけると、とにかく被害者側の視点にまわり、不毛な体制批判を展開するわけだ。つまり、事件(不祥事)が起きてしまった後では、基本的に体制側の負けである。大抵の場合、ほとんどの疑惑や追及に対して、受けに回るほかはない。巧妙に聴こえる言い訳ほど、実際には、大衆の持つ警察への敵意を、いっそう増幅させることになるからである。事件の本当の解決を促すには、マスコミの目を逸らすための、(いっそう注目されるべき)次の事件が起こることをひたすら待つしかない。 「だいたい、警察という組織が、街のあちこちに多くのカメラを設置して、市民を監視しているのは、目を覆いたくなるような凶悪犯罪を、未然に抑制しようとするためではないの? 結果として、凶悪犯罪が防げていないのであれば、監視すること自体に意味がないのでは?」  上級官吏の手に負えぬ、厄介な事例が今後も増え続けていけば、住民の間からは、こういった手厳しい意見も出てくるかもしれない。マスコミや見識者という輩は、自分自身には、効果的な解決策や今後の対策を何一つ見出せぬ、『誰でも良かった』『動機不明』的な事件が起こるたびに、世論を一つの暴力的な極論へと導こうとしている。『とにかく学校での教育が悪い。道徳教育にもっと力を入れるべきだ』『就職目的で入国しようとする、あらゆる外国人をもっと厳しく選別すべき』『前科のある人間を、当局で厳重に監視して、もっと厳しく取り締まるべき』『もっと警察官の数を増やすべき。あるいは、警察官の重装備化』などがその一例であるが、最後の主張まで吟味していくと、なかなか滑稽である。『教育が悪いから、もっと良い先生を増やすべき』とはならない辺りが……。  長時間の勤務になっても、上司の側から充実した対話やアドバイスがなされるわけでもない。『ただモニターを見続けろ』と命じられるだけである。モニターの情報から瞬時に異変を感知して、重大な事件を未然に防いだとしても、その手柄が重役会議などで報告されるわけでもない。この部屋に設置してある、計四十五個ものモニターは、あらゆる色彩にチカチカとせわしなく点滅しながら、さしたる変化もない都会の風景を幾つも映し出していき、夕方になっても、人通りの増え始めた繁華街の有象無象を断続的に伝えてくるのである。一つひとつの人間の動作や表情の変化や、いささか不審に思える乗用車の動きに対して、一瞬視線を取られることはあるが、そこに長時間神経を集中させることは出来ない。次のモニターに何らかの小規模な変化があれば、今度はそっちに目を向けねばならないからだ。犯罪はいつなんどき、どのモニターから降ってくるか、全くわからないのだ。面白そうな人間模様に興味をそそられていても、視線をそちらに向けて遊ばせているわけにはいかない。次の瞬間、ここ数年の間、行方不明とされていた、重大犯罪の容疑者と目されている男の顔面のアップが、映し出されるかもしれない。それこそ、大河の水中の底から、一粒の砂金をつかみ出すような作業になってくるが、犯罪人が不用意に監視カメラの前を通りがかる可能性が100%あり得ないとはいえない以上、この不毛とも思える業務にも真剣に取り組む必要はある。ただ、何も言わずに、できるだけ余計なことを考えずに、日がな一日、このせわしなく動き回るモニターの中身を覗き込んでいるだけなのだが。 「最近、タクシーをやたらと目にしますよね……」  今、渡りたそうな歩行者たちを、鼻から無視して、横断歩道を突っ切っていった白い車体も、つい先ほど、完全に赤に変わった信号を無視して、そのまま左折して走り去った車体も、タクシーであった。若手の巡査は机の上に用意されている報告用紙に、今しがた確認したばかりの違反車のナンバーを慣れた手つきで書きつけていった。もちろん、こういった目ざとい監視活動により、運悪く取り締まりに遭ってしまった運転手たちは、後日その冷酷な事実を鼻先に突きつけられ、顔を真っ青にするわけである。普段は無視を決め込んで、活動に参加したこともない労組に駆け込んでいき、ことの円満な解決を図ろうとする意地汚い輩もいるが、それが上手くいったとしても、長期間に渡る、不都合を強いられることは間違いない。  夕方から深夜にかけて、都心の交差点を行き来する車の通行量は『非常に多い』などという安易な言い方では表現できないほどにまで膨れ上がる。おそらくは、この地区の渋滞率は全国でもトップクラスになるであろう。それに加えて、新宿駅周辺エリアだけでも、各所に設置されている監視カメラの総数は、十台や二十台では済まない。署内にある監視室内にて、送られてくる映像を、モニターで逐一見張っている警官の人数に、限りがあるのも事実である。より多くの人員をこの監視業務に割いていたとしたら、警らや立ち番をする警察官の人数が不足することになる。いつ起こるかもわからない、大事件に対応するための遊軍とて常に必要となる。監視する人間の目の数は非常に限られているわけだ。この捜査手法を是とするのなら、出来る限り少人数にて、効率よく犯罪者やマナー違反者を見つけて、処分していく必要がある。狭い部屋に大型モニターが四十五台もあれば、一台や二台の不審車が、猛スピードで交差点を突っ切っても、それを見逃してしまうことも当然あり得る。気がつかぬまま、スリや自転車ドロの逃亡を許してしまうケースだってある。相手が一千万人を超える都民である以上、無理もない話である。社会にとっては、どんなに有益なシステムを作り上げたとしても、見る存在、判断する存在、そして犯罪者を捕らえに行く存在が、全て異なる人物である以上、その職務が完全に遂行される可能性は、そもそも、とても低いのである。結局のところ、道徳やルールを毎日のように逸脱する者が仮にいたとして、包囲する網を十全に配置しても、それが捕まるも、逃げ切れるも、すべて運次第ということである。 「ああ、確かにタクシーは増えたな……。まあ、俺たちの給料は景気がどうあれ、犯罪の発生率がどうあれ、ほとんど変わらないが、世間一般は、もう長いこと不景気に入っているからな……」  先輩は身体全体から感じられる気怠さはそのままに、この会話の今後の展開に脳を働かせることもなく、後輩の問いかけに応じた。 「へえ……、景気が悪くなると、タクシーの運ちゃんは増えるんですか……」  朝っぱらから、地べたでひっくり返り、気を失っている、飲んだくれの浮浪者の介抱をしたり、不景気のさなかで、予期せず職を失うことになり、そのことに失望して、気がおかしくなって高層ビルの屋上から飛び降りた自殺者の遺体を、嘔吐をこらえながらの実況見分をしたり、その遺体の運搬にはよく駆り出されている。その機会が増えれば増えるほどに、景気の動向などという経済用語を、少しは気にするのかもしれないが、都内において低賃金でせわしなく働く一般庶民が、バブルの崩壊などという死語をすでに忘れ去り、まるで永久凍土のように、溶けてくれるはずもない不景気の氷壁を、完全に我がことであると受け入れた昨今にあっては、ある程度の景気の浮き沈みは、すでに我が身には感じないようにもなっていた。テレビで失業率の増加や新卒学生の内定率の低下が報じられても、美人予報士が優しく語りかけてくれる『明日は各地で風が強いでしょう』と同程度の注意しか払わなくなったのだ。飲み屋に入っても、『最近、懐具合はどうだい?』などと尋ねられることも少なくなった。大多数の社会人が負け組となった今、せっかく店に来てくれた客が不快になるような問いかけは、向こうにとっても尋ねにくいのだろう。楽に金儲けができる人間はいなくなり、周囲に金をばら撒いてくれる羽振りのいい人間は、まるで極楽鳥のごとく、やたらと目立つ存在になった。不用意に大金を所有しているような匂いをさせれば、株や土地の不正取引を始めとする、違法行為を最初に疑われるほどである。残念ながら、この国の景気は低い方へと沈んだ後、深海魚の進化を辿るが如く長いタームに落ち着いたわけである。いわば、『これからは、ずっと悪い』という認識であった。 「ああ、タクシードライバーは、あらゆる種類の職業から落ちこぼれてくる労働者たちの最終的な受け皿になっているからな……。都心であれば、客の多寡は景気にそれほど左右されないし、地理の覚えの良さと、接客業のコツを早く掴めるくらいの人間ならば、他からの転職直後でも、それほど実入りを減らさずに済む。うーんと……、まあ、言い換えると、他の職業でリストラされちまった人間が、最後に選ぶ仕事なんだよ……」 「そうだったんですか……。学生の頃は、タクシーの運ちゃんと宅配ドライバーは都会の花形職業だと思ってました」  目上の人との会話を何とか繋ごうとしたのではなく、儲かる職業についてのウンチクは本当に知らないのだ、というふうに、あどけない口ぶりで相槌を打った。バブル崩壊以前の有名俳優が主演する邦画などで、目的地に着いて、颯爽と車から降りる羽振りのいいイケメン俳優から、『ほら、釣りはいらねえよ。とっときな!』と数枚の万札をバサッと渡される映像が脳裏に焼き付いており、『浮かれた人間に自分も一緒に乗っかれる』そういう職業だと思っていた。 「いまや、どっちに就いても崖っぷちさ……。もう、老年に差しかかって、体力は衰えてきてるけど、家庭の事情があるので年金だけじゃとても暮らせない……。例えば、身内に重病人がいて安い年金だけじゃ医療費が賄えないとか、若い頃からずっと低賃金で働いていたから、結局のところ、年金は満額払えなかった。だから、国から援助が貰える当てはない……。でも、これから先も、何年かにわたって生きていかねばならない以上、なんとかして生活費を稼がなきゃならない人間たちは、この狂った世の中に腐るほどいるわけなんだ。タクシー運ちゃんってのは、そういう性質の人間が最後に就く仕事なんだよ」  そう言われてみれば、ようやく記憶のあちこちから、これまで見てきた、貧乏ドライバーたちの生態が蘇ってくる気がした。この地域を縄張りにして、長年走り回っている割には、代表的な目標建造物をほとんど知らなかったり、わざわざ混雑する道を選んで走り、何も知らぬ客に、乗車料金を多く払わせたり、無人でも有人でも平気で信号無視を繰り返して乱暴走行をする。あるいは、少しでもイラついてくると、前を歩いている歩行者に背後から悪意の籠ったクラクションを何度となく鳴らしたり、窓を開けて怒鳴り声をあげたり、そういった無法極まるタクシードライバーたちとの際限のない関わりが思い出されてくることになった。  しかし、今さら感情はそう熱くはならず、自分が警察という組織に就職したからには、今後はいっさいの言い訳を聞かずに、一キロでもスピード違反をした瞬間に、一人残らず厳罰に処してやろうかと、そんな低劣な復讐を考えたことも、実際にはなかったのだ。須賀日巡査はしばし思考に耽った。それはなぜだろう? 彼らとて、この不景気の中で、早朝から深夜まで休みなしに走り続け、ほとんど睡眠時間も取れないのに、生活費を稼ぐために精一杯走っているのだと思いを巡らせれば、元々、彼らが否応なしに起こす違法行為とは誰の責任なんだろう、という気にもなり、毎日監視室に籠っている自分のすぐ目の前で、常日頃起きている数々の交通ルール違反にしても、世の悪が人々の思想の流れを巡回してくる中で起こされた、『出来心犯罪』であり、いくら不良人たちに苦しめられた、過去の嫌な体験を蘇らせても、現場に急行して、『自分のほぼ同類』をきつく問い詰めたり、厳しく処罰したりする気にはならない、というのが正直なところであった。
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