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ユーリアンに案内されて向かった先は客間ではなく、風が吹き抜けるダイニングだった。
「客間よりこっちが涼しいだろ。狭いけどゆっくりしてってくれ。今は夏休みだから隣の悪ガキも居ないし、この辺りは静かなもんさ」
両開きの長窓の向こうは縦長い芝生の庭だ。庭の外れには林檎の木が、隣家との境には蔓バラが、目隠しのように植えられている。田舎にくらべると確かに狭いが、街の家はこんなものなのだろうか。
「アーニャ、見るたびに大きくなるね。ほら、お土産だ」
オーリはユーリアンの腕の中に居る女の子の目の前でパチンと指を鳴らした。
どこから現れたのか、色とりどりのキャンディーが花びらのように宙を舞う。アーニャと呼ばれた子は歓声を上げると、小さな手を伸ばして全てのキャンディーを空中で引き寄せて捕まえてしまった。
ステファンは茫然とそれを見つめた。あれはオスカーに教えてもらった遊びと同じだ。けれどステファンが小さいときは、吹けば飛びそうな軽い紙のハトを捕まえるのが精一杯だった。まだオムツがとれたばかりのような小さい女の子が、紙より重いものを、しかも複数同時に捕まえている――はっきり言って、この光景はショックだ。
「アーニャ、今日はひとつだけよ。オーリおじちゃまにご挨拶は?」
言われてアーニャは床に飛び降り、オーリに駆け寄った。おじちゃまと呼ばれたオーリは苦笑しながらも、小さなアーニャのキスを受けて満足そうだ。
アーニャはエレインとステファンにも駆け寄って来る。勘弁してくれ、とステファンは首をすくめた。小さい子は苦手だ――案の定、キスのついでに水っ鼻をつけられてしまった。
うへえ、と思って必死に頬をぬぐっているステファンをよそに、大人達は談笑を始めている。
バラの香を運ぶ涼しい風も、トーニャが出してくれたジンジャエイルも、今のステファンにはちっとも楽しめない。配給茶葉をどう節約するとか、トーニャのベビーがいつ生まれるかとか、エレインのスカート姿がどうしたとか、そんなことはどうだっていい。
――さっさと辞書のことを聞けばいいのに。
オスカーの手紙の謎を解きに来たんじゃなかったのか――
じりじりしながらうつむくステファンの手に、ふいに柔らかいものが触れた。小さいアーニャの手だ。黒ぐろとした真ん丸い目を向けて、じいっと顔をのぞきこんでいる。
「なに?」
わざと不機嫌な声を出して追っ払おうとしたが、アーニャは手を離すどころか、とろけるような笑顔を向けてきた。
なんて顔をするんだ、とステファンはたじろいだ。意味もわからず魔力を使うチビのくせに。水っ鼻をつけてるチビのくせに。ユーリアンのイメージが火山なら、この子はミルク入りチョコレートムース菓子だ。
小さいアーニャは、その邪気のない澄んだ目を向けたまま舌ったらずの発音で呼びかける。
「あとぼー(遊ぼう)!」
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