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大人達の会話は今や、エレインに化粧をさせるかどうかというくだらない話題で盛り上がっていた。
「トーニャ、うちの守護者には人間の価値観を押し付けないでくれないか……おや」
庭に目を向けると、アーニャに手を引かれたステファンが、どうしてよいかわからずうろたえている。
くくっと笑ってオーリはエレインに耳打ちした。
「了解、靴脱いでいい?」
答えを待つ間もなくエレインは靴を放りだしていた。
「ま、待てエレイン! 何も裸足になれとは、おいっ」
だがオーリが焦って止める間にも、手袋と靴下までがポイポイと宙を舞う。いくら夏とはいえ、他人の家で女性が脚をさらすなど、もっての外だ。
「はしたないって言うつもり? エレインには人間の価値観を押し付けないんじゃなかった?」
トーニャは面白そうにオーリの表情を眺めている。
エレインはといえば裸足で庭に駆け出し、高々とスカートをたくし上げながらアーニャと追いかけっこを始めてしまった。
「ステーフ! ぼんやりしてないで一緒に遊ぶよ、ほらっ」
エレインに急きたてられて、ようやくステファンも追いかけっこに加わる。
ユーリアンはさっきから笑いすぎてティーカップをひっくり返しそうだ。
「ま、いいんじゃないか? 裏庭なら通りから見えないし。あれだけあっけらかんと脚を出すんなら、こっちも気を使わずにおくさ」
ひとり、オーリだけが顔を赤くして頭を抱えている。
「面目ない。まったくうちの守護者は大人なんだか子供なんだか……」
「童心だよオーリ『童心』。僕らの師匠が一番重んじたことだろ? エレインには充分それが残ってるってことさ」
「だから困るんだよ」
オーリはぼそりとつぶやいた。
「それよりあなた達、例の『からくり箱』のこと。何か対策は考えてるの? 来年から竜人と同居する条件が厳しくなるわよ」
トーニャが声をひそめた。
「ああ、エレインとはいろいろ議論してるよ。けど、人間社会のややこしいルールなんて彼女にわかってもらえなくてね」
「しかし『からくり箱』とはよく言ったもんだよな。一見なんの変哲もない箱の中に隠し箱があるように、表向きは『いない』ことになっているドラゴンや竜人を、裏では管理する制度が出来てる。うぇーたいしたもんだ、この国は」
茶化すようなユーリアンにかまわず、オーリは苦々しい顔をした。
「『人間以外のヒトはこれを認めず、野蛮かつ希少な種として隔離の上保護する』だと。ばかばかしい、なにが『保護』だ。要するに竜人を管理区に閉じ込めて都合の良いときだけ使役しようってわけだろう。もともと人間と竜人は対等なはずなのに。それに野蛮な戦いをしかけたのはむしろ人間のほうだろう!」
「落ち着けオーリ。箱の中に箱、車輪の中に車輪、人形の中にまた人形。この世のくそったれな矛盾は巨大モンスターより質が悪い。お前がここで憤慨してても何も変わらないぞ」
「わかってるさ! 僕らだって公には認められてないのに、結局は魔法管理機構なんてからくりに縛られてるんだ。ああ、魔法使いなんて無力なもんだ。いいように振り回されて、何も意見できやしない」
オーリは腹立ち紛れなのか癖なのか、テーブルの隅にあった紙にぐしゃぐしゃを描いている。ユーリアンはそれを目で追いながら思い出すように言った。
「他の奴らはどうしてるのかな。屈強な竜人と契約している魔法使いは多いから、皆なにかの抜け道を考えているだろうけど。確か、一定の職業に就いて届け出ればいいんじゃなかったっけ」
「でも守護者は『職業』としてどうなのかしら。魔法使いが公認められていないんだから、その守護者というのも有り得ない、と言われたら」
「ガルバイヤン家全体の守護者、ってのはどうだ?」
「いいよ。職業なんて適当にみつくろって書類をでっちあげる。それより問題はエレインのほうだ。彼女は子どもみたいに真っ直ぐで、表裏がなさすぎる。人間のややこしい事情なんて、ましてからくり箱なんて、何度説明してもわかってくれないんだ。届け出るときにはいろいろ聞かれるだろうから……困ったな」
「なあオーリ」
ユーリアンは大きな瞳でじっとオーリの表情を伺いながら言った。
「いっそ、結婚しちまえば?」
ポトリ。
オーリの手からペンが落ちて転がる。
石像のように固まったまま、その顔がみるみる赤くなる。
「な、な、なにを急に……なんでそんな話に」
「急に、じゃないだろうが。異種婚が法的にはどうなるか知らんが、考えたことくらいあるだろう」
「ばかな! そんなつもりで契約したんじゃない!」
今や耳まで真っ赤になったオーリは、立ち上がって机を叩いた。
「ひと目惚れだったくせに」
ユーリアンは落ち着き払って、心を見透かすような口ぶりでいる。
「いいかオーリ、覚悟を決めろ。エレインを守るためなら手段を尽くせ」
「そんな……無茶いうな」
オーリは力なく椅子に座った。
「それこそ、エレインには理解しがたい話だ。いいか、竜人フィスス族を滅ぼしたのは人間だぞ。その人間の守護者になる契約ってだけで大変だったんだから。それにあの一族は、普段は母親集団と父親集団が離れて暮らしてたんだ。『結婚』なんて考え方はもともと無い。ましてエレインは巫女みたいな育てられ方してたから……」
「何を言ってるんだか。どうして魔法使いってそういう考え方をするのかしら」
トーニャは冷ややかに言って新しいお茶を注いだ。
「仮にエレインが理解したとして。身分を保証するための結婚、なんて誇り高い彼女が納得すると思う?」
「……どうすればいいんだ?」
「自分で考えなさい。まったくいい年をして手のかかる子」
すまし顔でカップを口に運ぶ従姉を、オーリはまだ赤い顔のまま睨んだ。
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