うちの中に僕がいます

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 朝、ドアノブを外からガチャガチャと回す物音で目が醒めた。  昨夜は大学の友人らと遅くまで呑み歩いて、いつ帰ってきてどうやってベッドに入ったのかもうろ覚えだ。お陰様で鈍い頭痛と胸焼けがする。疑いようもない二日酔いの症状だった。  ドアノブはまだガチャガチャ言っている。周りはみんな同じような学生が多いから、部屋を間違って回しているのだろう。もしかしたらドアの向こうの人物も同じように呑み歩いて朝を迎えた口かもしれない。  どうしようかな、と鈍い思考を巡らせていると、最後にドスンと扉をぶつ音がして我慢が切れた。 「なんですか、部屋間違ってませんか」  酔いが少し残っていたせいか、シラフなら怖くてやり過ごすところを、インターホン越しにドアの外に声をかけた。 『え、誰ですか?』  ドアの向こうの人物は心底驚いた様子で返事をよこした。野太さはあるものの少し上ずった声音は若い男のものだ。どうやら同じ年頃であるらしい。 「そっちこそどちら様?」 『いや、なんで……だってここ、俺ん家だけど』  やはり相手は酔っ払いのようだ。ここにはもう二年暮らしている。部屋の中のものも何もかも憶えのあるものばかりで、こちらが間違って誰かの部屋に侵入している心配はない。 「ちょっと悪戯が過ぎるよ。まだ騒ぐなら警察呼ぶからな」  眠たいし頭がずっと痛い。胸の奥もむかむかしていて、午後からは講義もあるからもう少し横になっていたかった。ちょっと脅かすような言い方になったのは人情というものだ。  すると警察というワードが効いたのか、それ以上ドアの向こうの人物は騒がなくなった。冷蔵庫のペットボトルから水を一口飲んで、ふたたびベッドに横になった。  同じ日の夕方、午後の講義を受け終えてキャンパスのカフェテリアで二日酔いの頭を休めていると、高校から一緒の友人が肩をゆすってきた。 「おい、やめろやめろ。二日酔いでしんどいんだよ」 「なんだよ、だらしねえな」  友人はガラガラと音を立てて、椅子を引いて隣に座った。こういうところにある椅子は、なぜこうもうるさいのか。さっきからあちこちで椅子を引く音が響いていて、二日酔いの頭に不快感を運んでくる。調子のいい時はまったく気にならないことが、ちょっとした不調でこんなにも煩わしい。  そう思うと今朝の出来事もそうだ。あのあと結局浅い眠りが続いて、かえって疲れてしまった気すらする。今となっては夢の中でのことだったのではと思うほどだ。 「おーい、聞いてるか?」  ぼんやりしている間も友人は喋っていたらしい。生返事を繰り返していると握り拳で肩を強打された。 「え、ああ、ごめんごめん。なんだっけ」  打たれた肩をさすりながら呆れ顔の友人に向き直る。 「前にレポート書くのにPC欲しいって言ってたろ。兄貴のお古が余ってるから貸してやる」 「……マジで?」 「今日取りに来いよ」  靄のかかっていた頭の中が一気に晴れる思いだった。これまでずっと学内のPCを使ってレポートを作成していたから、家でそれができるとなるとかなり捗ることになる。現金なことに二日酔いもふっとんでしまったようだ。 「行く行く! チョー助かるよ」  それからその友人のアパートにPCを受け取りに行ったのだが、途中でコンビニに寄ったのが良くなかった。  夕食をコンビニ飯で済ませようと色々買った中にアルコール類を放り込んでしまったのである。成人になったばかりの男子が寄り集まれば、こうした流れになるのは致し方のないことだ。  はじめのうちはPCの使い方のレクチャーを真面目顔に受けていたが、飯を食ったあとに菓子の袋を開け、缶チューハイのプルタブを引き抜いたあたりから怪しくなってきた。  次に気が付いたときには翌朝、というのはお決まりのパターンと言っていいだろう。九割九分の後悔で占められた頭を振ると、案の定の二日酔いならぬ三日酔いである。時計を見ると午前八時だった。 「ああ、やっちまった。一回帰るわ。また後でな」  毛布にくるまっている友人に声をかけたが返事はなく、かわりに間延びしたいびきが返ってきた。  テーブルの上に置いてあった部屋のカギを使って戸締りをし、ドアポストにそのカギを投げ込む。  一度一人住まいのアパートに帰ってシャワーを浴びたら大学へ行かねばならない。今日は二限から必修単位の講義があるのだった。  友人宅からは二十分も歩けば自宅アパートに行き着く。少し急げば九時過ぎには大学に出発できるはずだ、などと頭の中でスケジュールを組み立てているうちに到着する。比較的新し目の軽鉄骨でできた建物は、日当たりの悪い立地のせいで、実際の築年数よりも古く見えた。  異変に気付いたのは部屋のドアの前で鞄の中を探った時だった。どうやら友人宅のドアポストに放り込んだのは自分のアパートのカギだったようで、鞄から出てきたのは見覚えのない形をしたカギだった。一体どのタイミングで間違えたのだろうか。 「まいったな……」  そう言いながらも手の中にあるカギをドアの鍵穴に差してみるが、当然ながら入らなかった。  もしかしたら閉め忘れているかもしれない、などと未練がましくドアノブをガチャガチャやったりしたが、当然ドアは開かない。  一度友人宅に戻って、カギを取り換えて、またここまで帰ってきてからシャワーを浴びて……、と考えていると、向こうの方から諦めが歩いてやってくるのが見えるようだった。 「ああ、くそ」  最後にドアをどすんと拳で叩いた。すると驚くべきことが起きた。ドア脇に設置されているインターホンから物音がするのである。中に誰かいる。 『なんですか、部屋間違ってませんか』  一瞬の空白のあと、ドアの上の部屋番号を確認する。当然ながら間違っていない。最近は表札を出す人は少ないが、うちには手書きのそれが入れてある。引っ越しのときに様子を見に来ていた母親が、いつの間にか入れていたものをそのままにしていた。 「え、誰ですか?」  素っ頓狂な声で素っ頓狂なことを言ってしまった。だが誰もいないはずの部屋の中から誰何されたのだ。しかも一人住まいの自宅からである。 『そっちこそどちら様?』  インターホンからの声は、まるで二日酔いかのように気だるげだった。ただ声の雰囲気から若い男であることがわかる。どうやら同じ年頃のようだ。 「いや、なんで……だってここ、俺ん家だけど」 『ちょっと悪戯が過ぎるよ。まだ騒ぐなら警察呼ぶからな』  がちゃんと音を立てて通話は切られた。け、警察? と口ごもってから、はっともう一度手の中のカギに目をやると、なぜだか今度は見覚えのある自宅のカギが握られている。  狐につままれた、などという表現が正しいのか定かではなかったが、そんな気分でもう一度鍵穴にそっとそのカギをさす。 「…………?」  すると今度はするりと鍵穴にカギが合った。ゆっくり回すとほんの少しの抵抗があるだけで、シリンダーはガチャリと音を立てて、扉は開いたのである。 「なんだ、開くじゃん……」  しかし問題はここからだった。部屋の中には自宅だと主張する見知らぬ男がいるはずだ。  下手をすれば取っ組み合いになるかもしれない。だが腹も立っている。太々しくも、警察を呼ぶなどと脅してきた奴に、何か仕返してやらないと気が収まらない。  玄関に入り靴を脱ぐ。狭い玄関ポーチには見知らぬ履物はなかった。サンダルと革靴が脱ぎ捨てられているだけで、それらはどちらも自分のものだ。それだけでも、ここが間違いなく自宅だということを知らせてくれる。  ゆっくりと進み、半開きになっている中扉に差し掛かる。隙間から見える光景にも覚えがあった。意を決して中扉の取っ手に手をかける。心臓は早鐘を打っていた。浅くなる呼吸を押し殺してそっと扉を押し開けた。 「!!」  息を止めて部屋の中に押し入るも、そこには誰もいなかった。誰かがいたような気配すらなかった。 (どういうことだ? 確かにインターホンで)  混乱している頭をもたげて、壁に取り付けてあるインターホンを振り返ったその時、不意にそれが鳴った。  カギは閉めたっけ。自分の動悸が聞こえてくる。じっと様子を窺っていると、インターホンはもう一度鳴った。一歩だけそれに近づく。  ピーンポーン。  また鳴った。今度は唾を飲み下す自分の喉の鳴る音が聞こえた。  ピーンポーン。  四度目の呼び鈴。受話器に手を伸ばす。それを取って耳に当てると外の音が耳に入ってきた。 「……はい」  自分の体温が下がっていくのがわかった。額から流れ落ちる汗を熱く感じるほどに。
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