第1話 だから私は悪役令嬢

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第1話 だから私は悪役令嬢

    「シルヴィ! あなた、今日の掃除は終わらせたはずよね?」  料理を運んできた妹に対して、私は厳しい言葉を投げかけました。  シルヴィは、目を丸くします。私そっくりの美しい碧眼であり、これこそが姉妹の証。髪の色は異なりますが――私はお母様と同じ黒髪で妹はお父様譲りの金髪ですが――、それも家族の一員である証に思えました。  彼女が抱えている銀色のトレイには、ふかふかのパンや熱々のクリームシチュー、緑鮮やかな野菜サラダなど、三人では食べきれないほどの料理が載せられており、見るからに重たそうです。  もちろんシルヴィも『浮遊(フロート)』の魔法くらい使えますが、あれは浮かすだけなので、手で運んだ方が早いのでした。魔法で荷重を減らしながら運ぶという手段もありますが、不器用な妹には、そうした併用は難しいはず。それ以前にお母様の「家事には魔法を使わない」という言いつけもありますから、シルヴィは今、腕の筋力だけでトレイを支えているのでしょう。  彼女はその状態のまま、ダイニングルームの入り口で、ビシッと立ち止まってしまいました。  絞り出すような細い声で、姉の私に答えます。 「はい、サビーナ姉様。いつも通り二階は午後の予定ですが、一階は全て、昼食を作り始める前に……」 「では、これは何ですの?」  彼女の言葉を遮る意味で、わざとガタンと大きな音を立てて、私は椅子から立ち上がりました。貴族令嬢に相応しくない振る舞いであり、向かいの席に座るお母様が、あからさまに顔をしかめています。  お母様の表情には気づかなかったフリをして、私は窓に歩み寄りました。窓枠のサッシに、スーッと指を走らせて……。 「ほら!」  わざとらしく人差し指を立てて、白魚のように美しい指が埃で汚れたのを、シルヴィとお母様に見せつけるのでした。 「ごめんなさい、サビーナ姉様! 精一杯がんばったのですが、私、サビーナ姉様ほど細かいところまで注意が行き届かなくて……」  シルヴィがそういうタイプなのは、私も十分承知しています。似たような言い訳を、何度も耳にしてきました。  私でさえ「またか」と飽き飽きするくらいですから、お母様の心中(しんちゅう)は、それ以上だったのでしょう。 「シルヴィ! あなた、姉に向かって口答えするつもりですか? それが妹の態度ですか!」  お母様の怒号が、部屋いっぱいに響き渡ります。 「ごめんなさい! すぐ掃除しますから……」  シルヴィは体をすくめながら、とりあえず料理をテーブルの上に置こうとしたのですが、 「厨房に持ち帰りなさい!」  さらに怒鳴られて、はじかれたように体をピンと伸ばしました。トレイが揺れて、少しシチューがこぼれてしまっています。 「埃だらけの部屋のテーブルに、これから食べる料理を置くなんて! 正気ですか? 不衛生でしょう!」 「ごめんなさい、お母様。でも冷めてしまう前に食べてほしくて……」 「冷めても構いません! いいですか、本来、高貴な身分の食事には『毒見』が付き物なのです。温かい料理など、食べられなくて当然なのです。実際、ロワイエ伯爵家に嫁いだ大叔母様の義理の従姉妹(いとこ)がタルデュー大公家に嫁いだ時には、毎日毎日冷たい食事ばかりなのを嘆いて……」  これは話が長くなりそうです。私は「シッ、シッ」という手つきで、 「シルヴィ! お母様に言われた通り、早く厨房へ戻りなさい!」 「はい、サビーナ姉様!」  妹を説教から解放してあげました。  お母様は、聞き手がいなくなっても全くめげることなく、私の方へ向き直りました。 「よく聞きなさい、サビーナ。シルヴィは、本来、どうでも良いのです。ルーセル男爵家の跡継ぎは、サビーナですからね。こういう話は、あなたこそが胸にしっかりと刻んでおくべきで……」  聞き流すしかない、お母様の長話。その(かん)の考え事には、ちょうど良いかもしれません。  彼女の『ルーセル男爵家』という言葉が引き金になって、改めて私は、自分の境遇に思いを馳せるのでした。 ――――――――――――  私に言わせれば、我が家は没落貴族です。  爵位も領地も取り上げられてこそいませんが、その暮らしぶりは昔と異なり、とても貴族とは思えない状態だからです。  転落の始まりは、お父様の病死でした。みるみるうちに衰弱してしまい、王都から有名な魔法医を呼び寄せても症状が良くなる兆しは見られず、呆気なく亡くなってしまったのでした。  そう、病死なのです。王命の戦争に参加して、そこで名誉の戦死を遂げたのであれば、十分な遺族年金も支払われることでしょう。しかし、勝手にポックリ逝ったのであれば、そのような給付金はありません。  お父様は生前、行政府で政務に就いており、いわゆるサラリーを過分にいただいておりました。それが急に途絶えたことで、残された三人――私と妹とお母様――は、途方にくれました。  さすがに『路頭に迷う』というほどではありません。男爵貴族として割り当てられた領地は残りましたから、安定した領地収入が得られるのです。  ただし、高額ではなく低額で『安定』した状態です。  私たち三人が食べていくだけで精一杯であり……。 「紹介状をしたためました。次の働き口には困らないでしょう」  お母様は冷たく言い(はな)って、使用人に暇を出しました。  執事やメイドや庭師など、私が生まれた頃から屋敷にいた者たちが、全ていなくなったのです。 「三人では、ちょっと広すぎるわねえ」  というお母様の言葉は、一種の強がりだったのでしょう。  屋敷そのものも、経済的な意味で維持できなくなり、手放すことになりました。  こうして。  土地代や物価の安い田舎に小さな家を構えて、三人だけで、ひっそりと暮らし始めました。  田舎といっても、王家の城の一つ――別邸として使われる小城――が近くにあり、それなりに住民も多い地域です。  もちろん『田舎』なので、豊かな緑に囲まれており、空気も新鮮に感じられます。歩いて行ける範囲内に大きな湖もあり、私には最高の住環境です!  でも、それは私の感覚に過ぎません。お母様は、違うようでした。  王都の貴族街からも、ルーセル男爵家の領地からも、遠く離れていますからね。  貴族同士の付き合いが疎遠になり、社交界にも顔を出せなくなると、もう「貴族の身分を剥奪された」という気分なのかもしれません。  そんなお母様にとって、ルーセル男爵家の跡継ぎである私は、昔の栄光を取り戻すための重要な存在になったのでした。私が有力貴族と婚姻関係を結ぶことで、ルーセル男爵家が貴族社会の中心に返り咲く、という野望です。  まあ正確には『返り咲く』というより『踊り出る』でしょうか。ルーセル男爵家は、元々それほどの名家ではないので。  現実問題、そんな『有力貴族』と私が出会う機会自体、まずあり得ないと思うのですが……。  お母様の心の中では、これが既定路線のようです。  そして。 「貴族は使用人を使う立場なのです。それを忘れてはいけません」  お母様は、そう言い出しました。  召使いを雇うことすら出来ない環境に置かれても、(きた)るべき日に備えて、そうした身分であるという矜持だけは保ち続けなさい、という話です。  単なる『矜持』の問題ならば良かったのですが……。  困ったことに、お母様は、使用人を扱う行為の真似事を私に強要し始めました。  つまり、妹のシルヴィです。シルヴィは後継(あとつ)ぎではないから、ぞんざいに扱っても構わない。ならば、彼女を擬似的な使用人にしてしまおう。そうすれば、現在の環境でも『使用人を使う』という貴族の立場を続けられる。  これが、お母様の理屈のようでした。  私もシルヴィも「それは少しおかしい」と思うのですが、二人とも、親に逆らえるような性格ではなく……。 ―――――――――――― 「……というわけです。わかりましたか?」 「はい、お母様。よくわかりました。ありがとうございます」  今や全く交流もないような、遠縁の貴族の逸話が終わったようです。  お母様に対して、私はニッコリと笑顔を浮かべました。  全く気持ちのこもっていない、形だけの笑顔を。  悪い意味で、根が『いい子』なのでしょう。  期待されると私は、その期待に応えなければならない、と思ってしまうのです。  特に親に対しては、その傾向が強くなり……。  お母様の主義に合わせた結果、可愛い妹に酷い仕打ちをする、という毎日を過ごしてきました。  だから私は、自分のことを、悪役の貴族令嬢だと思っているのです。    
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