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アルバイト先にいたNさんの話である。
デザイナー事務所の雑用や事務手伝いのアルバイトを短期でしていた際に、とある女性と度々シフトが被っていた。
Nさんは20代前半の若い女性だったが気丈な性格で、少々手厳しい事務所の社長の叱責にも笑いながら「次から気をつけます」と対応する肝が据わった人柄だった。
毎夜のように都内のコアな呑屋街、夜の街にも足繁く通っていると聞き、
「社長にも強いですしNさんって強いっすよね」
「もう怖い物なしじゃないすか」
昼休みに、笑いながらバイト仲間同士で喋っていた時だ。
「いや、そんなことないよ」と苦笑いしながら、Nさんは妙なことを言った。
「自分の家が怖いもん」
一緒に昼食をとっていたバイトのスタッフ全員がポカンとする。
聞くところによると彼女は今閑静な住宅街のそこそこ新しい綺麗なアパートに住んでいるのだが、そこに心霊――30代前半の女性の霊が出るのだとか。
「うわ、怖ッ」と真昼の休憩スペースでアルバイト達は少しばかり盛り上がる。
「それって声が聞こえたりするんですか?」と尋ねられると「いや全然」と頭を振った。
「声が聞こえたことなんてないし、目で見えたこともない。ホラ、よくホラー映画で鏡に映るとか、写真撮ったら映り込む、とかそういうのあんじゃん?そういうのも何にもない。一回も見たことないんだ」
そじゃあ何で――と、自分が質問するよりも先に。
「なのに、分かるんだよね。30代の後半……7,8歳くらいかな――の女が斜め前に背中向けて立ってるってのがさ」
華奢な首を不思議そうに傾げた。
「とりあえず、呑屋の店長さんから『やっぱ盛り塩でしょう』って言われて」
聴くところによると、呑屋だとか水商売の界隈ではオカルトマニアとはいわなくとも そういった霊的なものや験を担ぐ人間は多いようだ。
その業種の人は、昔から伝わる習わしのようなものも信じ、実践する人も少なくないとのことだ。
「で、結果は……」
「したらさ、マジでピッタリの合わなくなったんだ」
「じゃあ解決じゃないですか」
「でもさ、まだいることにはいるんだよね」
「それってどういう--」
「いや、一回中の友達と4人くらいで宅飲みした時なんけどさ、帰り際に酔った友達が塩を蹴飛ばしちゃったの。そしたら、寝ようと思って電気を消そうと紐に手を賭けた時に……」
「出たんですか」
「右隣にいたよ。なんんか天井の方見ながら独り言言ってた。宅飲みで広げたオツマミとウイスキーの匂いしかしない部屋ん中で」
「見えてないんですよね?」
「うん。見えても聞こえてもないよ。けど分かんの。だから"第六感"って言葉あるけど、ほんとソレ。眼も耳も、鼻でも何でも感じ取れないんだけど、なぁんかいるのがハッキリ頭の中に浮かぶんだよね」
以来Nさんは、盛り塩を欠かさないし、友達を呼ぶ時は「玄関先の盛り塩は絶対に蹴るな」と厳命するらしい。
「まぁ、なんだかんだ家にいる時間短いのが一番良いかなって。だからやたらと呑屋をはしごしちゃうんですよね」
言いながら笑った。
「つっても、夜の街とかそこらだって、夜中出入りしてたら怖い人とかもいるし、それはそれで何もしてこない幽霊よりおっかないんじゃ」
「ううん。一番怖いのは人間なんて、知らない人は言いますけど得体が何にもわからない奴の方が怖いんだから」
首を竦めて笑ってみせる姿には、やはり気丈さ余りあっていた。
その後に自分は事務所を辞めてしまったため、今も彼女が盛り塩を続けて同じアパートに住んでいるのか、あいかわらず30代後半の女性と同棲しているのか。詳細はわからない。
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