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「依岡君!ちょっといいかな?」
急ぎ足で部署に戻る途中、ひとりの営業部長に引き止められた。
(げっ、最悪…)
思わず顔が引き攣る。ニコニコと愛想笑いを浮かべているが、この上司からの依頼により先日の悪趣味に付き合わされたのだから…
「はい。なんでしょうか?」
幸い隣には桜井がいる。
堂々と変な話を持ち出したりはしないだろう、そう思いたいが嫌な汗が出る。
「いや〜、さっそくI社から君の営業についてお褒めの言葉をいただいてね」
前言撤回。
こいつは桜井がいてもお構いなしだ。
「え。譲さんが?営業をしたんですか?」
「あぁ。彼は優秀だからね。こっちの仕事も手伝ってもらってるんだよ」
「I社へのプレゼン資料はまだ作成中です。いつ、どの商品についての話を?」
俺のことを押し退けて口を出す桜井に生きた心地がしないが、コイツが難色を示すのも無理はない。
他の連中がどう思っているのかは知らないが、営業部そっちのけで話が進んでいるなど普通ならありえない…
「はは。心配しなくとも、依岡君にはちょっとした挨拶に行ってもらっただけだよ。もちろん、他の営業担当者は知ってるよ?」
「譲さん。なんで俺に黙って手伝いなんて」
「……桜井。悪いけど先に戻ってくれ。部長と大事な話があるから」
これ以上は俺が居た堪れない。
桜井は腑に落ちない顔をしているが、すでに休憩時間が終わっている事を理由にすればこの場を去るしかない。
失礼します、と軽く頭を下げ桜井は離れて行った。
「まったく。彼らが頑張らなくても、依岡君のおかげで話がまとまるっていうのにねぇ?」
「そのことですが、部長…」
「これからは是非、依岡君に営業に来てもらえたらって連絡があったよ」
(俺の話を聞く気はないのか!?)
あの無体を強いてきた最低最悪のインポ野郎がいる会社。それを分かっていて上司は、引き続き体を売れと持ち掛けている。
「よっぽど気に入られたんだねぇ。ほんと、私も鼻が高い」
「俺にあそこの営業は向いてませんよ。それに桜井が怪しんだ以上、俺が何度も同じ会社に行くのはおかしいでしょう?」
今後もあの悪趣味に付き合わされるのはゴメンだし、仕事の立場的にも非常に困る。
枕がつく挨拶周りはできても、商品に関する知識は乏しい。そんな俺がしょっちゅうI社へ赴くなど…
「心配はいらんよ。営業部は元々人手が足りないからね。君がここでOKしてくれるなら、すぐ異動の希望を通そう」
「…っ」
ピクリと自分の肩が動いた。
おそらく謙遜じみた態度で断られるだろうと、この男は考えていたのだろう
それに異動希望だと…?
ふざけるな、俺をなんだと思ってやがる。
「さっき一緒にいた桜井とは、先輩後輩のいい仲と聞いたよ。君が不安なら具体的なやり取りの方は、桜井に任せるといい。先輩である依岡君が取ってきた仕事なら、彼も安心だろ?」
「……なぜ、桜井に?」
「そんなの見ていればわかるよ。君が手塩をかけて大事に育てている後輩なんだろ?やや生意気な態度だが…新人が大手企業の契約を任されるなんて、彼にとっても悪い話じゃあない」
じっくりと経験を重ねて仕事をこなすことも大事だが、早くから大きな案件に携わり功績を認められれば、今後の出世に大きく影響してくる。
が、それはI社でなくとも構わない。
「彼はαって聞いていたが能力面では、随分と君に劣るみたいだねぇ。このチャンスを逃したら、次の美味しい話はいつ来るのか…依岡君も心配にならないかい?」
「脅し、ですか?」
「まさか!私は、使えない社員には甘くない、それだけの話さ」
やられた…。
この話を断れば今後、この上司は譲ではなく桜井を標的にするつもりだ…
若い芽の可能性を、ここで潰すか?
そう、譲の手に委ねられていた。
「I社は重要な取引先だ。君が嫌なら、他に適任がいないわけでもないんだが…」
「……会社の廊下でする話じゃないですよね」
「そう睨まないでくれ。私はただ提案してるだけだよ?もちろん、君には相応の特別手当が出るし、悪い話じゃないと思うんだが?」
そういう問題ではない。
枕営業なんて繰り返していれば、遅かれ早かれ桜井だって勘付くだろう。
いいや。気づかなくともそのうち、他の先輩や上司達の愚痴に付き合わされ、譲がやっていることのネタバラシをされる。
これ以上は、限界だ…
「分かりました。そのかわり、一つだけいいですか?」
「ん?なんだね?」
「桜井の教育担当を……有村に一任させてほしいです」
有村と聞いた途端、上司の目が驚いたように見開いた。
「君が何を考えてるのか、僕にはさっぱり理解できないなぁ。あんなに可愛がっている後輩なのに、本当にいいのかい?」
「だからですよ。もう俺は、アイツに教えられることもありません。有村なら適任です」
すべては、俺のためでも会社のためでもない…
だから俺は、桜井正義も
アルファすら、 欲しくない。
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