1個目(21.12.19加筆・修正済)

2/8
165人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
(よぉーく思い出せ、俺) 先方を見送った後、自分の乗るタクシーが中々つかまらなくて…そうだ。「大丈夫ですか?」と、知らない男に声をかけられたんだった。 そして、俺は… 『お前、αか…?』 すっかり千鳥足になっていた譲を心配する声に、そう絡んでしまった。 いくら酔った勢いとはいえ、初対面の人間に第二性を聞くなんぞ失礼どころか、相手に引かれるレベルだ。だと言われても仕方がない。 『はい、αです』 思えば、介抱するための嘘かもしれない。 けど真に受けた譲は、男を口説きまくったあげく、ホテルへ連れ込んで… (うぁあああああーーっ!!まじか、俺……) 失態だった。 「……ほんと、すまん」 αを求めておいてなんだが、譲の第二性は「Ω」ではない。 何処の誰とも知らないし、顔も覚えちゃいないが、こんなβの相手をさせて、本当に申し訳ないと手を合わせる。 男のβであるにもかかわらず、男のαに抱かれたがる悪癖。 生産性のない無駄な行為だと分かっちゃいるが、どうしようもない… (悪い、起きて謝る時間もねぇわ) とにもかくにも、相手の男は起きる気配もないし職場に行かねばならない。 ハンガーラックを見ると丁寧に昨日着ていたスーツとシャツがかけられていた。 珍しく律儀なやつだ。本当に感謝しかない。 『素敵な一夜をありがとうございました』 うん。どんな夜だったか記憶にないが、お互いにスッキリしたはずだろ…。 ありきたりな書置きとホテル代を残し、部屋を後にした。 もう二度と会うことはないはずの男を置いて…。 *   *   *  * (あ―――――――、だっるぅ…) 案の定、遅刻ギリギリの出社だった。 聞きたくもない上司(α様)の愚痴を聞いて、ようやく仕事に専念できると思いきや「依岡さん~!見積もりの金額が合わないんです、すいませんんんん」「担当の佐藤君が休みなのに、問い合わせが…」と、周りの泣き言を助ける役回り。 二日酔いには、中々つらい… (お前ら、忘れてんだろうけど…俺と入社日一緒なんだよなぁぁあ!?) まるで捨てられた子犬のような目を向けてくる社員達だが、譲は役職持ちでもないし、なんならば同じ基本給で雇われている一般社員。 ついでに間もなく昼休み中だというのに、この仕打は泣きたくもなる。 安息の地など、いわゆるブラック企業にはない。 「………、お前らっ…」 いい加減、それくらい覚えたらどうだ!?と言ってしまいたいがぐっと堪える。 「す、すいません…でも、先輩しか頼めそうな人がいなくて…」 定時で帰りたい、困った、もうどうすればいいか分からない等、理由は様々だろうとも彼らだって少なからず必死である。 そして、その顔に譲自身、弱かった… 「わかった。けど、順番に頼む」 色々不満はあれどキリッとしたスマートな笑顔を見せれば、パアァアと悲愴な表情がまるで仏でも見たように明るくなった。 「ありがとうございます!」 軽々しく引き受け甘やかすから良くないなんて、痛いほど分かっている。 けれど、ほっとした安堵の笑みを見るだけで、譲のどうしようもない自尊心が満たされた。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!