6個目

4/4
166人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
「では、俺はもう仕事なので…」 「あぁ。ありがとう、歩」 「また飲みに来てくれると嬉しいです。……今度は、笑ってくださいね」 "余裕のある依岡さんの方が、格好いいですよ". そう軽い別れを告げ、歩は先に店を出て行った。 それからしばらく。ずっと動けず、追加の珈琲を頼み続けては飲んでいた。 (なっさけないな…) 桜井も歩、雅之も、人として大きく成長したのに、自分だけは変われない。 "βでも良かったんです。" 謝罪をしにきた自分が結局、相手に救われようとは…。 スマホを開くと、時刻は予定を過ぎた19時半。 今ごろ、有村と桜井は二人で仲良く飲んでいるだろうか? 着信もメッセージもないのだから、まぁ大丈夫だろう。 (あ、そういえばアイツにも世話になったな) 今ではすっかりセフレのような関係になった楓。 電話を鳴らしてみたが、出ない。 (仕事中か…) そんなことをやっていると、そろそろ閉店の時間だと言われたので大人しく会計をして、外に出る。 新しい安寧の場所は、どこにしよう。 歩が金を受け取らなかった今、他県の離島に行くという手もある。 海がある場所で、誰かと恋に落ちるのもいいかもしれない。 今度は、第一・第二性に囚われることなく…。 (どうせなら、イケメンのαがいいんだが…) こんなことを考えながら一つの角を曲がった瞬間 「、!!…んんっ!?」 突如、後ろから誰かに羽交い絞めにされた。 叫び後を上げようとしたところ、口と鼻を覆うように薬品の付いた布を思いっきり嗅がされて…… ぐらっと、視界が一気に傾く… 強制的に力が入らなくなり、崩れ落ちる体を誰かが強い力で支えた。 「おやすみなさい」 な、んで…? その低い、怒りを含んだ声が―――…。 *  *  *  * 一時間前。 「なんで、お前が一人でいるわけ?」 約束の店で有村を見た瞬間、テンションが一気に下がった。 「どうやら、譲さんにしてやられたようですね」 予約は二人だけで、他の社員も呼ばれていない。 有村も譲の思いがけない行動に苦笑を浮かべている。 その暢気(のんき)さに、チッと舌打ちをし不機嫌極まりない様子を隠しもしない。 どかっと乱暴に席に着けども、よりにもよって愛おしい人に謀れたことに溜息しか出ない。 譲が来ないと分かっていても、苛立ちを収めるために酒を注文する。 「おや、飲むんですか。譲さんが選んだ店だから無下な扱いをしたくないという心構えですか?確かに落ち着いた雰囲気でセンスもある。さすがといった感じですね」 「別に褒めるのはいいけどさ…お前(有村)が譲さんの名前を呼ぶなよ」 「申し訳ございません、つい仕事の癖で…。依岡様は、どうやら桜井様と俺をくっつけようとしてたようですね」 そんなこと知っていた。 ずいぶん前、有村からの報告でΩである事が譲にバレたと受けていたし、自分の新しい教育担当が有村になったのも譲からの推薦でということも確認済みだ。 でも何故、有村と自分を…? 「感動の再会…とは、中々いかなかったようですね」 抜き打ち監査前にとくに問題がありそうな社員の履歴書や今までの評価表を有村にまとめさせたところ、偶然目に入った写真と名前にいてもたってもいられなかった。 その前に街で譲と再会を果たし、抱く事になろうとは予想にもしていなかったが…。 「まさか新人社員として入社された時は驚きました」 「子会社の営業成績が低い、良くない噂が絶えないから見に来たってのに…まさか、譲さんがいるなんてっ…お前…隠してたろ?」 横目で睨むと清々しい笑みを見せる有村。 「いえいえ、まさか。一応、報告書にはあげてましたし、ワザと地味な格好されていたなんて、私も想像もしておりませんでしたので」 「………」 当時、桜井は譲がとある部品製造の工場に就職したとガセネタを掴まされ、そこを重点的に探していた。 こんな身近にいるとも予想せず、確認を怠ったのは桜井の責任だ。 (まぁ、譲さんが桜井様との再会を望んでもなければ、再会を喜んでいなかったようでしたので…少し意地悪はさせていただきましたが) 有村も、譲の枕営業については噂だけで中々証拠が集められず苦労した。 「I社との契約は、打ち切りでよろしいですか?」 「当たり前だろ。あと譲さんに話を持ち掛けた上司らを吊るし上げろ。……あの人が枕した取引先は全部調べて打ち切りにする」 「それは私情が過ぎるのでは?」 窘める有村の声など、気にはしない。 「どの道、今どき枕なんてくだらないことをさせる社員は価値がない。それを受け入れる人間も同罪だ」 自分を大事出来ない人間は、いつか他人に同じことをさせる。 例外はない。 これで合理的に問い詰めることができ、譲の本意を聞くことが許される。 「……そういえば、本日の午後。依岡様が、辞表を提出したそうですよ」 「お前の、そういうところ…本気で嫌い」 一番最初に報告しろ。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!