聖なる夜が終わるとき

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平坦な地を這い、東京へと向かう夜行バス。 ずいぶんと長い時間、外を見ていないので本当に進んでいるのかたまに不安になる。 クリスマスイブの今日、このバスに乗っている客は僕達を含めて数名程度。 僕は今、'たぶんこの空間にいる人達は恋人がいないのだろう'、という勝手な先入観を抱いてしまっている。 もちろん僕にも恋人はおらず、 今、女性と二人で過ごせているのは、クリスマスの予定を埋めるためにと半ば強制的に誘ってくれた君のおかげ。 ただ、それは素直に喜んで良いものなのか、僕にとっては非常に難しいところではある。 君にとっての僕はなんとも思ってないただの友達で、 クリスマスに東京に行こうと言ったのも、今こうしてイヤホンの片方を貸してくれているのも君に悪気がないのはわかっているのだが、 僕は君の隣にこうして座っているだけで、どうしても落ち着かない。 僕にとっての君は特別な存在だから。 イヤホンからクリスマスソングが流れて'君が好きだ'とか言ってる側で、目を閉じて寝息を立てる君。 赤みがかった短い髪と、すっと高い鼻、柔らかそうな唇。 バスがカーブを曲がり、重力に従うよう君の顔が近づく。 あまりにも無防備な表情に、一人で緊張している僕はまた虚しくなった。 積もる想いは僕の中で言葉にならず山のように増えてくだけ。 もし恋人同士だったら今ごろ手を繋いだりしているんだろうか。 繋ぎたい右手がこんなに近くにあるのに、僕は何もできない。 イヤホンを外して、目を閉じた。 ー それからどれくらい経っただろうか。 体感ではおそらく1時間くらい。 ドン!。 という大きな鈍い音と振動で、目を覚ました。 一瞬、痛覚もあったような気がするが、 よく寝たおかげか頭はすっかり冴えているし、体の疲れや、痛かった腰や肩も楽になっている。 「なんの音?。」 隣で寝ていた君も目を覚ました。 前髪を手櫛で整えながら僕を見る君は寝起きなのに美しい。 「わからない。着いたのかな。」 静かすぎるので、どうやらバスは停車しているようだ。 シートベルトを外して、中腰で当たりを見渡すと、他の席には誰も座っていなかった。 「休憩じゃない?。私、ちょっと外の空気吸いに行ってくる。」 「あ、僕も行く。」 君の後ろを付いて行こうとすると、身体がいつもより軽くて、不思議な感覚があった。 「ねえ見て!東京だ。」 バスを降り、君の視線を追うと、そこには夜が輝いていた。 黄色、緑色、白色、無数のイルミネーションが僕達を歓迎しているかのように、一直線に伸びる道にアーチを作っている。 アーチの先には七色にライトアップされた東京タワーも見えた。 「すごい。」 「ね、言ったでしょ、クリスマスって言ったら東京なの。」 自慢げに言う君の表情も輝いて見えて、 僕はその表情を見れただけでも来てよかったと思った。 「でもこういう所ってやっぱ恋人とくるんじゃ…。」 本当はこんな事を言いたいんじゃないのに。 君の隣を歩く自信がない自分が情けない。 「まだ言ってる〜。じゃあ帰る?。」 「帰らないけど。」 「素直でよろしい。」 僕達は光のアーチをくぐって、東京タワーを目指した。 誰もいない、光に包まれた君と僕だけの世界。 君の横顔に見惚れて、君が振り返って、僕は目を逸らす。 悪気なく君は僕の手を引く。僕は君の手の感触を忘れないようにと思っているうちに、イルミネーションなんか見えなくなって。 恋人同士ではないのに、聖なる夜は僕たちを幸せに導いてくれていた。 「東京タワー、私、初めて来た。」 君のクリスマスの予定を埋める役は本当に僕でよかったのだろうか。 君にとって僕はどんな人間なのだろうか。 いくら平気なフリをしても、頭の中ではそんなことばかり考えてしまう。 会話を始めるのは決まって君のほうからで、僕はいつも君に返事をするばかり。 「綺麗だね。」 堂々と七色に光る東京タワーは真っ直ぐ、夜に向かって伸びていた。 君に見つめられるそれが羨ましいとさえ思った。 今日、君の記憶に残るのは僕よりもきっとこの東京タワーなのだろう。 君は大きく深呼吸をする。 夜の空気に白い息が漂い、消えてった。 彼女は東京タワーから目を逸らさずにそっと言葉を漏らした。 「私たちの関係って、どうなんだろう。」 それは突然の事で、 君がどういうつもりで僕にそれを聞いたのかわからなかった。 ー違う。 考えればすぐにわかることだったのに、自信がない僕はわからないフリをした。 「どう、って?。」 「君は私のことどう思ってる?。」 「…友達?。」 僕は情けない。 無理に笑おうとして君の唇が震えたことも分かっていたのに、素直になれなかった。 間違ったらこの世界が終わってしまいそうで。 「そうだよね。」 君が好きなこの気持ちに偽りはないはずなのに。 何がしたいんだろう僕は。 今すぐに光の中に消えてしまいたい。 「星、見えるね。意外と。」 「うん。」 「あっちから見たら私達がいるこの場所も輝いて見えるのかな。」 「どうだろう。」 目の前の景色が薄れてしまうくらいに、僕は君のさっきの台詞ばかりを繰り返し考えてしまっている。 別にこのままこの時間が続いてくれるだけでも幸せなのだけれど。 このままこの時間が続かない事が分かっているから。 「行ってみようよ。」 君が差し出した手に僕が手を重ねると身体がゆっくりと浮き上がった。 僕達はわかっていた。 '東京に着いたにもかかわらず夜が明けていない'事を。 君と目を合わせる。 赤らんだ頬。光る瞳。 君から見た僕はこの時どんな表情をしていただろうか。 風が巻き上がると同時に、僕達は一気に夜空に浮上した。 「うわー、すごい!」 僕達は夜の空に大きく手を広げ、一体となる。 東京タワーよりも高く、東京全体を見下ろせるまで高く。 「ちょっと恐くない?」 風で消されないように声を張って彼女に言葉を伝える。 「男の子なのに情けないよ。ほら、東京ってこんなに明るいんだね。」 「うん。本当だ。」 東京は星空よりも沢山の光で溢れていた。 イルミネーションの光、ビルの光、車の光、家の光。 僕達も今まであの光の中の一部として生きていたんだ。 ここから見ると僕達なんて豆粒くらいちっぽけだったんだな。 「あれってレインボーブリッジ?。すごい、やっぱり大きいね!」 「うん。すごいね。」 「あっちはスカイツリーかな。今私達、スカイツリーより上にいるんだね。」 「本当だ。」 ちっぽけな光の一部のくせに、2文字の言葉すらも言えなかった自分が本当に情けない。 でも、今なら言える気がする。 こんなに綺麗な景色を目の前にしたら、細かい事なんてもうどうでもいい。 僕が意を決した時、 君は僕より先に夜の空気を大きく吸い込んで、吐き出した。 「私はね、君の事、好きだったよ。」 君から言わせた事は恥ずかしかったけど、 君から言われた事が嬉しかった。 「僕も、好きだった。」 ようやく言えたその瞬間に、 夜風が僕達を包み込むように吹いた。 「嬉しい。」 僕達は星の光と街の光に挟まれた夜の空で抱きしめあった。 君の感触は確かにあるのに温もりがどうしても感じられなくて、強く、深く、抱きしめた。 「本当はずっと好きだった。」 「私も。ずっと好きだった。」 僕達が過去形で喋っていたのは、わかっていたからだ。 もう遅いことくらい。 僕達はそっと目を閉じて、 唇を合わせる。 時間が止まったように僕と君の間には静かな空間が生まれ、 人生で一番の幸せな時間が訪れた。 この時間が永遠に続いてほしい。 一緒にいたい。 また来年のクリスマスも。 再来年も。 その先もずっと。 ずっと…。 しかし、その願いも虚しく、 もう一度目を開けた時、そこには光る街も東京タワーも無くなっていた。 静かで薄暗い無機質な病室で、 お父さんやお母さん、大人達がすすり泣く中、僕達二人の波形が短調に鳴り響いていた。 「やっぱり私達って…。」 「…うん。そうみたいだ。」 さっきまで見ていた光景と全く異なる光景に、僕も君も言葉を失う。 分かってはいたけれど、目の当たりにするとやっぱり悲しい。 あそこに寝ている二人は僕と君だ。 浮遊している僕達のほうは指先から少しずつ消えていた。 終わりが近づいている事は嫌でもわかった。 「…来世でも、会えるかな。」 「会いにいくよ。」 「どうやって?。」 「わからないけど。今度はちゃんと僕から言うよ。」 僕は浮遊したまま君を腕で包み込む。 温もりどころか感触すらもなく、まるで空気を掴んでいるよう。 「ありがとう。」 君が見えなくなっていく。 君から見た僕も見えなくなっているのだろう。 聖なる夜が明ける時、 僕達の波形は停止した。
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