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13
薄暗い小さなカラオケルームへ連れ立って入る。防音室なのに隣の歌声が絶えず聞こえている。隣は今月ランキング一位の女性シンガーのラブソングを熱唱していた。
エル字型のソファーに四人バラバラと座った。結斗は一番端に座って、近くにあったタッチパネルのリモコンを手に取った。
「いつも思うけど桃谷さぁ」
「なに?」
「……本当、すげぇコントローラー使いこなしてるよな設定細けぇ」
「え、そうか?」
「曲ごとにキー上げ下げして、スピードも変えるし、桃谷が歌うと全く別の曲になる」
「だって、歌いにくくない?」
「えー、そうか? 音変えて歌う方が難しいけど」
原曲のままでも歌えるけど、どうせなら歌いやすい方がいい。歌手の声マネがしたいわけじゃないし、無理のない音域できれいに歌う方が聴いていて周りも心地いいと思う。
ただのカラオケ。相手なんて意識する必要はないのに変なところでこだわっていた。
昔、音楽をやっていた。多分、結斗なりに音楽と真摯に向き合っていた。先生からすれば、全然出来ていなかったと思う。古典的、型通りを徹底的に教え込まれた。それは結斗にとって苦痛だった。
「きっと慣れ、かな」
「それ、どんな慣れだよ」
いっぱい練習したから覚えている。体が、頭が。
そんな練習は、つまらないし自由がない。押し付けのように感じていた。
けれど、結斗は大きくなっても相手を意識した歌い方は忘れていなかった。少しの綻びが聞く人の違和感になる。楽譜通り正しい音で長さで歌う。
基礎基本の上に自由な表現があるって、今は少しだけ分かる。先生や、あの時の習い事で結斗のことを馬鹿にしていた子たちも基礎基本を理解していた。だからこそ結斗の自由奔放な歌い方が気になって仕方なかったんだろう。
「あ、桃谷『XXXX』のアレンジ歌うの? 今日も録っていい? 動画作りたい」
「いいけど。瀬川、これ好きだよな」
「だって、すげーかっこいいじゃん。今度編集した動画、桃谷も聴いてよ」
「うん」
そう答えながらマイクを握った。
動画と言われて、また純のことを思い出している。
胸がチクりと痛んだ。
何をしていても、どこにいても、いつも絶対に頭のどこかで純のことを考えている。
知っているコードや定番の和音進行が聴こえると、過去に純が鳴らしたピアノの音を思い出す。
(病気かな、多分、依存症。純がいないと生きていけない病気とか)
カラオケ店に入ってから、結構お酒を飲んでいた。
酔ってることを自覚する。
洋楽でも邦楽でもアニソンでも歌はなんでも好きだった。音楽を嫌いになりそうなこともあったけど、今もこうやって楽しく歌っていられるのは純がいたからだ。
――欲しい、欲しくない。会いたい、会いたくない。
そんな、切ない恋心の歌詞。
女性ボーカル曲だがキーもスピードも違う、原曲のイメージは、ほとんど消えている。
歌い終わって画面に採点が表示される。音が外れてなくても、リズムも含めて自分の曲にして歌っているので点数がふるわないのは予想通りだった。
「結斗の歌、まじ泣ける」
「かっけーな、ホントお前の歌好きだわ」
「ありがと、ほら次、瀬川の順番」
マイクを隣の友達に回す。友達の拍手も賞賛の声も全部どうだって良かった。
相手を意識する歌い方は染み付いているのに評価には興味がない。
歌うことは好き。一緒に楽しんでくれたらそれでいいし、自分が楽しければそれでよかった。
百点とか、九十点とか、五十点とか。
ランキングとか。
順番なんて、どうでもいい。
一番欲しい評価は手に入っているから。純が喜んでくれたら、それでいい。一番嬉しい。
その瞬間、会いたくないが、会いたいに変わった。
あんなに、純の家へ行くのを躊躇していたのに。
カラオケがお開きになり、その場で友人と別れた。
一人で帰りの電車に乗っているとスマホに純からメッセージが届いた。猫だの犬だのスタンプで事足りる連絡も純は律儀にいつも全部文字で送ってくる。
――今どこ?
――電車乗ってる。帰るとこ。
――そう、今日はうち来るの?
純の返信を見て少し考える。あまり強くもないのに結構酒を飲んでしまい、だいぶ酔っていた。自分の家にこのまま帰ったら母親に怒られることは明白だった。元々、今から純の家に行くつもりだったし今日は泊めてもらおうと思った。証拠隠滅。
――ねぇ、今日泊めてくれない?
――お酒飲んでるでしょう。
(何でわかるんだよ)
――うん。今日は帰りたくない。
――(驚く猫のスタンプ)
「どういうこと?」
思わず電車のなかで声を出してしまい周りの注目を集めてしまった。
今まで一度だってスタンプを送ってきたことがなかったのに純がスタンプで返事をしてきた。返事の手が止まる。
何も返さずにいたら文章が続いた。
――気をつけて、酔ってるなら坂で転けないように足元ちゃんと見て歩くこと。
(だから、なんで子供扱いなんだよ)
それには怒った猫のスタンプを、すぐに返しておいた。
* *
純の家に気分良く酒酔い状態のまま着いたとき、純は地下の自室でアルコール度数の高い缶チューハイを飲んでいた。驚いた結斗が入り口に突っ立ったままでいると、ソファーから、ひらひらと手を振られた。
(どういうことですかね?)
結斗は、純が一人で、しかも自室で酒を飲んでいるところを初めてみた。
床の上には無造作にコンビニの袋が置いていたが、近くにはポテチもスルメもない。酒オンリーだった。そんな無茶苦茶な飲み方をする男じゃなかった。食事と一緒に酒を楽しむ程度。
「おかえり。結斗やっぱり酔ってるし、ちゃんと水飲みなよ」
「いやいや、酔ってるのお前じゃん。純こそ水飲めよ」
「そんなに酔ってないよ」
純は、いつになく上機嫌で笑っていた。さっき送られてきた猫のスタンプは、酒のせいだったのかもしれない。
「純、別に飲むのは良いけど、なんか食いながら飲めって悪酔いするだろ。なんか作ろうか? 腹減ってる?」
言いながら結斗は水を取りに行こうとする。
「ゆーい」
純に、おいでおいでと手招きされる。結斗は仕方なく言われるまま、そばまで行くと唐突に手を握られた。右手同士指を組むみたいに。
「なんだよ」
「酔った」
「はぁ?」
「だから、そばにいてよ結斗」
ぽんぽんとソファーの横を叩き隣に座るように言われる。
(……マジで、どうしたの?)
らしくない純の不可解な行動に戸惑っていた。普段は酔わない純をみて心配になる。
由美子さんに純のことをよろしくと頼まれていたし、自分がそばにいたのに純に何かあってはいけない。一気に酔いがさめた。
お互いがお互いの面倒をみないとって思っていた。
純がつらいときは自分が助けるし、自分がつらいときは純が助けてくれる。
今は自分が純を助ける番だ。
普段から純には面倒をかけてばっかりだったので、立場が逆になって甘えられるとちょっと嬉しい。いや、すごく嬉しい。
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