1 怪物の子孫

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 8本か10本ぐらいの足をもつ昆虫が、穴のふちを歩いていた。なにかいい匂いがするらしく、引き寄せられるようにノソノソと歩いている。しかし、そこは絶対に歩いてはだめな場所なのだ。もしも、その穴に落ちたら、二度と上がってこれない。穴の底にたまった液体に、チクチクと肌を焼かれ、ドロドロに溶かされ、甘いゼリーに変えられて、穴の主に吸収されてしまう。手も足もなくなり、分解されて、栄養にかえられてしまう。だから、虫は絶対に穴に落ちてはいけないのだ。なのに、その虫は、甘い匂いにつられていっこうに穴のふちから離れない。離れられない。  そのとき、誰かが菜箸のような長い棒で虫のお尻を、穴底の方へとつつき始めた。ビックリした虫は慌てて、穴から離れようとするが、それを妨げるようにして誰かが箸でつつきつづける。虫が穴に落ちるように、いじわるく、箸で虫をつつき続けるのだ。やがて、足を滑らせた虫は、ポトリ、穴に落ちた。その穴はウツボカヅラと呼ばれる食虫植物の穴であった。緑色の、産毛の生えた袋をもつ、気味の悪い植物だ。袋の産毛の感じは、毒蜘蛛のフサフサの素肌に似ていて、それだけでも十分に背筋が寒くなるのだが、それに加えて、穴のふちが血をべったり塗ったように赤く、しかも、ふちから袋の底に向かって毛細血管のような赤い葉脈が走っているのだ。あぁ、なんて気持ち悪い植物であろうか。その植物は、トラップにかかった虫を袋の中にとじこめる。中に溜まった消化液で獲物をゆっくりと殺し、肉を発酵させ、養分に変えて、エサにするのだ。袋は虫の背丈よりももっと深く、内側にはひっかかる場所もないので、虫は外にでようと袋の壁をのぼろうとしても無駄なのだ。無理してのぼろうとあがくと、足をすべらせて背中から底のプールにぽちゃんと浸かってしまう。それでも、死にたくない虫は、壁をのぼることをあきらめない。そしてまた、ぽちゃんと液につかる。そうこうしている間に、全身に消化液がまとわりつき、消化されやすくなってしまう。あがけばあがくほど、消化を助けてしまうのだが、死にたくない虫は、延々と壁をのぼりつづける。そうしている間に、足の先が液でとかされてなくなり、大事な触覚も溶け落ちて方向を見失い、体を守る殻がやぶられ肉が露出し、そして、そして、ぽてんと腹ばいになり、たくさんの足が朦朧と動いていたかと思うと、ピタリと動かなくなった。
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