7章 永遠の瓶 前編

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『折り入ってご相談したいことがございます。大変恐縮ではございますが、椿さんにはご内密にお願いできますでしょうか。隙間時間でも構いませんのでどうかお願い致します』  思いもよらない相手からのメッセージをよりにもよって会議前に気付いた。たっぷり動揺する暇もなく、意識を切り替える必要があった。 「あー……、では。集まったようなので始めましょうか」  生徒会室に隣接する会議室には、各クラスの文化祭実行委員が集まっている。パンフレットを配りながら座る場所を支持するのは五十嵐さんと澪さんの女性陣。残る男性陣で働き者は砂川君だけである。彼は背伸びをしながらホワイトボードに議題を書き込んでいた。安藤は一年生の女子に気安く声を掛けては笑いのさざ波を端から端まで起こしている。雰囲気が和らぐのはいいが、遊んでいる様にしか見えない。そして、一番の問題児は仲間意識の薄い日垣君。自称俺の「顔」の「ファン」である彼は相変わらずお客様気取りでスケッチをしている。盗撮ならぬ盗写? をされているが、あまり構わないようにするのがベストと心得る。あとできっちり仕事を振ってやろう。そう心に決めて会議を進めた。  仕事は多岐にわたっている。各催し物のスケジュール管理も当然ながら、駐車場となる第二グラウンドの交通整備。来賓への案内に受付、ポスターの掲示を協力してくれるお店を回らなければいけないし、当日の騒音に供えてご近所への挨拶もすべきだ。割り振りは既にされているが、進捗状況や問題点などを詰めていく必要があった。  話し合いは粛々と進み、最後の議題に移っていく。  ふとした隙間に甦るのは今朝の氷室さんだった。それから今しがた目にした縞さんからのメッセージ。決して示し合わせているわけではないだろうが、どちらも特定の人物には内緒で俺と話がしたいと言ってきている。不穏でしかない。正直言って文化祭なんかよりも気になっている。   「あ、あのぉ、いいですか?」 「はい、どうぞ」  最後の議題に移ろうとした時、一年生の女子が控えめに手を挙げた。両隣に座る女子と仲間らしく、三人で目線を合わせて軽く頷き合っていた。声を掛けるタイミングを計って緊張していたのだろう。 「じ、実は、去年、迷惑だったと、騒音を不快に思ってるおじいさんがいて」  手を挙げた女子がたどたどしくそう言うと、左右の女子も「運動場裏の家です」「去年のロックバンドのことを言ってるみたいです」と補足した。  あぁ、と俺は去年の記憶を引っ張りながら納得する。直接ステージを見たわけではないが、途中で教師が介入して中断させられたと聞く。あまりの熱気に体調不良を訴える生徒もいたとか。 「ひょっとして乱暴な言い方をされましたか?」  三人の女子は返事の代わりに分かりやすく目で訴えてきた。 「すみません、嫌な思いをさせましたね」  想像を働かせれば、そういう声があってもおかしくなかった。例年通りに仕事を割り振ったが、もっと配慮すべきだった。 「今日にでもそのお宅に行って改めて挨拶してきますね」 「俺も行く!」  意気揚々と名乗り出たのは安藤だった。少々意外に思って驚いていると、「お前にだけいい格好させられるか」と耳打ちしてきた。くだらない。 「俺もお供します」  そして、柄にもないことを言い出す外野が一人。安藤とは違う下心であるのは間違いない。精一杯の笑みを張り付けたまま、日垣君のいる後方へ顔を向ける。 「いえ、他にもやるべきことがあるので俺一人で十分ですよ。日垣君には、交通整備を任せようかな」  軽快なリズムで鉛筆を走らせていた彼は、ぴたりと動きを止めて俺のことを凝視してきた。  交通整備はちょうど次の議題にのぼる。大して難しいことでもないので、彼を責任者にしてしまおう。ようは、ここが駐車場ですと分かる看板を立て、白線ラインをひき、当日は車の誘導をするという地味だが大切な仕事。 「お願いしますね」  聞こえているのかいないのか。日垣君は眠たそうな眼をひたすらこちらへ向けるだけで、返事らしい返事がない。表情筋も死んでいるし。 「……聞こえてる?」  さすがに心配になって手を振ってみると、重たそうな瞼が持ち上がった。 「すみません。会長の顔面に見惚れてました。俺に何か話してました?」  こういう時に限って雑談する声はなく、日垣君のすっとぼけた声はよく聞こえた。くすくすと笑いだす安藤につられて、きゃぁきゃぁと妙な騒ぎ方をする女子がちらほらいた。「あの噂って本当だったんだ」「日垣先輩ってやっぱりそうなんだ」「リアルだ」「がちだ」と、変な誤解が加速するのを肌で感じた。迷惑である。ただ、こそこそ喋りあっている女子を捕まえては否定をするほど暇でもないし、逆に怪しまれる可能性があるので放置している。 「日垣君には、第二グラウンドの交通整備を任せます」 「えっ、それって、代わりに俺のお願いもきいてもらえます?」  これはいつもの切り返しだった。動揺はしないが、腹が立たないわけではない。 「会長の一日を俺に下さい」 「……お断りします」 「なら半日! 三時間! いやこのさい一時間でも我慢しますっ」 「次の議題にいきましょう。安藤、進めてくれ」 「え~、俺も深雪のお願いいっぱい叶えてやってるからぁ、一日くらいデートしてくれてもよくなぁい?」  うっかり舌打ちしそうになった。せっかくこの馬鹿馬鹿しい流れを変えようとしたのに、安藤に玩具を与えた気分だ。 「え! それならそれなら、うちの龍ちゃんだっていっぱい王司先輩のお役に立ってるでしょ! 龍ちゃんともデートして下さい!」 「み、澪ちゃん!? なっ、ななな、なに、っ……ゴホゴホッ」  安藤にも劣らないお調子者の澪さんはよく冗談を交えて砂川君をいじる。可哀想に、注目を浴びて一気に頬を火照らせ、しまいには咽てしまっている。周囲の勝手に翻弄される者同士、親近感をもって砂川君に「大丈夫?」と声を掛けた。すると、雷にでも打たれたように背筋をぴっと伸ばし、ホワイトボードの後ろへ隠れた。と思ったら「ト、トイレ失礼します!」と叫んで会議室から出て行ってしまった。 「あはは、やりすぎちゃった。ごめん、ちょっと謝ってきまーす」  大笑いしているあたり反省しているようには見えないが、飛行機みたく両手をぴっと広げて澪さんも出て行った。そんな子供っぽい仕草をしても多くの生徒には「あの先輩可愛いよね」「読モやってるんでしょ」と羨望の眼差しを向けていた。 「くだらない」  会議が止まって苛立ちを見せ始めた五十嵐さんをのぞいて。 「俺の本命は愛ちゃんだよ」 「くだらない」  安藤が何を言っても「くだらない」で一刀両断する五十嵐さんは、俺から見てカッコイイ女子だった。  こうして横道にそれつつも会議は無事に終わった。  トイレへ行ったまま姿を消した砂川君のことだけは気になったが、最低限のことを済ませて俺は学校を後にした。ふらふらといなくなる安藤は結局放置して、一人で件のご近所へ挨拶に向かった。確かに神経質そうなおじいさんではあったが、当日のスケジュール表を見せながらこの時間だけどうかお許しくださいと丁寧に説明し、文化祭で使える食券を渡せば不承不承ながら受け取り、最後には笑顔を見せてくれた。  これで一応解決。  真白君を迎えに行くバスの中で、縞さんへの返事をじっくり考えた。 『もちろん構いません。ただ、お急ぎでなければ文化祭が終わるまで待って頂けませんか』  迷ったが今は文化祭のことで精一杯である。  ごめん縞さん、と思いながらメッセージを送ると、ちょうど計ったようなタイミングで父からメッセージが届いた。これで父の未読メッセージは二ケタに突入した。そろそろ既読してもいいか。 『深雪、文化祭楽しみだね! 真白君と一緒に行くからねっ』 『深雪、週末遊びに行ってもいいかい?』 『深雪、返事がないのは元気な証拠だっていうけど、寂しいな』 『深雪に会いたすぎて、今夜行っちゃうかも』 『深雪、すまない。今夜は行けそうもない。縞が許してくれないんだ。残念だ』 『毎晩夢の中では会えているけど、それでも夢と生の深雪は違うからね』  気色悪いな。  父の番号ごとスマホから抹消してやろうかと久々に思ったが、最後の呟きに目が留まった。 『縞に女が出来たかもしれない、心配だ』    
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