1章 氷と雪の王子さま

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 姉は不器用だが、決してだらしがないわけではない。部屋も一見、整っている様に見える。足の踏み場だってあるし、ゴミや脱いだ服が散らかっているわけでもない。なのに、雑然として見えるのはなぜか。分かっている。  それは「ときめく」ものを求め続けた結果である、と。  まずはぬいぐるみの群生地となったベッド。唯一の明り取りである窓にはステンドグラス風のフィルムが張ってある。幻想的ではあるが、真似したくはない。その窓枠には歴代の彼氏に送られたというスノードームが未練たらしく並べてあった。計6個。先月から増えていない。  どうも、恋人記念に必ず彼氏にねだるアイテムらしい。キッカケはとある小説だと言うが、聞き流しているので詳細は忘れた。ちなみに、ここへ越してから始まった儀式である。 「姉さん、またこんなに買って」  一番問題視すべきは机だった。姉にとって目新しい文房具は「ときめく」ものに分類される。とにかく単色ではなくカラフルな色が揃っているのが好きで、ペンはケース買い必須。例え同じメーカーのものでも、限定デザインが出れば当然買う。透明なペンスタンドに差し、その周りにも小学生が好みそうな文房具を並べている。ネイルに見立てた蛍光ペン、ラッコを模したステープラー、桜柄のメモパットやシール、ポストイットの種類には辟易させられる。 「あ、そうだ! みーくんがね、喜びそうなの見つけたんだよー、確かー、ええと」  俺の監視の下でクローゼットの整理をしていた姉は、気まずさを誤魔化すようにこちらへ飛んできた。抽斗に手をかけ、ガタガタ揺らす。建てつけが悪いのではなく、中に物を詰め込みすぎ。  案の定、開くと同時に何かが俺のつま先へ落ちてきた。リボン型のポストイットを拾うが、「はい!」と手渡されたのはクリップの入ったケース。 「猫ちゃんの肉球クリップ。可愛いでしょ?」 「……まぁ、……もらっておくけど」  やっぱりね、と言われて悔しかったが、何食わぬ顔でデニムのポケットへ突っ込む。 「ほら続きするよ。これとこれはもう着ないよ。これもいいね」 「えー、あー、うーん。そうねぇ」  コーラルピンクのマフラーを腕に引っかけ、サックス色のダッフルコート、オフホワイトのワンピースにマスタード色のダウンジャケットを取る。それらを一旦ベッドへ放り、残りの冬服を探す。手洗いできるものはいいが、クリーニングに持っていくので漏れなく終わらせたい。 「クリーム色のカーディガンあったよね。あれでもう充分だし、パーカーならたくさんあるでしょ。薄手のニットも二枚残しておくから」 「あー、うー……うん」  ハンガーを滑らせるようにめくっていると、姉が背伸びをして落ち着かない様子をみせる。実に怪しい。 (見られちゃ不味いものがあるんだな)  別に、姉が何にどうお金を使おうが構わない。生活には困ってないし、何より稼いでいるのは姉。ただ、それにしては明らかに見覚えのないアイテムが多い。クローゼットの上部には、シーズンオフの靴やバッグが収納されている。そこに、ハイブランドと思しき箱が……。   「このスカート、色違いで三枚も買ったの? それに上のあれって靴? 見たことない箱だね」 「あ、あ、それはー、そのー、だからガス抜きなの!」 (あの男か) 「いらないって言ったのに、似合うからってパパ勝手にどんどん買っちゃうの! 一目惚れした服はね、色違いでまとめて買うのが当たり前なんだって」 (ふざけている) 「それにさー、あんな黒服でビシーッて決めてる店員さんに返品してよ、なんて言えないじゃない!? 恥ずかしいよ! 言えないでしょ! 言えないわよねぇっ!?」  驚いた。まさかの逆切れだ。 「あー、別に怒ってないから」  うんうんと頷きながら腰を下ろし、今度は衣装ケースをチェック。一番上は下着だが、普段から洗濯をしているので何の躊躇もない。未だに恥ずかしがっているのは姉だ。なのに、自分でやろうとはせず、豊満な胸を支える下着はランドリールームに積み上げられていく。やるしかないだろ。 「きゃ、それはええとね、春には彼氏が出来ますようにって願掛けで、買ったブラなの! まだ着けてないんだからね」 「あぁそう。ていうかわざわざ買わなくたっていいのに」  冬物の肌着、腹巻や毛糸のパンツをさくさく取り出しながら姉の相手を続ける。別に真新しい下着に目など留めてなかったが自己申告で判明した。 「そんな、だめだめ! 初デートには初めての下着じゃなきゃ駄目なの! 女の子はね、下着が命なの、大事なんだからとっても」 「あぁそう。でもね、増やすならどれか一つ捨てないと。あー、確かこのオレンジ色の、フックの辺り、生地が薄くなってた。そろそろ捨て時」 「だめ! これは、だめなの! 思い出がいっぱい詰まってるの! 初めて半年以上付き合えた時、記念に買ったの!」  そして結局振られているのに、なぜ記念品だと言える。 「それに、ほら、胃もたれした時にはさ、こーゆー緩いのが必要なんだって」  俺に捨てられまいと問題の下着を抱きしめると、「みーくんは失恋したことがないから分からないよっ」とやや本気で怒鳴られた。 「姉さん、物を大事にするのはいいけど、溜めこみ過ぎだよ。引っ越した時に宣言してたじゃない」  姉の断捨離意欲を呼び覚ますには、また引っ越しをするしかないのだろうか。とりあえず、現実的に難しい方法なのでこうしてチクチク言うほかない。続けて嫌味をお見舞いしようとしたが、インターホンが鳴り響いた。 「あ、誰か来たみたい。お姉ちゃん出る!」 「あ、うん。よろし……、あっ、姉さん下着っ」  逃げる口実を得て早々に身を翻した姉は、玄関に飛んで行った。その手に、半年記念を持ったまま。 (ま、気付くか)  さすがに下着を持ったまま玄関を開ける間抜けではない。それよりも今のうちに済ませてしまおう。  衣装ケースの二段目、三段目を物色する。冬物と春物を入れ替え、これから使う頻度が高いスプリングコートやストールはクローゼットの右側へ寄せておく。毎年使う白のショルダーバッグも出しておこう。どうせ「どこにしまったけー」と聞かれるのだから。  続けて自分の部屋へ移動する。姉と全く同じ間取りではあるが、必要最低限のものしか置かないのでずいぶん広く感じる。ベッド、机、本棚にクローゼット。机の上はいつでもすぐ、ノートが開けるよう保っている。あるべき姿だ。  (さて、そろそろ買い出しに行くかな)  ものの数分で自分の作業は終了し、出掛ける準備を始める。薄手のパーカーを羽織り、中学の進学祝いに母が買ってくれたショルダーバッグを斜め掛けする。机に伏せたままだったスマホを今日初めてチェックすると、あの男からうんざりするほどメッセージが届いていた。 <おはよう深雪><今日はいい天気だね。きっと素晴らしい一日になるよ><そうだ、パパテレビに出るから観てね><深雪の好きなお肉、たくさん持っていくよ><実は、今日の深雪のラッキーアイテムは、な、な、なんと、すき焼きなんだよ!><椿ちゃんはマカロン。かわいい><ちなみにラッキーカラーはレッド。赤だよ!><椿ちゃんはオレンジ。橙!><パパはピンク! 桜色><お花見に行きたいなぁ? (^^)>  未読メッセージの数字をリセットしたくて開いたが、即座に後悔。先程の怒りが甦る。 (くそっ、落ち着け俺)  美味しいお肉の為だと言い聞かせ、姉の「ガス抜き」発言を理由に結びつけた。だからしょうがないんだ。  と、ここで何か、うっかり忘れているような気がした。 「あっ」  そうだ、誰か家に訪ねてきたのだ。 (え? あれから五分以上経ってないか?)  休みの日だろうと腕時計を身に着けている。確認しながらリビングへ出て辺りを見渡すが、姉の姿はやはりない。まさかまだ応対中?  廊下を覗くと思った通り、玄関先にいた。しかし、どうも様子がおかしい。壁に寄りかかり、胸の前で手を交差し、うっとりと天井を見上げていた。
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