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「あ、おかえりなさ~い、お邪魔してま~す、初めまして~」
夕方前。
バイトが早めに終わり、自宅に帰ると玄関に見覚えの無い五歳児くらいの小さな黒い革靴が俺のスニーカーの隣に揃えて置かれていた。そして居間の方から聞こえてくる変な順番の挨拶。
新種の泥棒か?!
そっと下駄箱の奥に隠してあった護身兼用のバットを手に奥に進む。
ガチャッーー!!
勢いよくドアを開け、先手必勝で構えた俺に、そいつは弱々しく丸まり小さな叫び声をあげた。
「ひいぃ~!!思ったより好戦的!!」
「……」
「挨拶したのに意外と好戦的!!」
そこにいたのは漢字の密がコタツに入って温まっている姿だった。
「え、何?お前、誰?」
当たり前の疑問を投げ掛けると、今度は“密”がキョトン(としたような)雰囲気を出した。
「え?僕のこと知りません?(笑) 一応、2020年の漢字の顔張らせてもろうた『密』ですけど……。お兄さん、ニュースとかあんま見ない感じ?」
こいつ、“密”の真ん中、“必”の部分を器用に動かしながら意外と流暢に喋る。そこが口なのかと思わせる上に、仄かにウザさも混ぜてきやがるーー。
「いや、そういうこと言ってんじゃねぇし……」
「あ、何で中に入れたかって?(笑) そりゃ兄さんも悪いでっせ!今時、植木鉢の下に合鍵置いとくとか誘い受けですやん(笑)」
思ったほど俺に怒られなかったのを見て好機と判断したのか、出ていく所か、やれやれ感を出し、再びコタツ布団をどうにか被ろうとウネウネする密。
いや、コイツ、誰だよーー。
俺は静かに“密”に覆い被さった。
「もういいって。俺バイト上がりで疲れてるし、さっさと脱げ!こんなことするの田中か菊池くらいか?どこだ、ファスナー」
「あぁ~!!兄さん、止めてや~!!ウ冠が外れますやんか~!!」
ペタペタとまさぐり、ファスナーや繋ぎ目をどうにか探し当てようとするが、そういった物や縫い跡的な物が見えず、代わりに何か手先に違和感を覚えて、俺はそっと指先を見た。
「だぁーー!!手がぁああ!!」
「あ~、すんません、一応ゴシック体でやらせてもろうてるんで……!あんま触られるとインク色移りしちゃうというか……あ、フォントサイズとかは恥ずかしいんで勘弁して下さい(笑)」
キッチンに向かい、指先についた黒ずみを洗い流している間に“密”は完全にコタツにおけるベストポジションを確保し、“必”を折り曲げてコタツに突っ伏した。
「なんや、今年の漢字に選ばれて喜んどったのも束の間。どこ行っても、こっち来んなの一点張りで寂しいですわ、兄さん……。自分、ウイルスでは無いんすよ?」
いや、兄さんって呼ぶなよーー。
“密”は物悲しそうに語りながら、“必”の外側部分の点からポツン、ポツンと水を垂らした。
泣いてるのか?
……というか、そこが目なのか?はひとまず置き、……というかーー
「オイオイオイ!!待て待て!!泣くな!!インクが溶けて机に黒いの染み出ちゃってるだろ!!」
せっかく洗った指先を乾かす間もなく、慌てて“密”の体(らしきもの)を持ち上げ起こしたので俺の手は再び黒く染まり、自然と口先から舌打ちが生まれる。
「お前、何がしたいんだよ……!」
「あ、すんません……」
二度目の手洗いをしながらケンケンとした声で問い掛けると、“密”はシクシクとA4コピー用紙をハンカチ代わりに語り始めた……。
※ ※ ※ ※
「自分、今までは親友の“集”や、ご近所の“閉”さん、気になる女“接っちゃん”とかと仲良くやってきたんす。でも自分が2020年に急に注目され始めてから、“3密”とか言われて引き離されて……」
「どこにも置いてくれへんし、見つかったら石投げられたりもして、一人流浪の身で空き家探してはフラフラしてる間に関西弁マスターしてもうて……で、人恋しくなったら植木鉢独身兄さん見つけたからに……。すんません」
話、はしょりすぎだろ、コイツーー。
微妙にディスってるし……と内心思ったが、少し同情心が芽生えてしまったのもまた事実だった。
「居場所が無いのは……辛いわな」
「え……」
自分も学生の頃は親が転勤族で学校を転々とし、大人になってからも配置変え等で一つの場所に腰を据えて取り組めるということが無かったのが響いたのかもしれない。
「お前と俺の二人なら、密にならねぇんじゃねぇの……? いや、お前は密なんだけど、五人以下ならギリセーフの風潮あるし」
「兄さん……あんた……」
そうして密に絆されかけた時ーー
ピンポーン
と、唐突にインターホンが鳴った。
「あ、忘れとった!いかんなぁ、歳取ったら涙もろうなるんに加えて忘れっぽうもなる」
「あ!おい!勝手に出るな!」
「いけます!自分の友達なんで!」
「いや、そういう問題じゃ……!」
密は空気お構いなしにバッと立ち上がると、“密”の下、山の部分でテケテケと走り出し、我先にと玄関へと向かった。
「ちわ~っす」
「おぉ~!よぉ来たなぁ!今めっちゃ気の良い兄さんがおってな?!」
「そうなんス?」
一漢字受け入れたら、一つも二つも同じか……。
少しの諦念と受容心を持ち、密より少し遅れて俺も玄関へと向かい、そっとその場を覗き込んだ。
「あ、ども兄さん。“禍”っス」
「いや!!お前は、ダメだろっ!!」
その日、俺は一番大きな声を上げて玄関を閉めた。
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