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あ、と思った時には手遅れだった。人より色素の薄い瞳からじわりと湧き出たそれは、ついに一粒の滴として滑らかな頬を滑り落ちた。挙げかけた右腕を自分の意志で抑えつける。目敏い彼女は、見逃してくれない。
「ひどい人」
震える声を紡ぐ人工的な赤は、いつか「白い肌によく映える」と褒めた気がする。
「うん」
そんなの嘘だ。嘘だった。生々しく主張する色より、自然な色の方がよく似合う。流行りの真紅より、潤いを与えるだけのピンク。糊で固められた睫毛より、蜂蜜色の瞳に自分が映るのを見たかった。
「連絡先、ちゃんと消しますから」
慣れた手つきでスマホを操作する指が、目の前に立つ姿が、心細くて痛々しい。当然だ。悲しくて、辛くて、苦しい。お互い様。お別れって、そんなものだ。
互いに連絡リストから自分の名前が消えているのを確認し合えば、おしまいになる。
「あの」
目があったのは、久しぶりに名前を呼ばれたからだった。先程までのような緊張感も気負いも感じさせず、ストレートにこちらの鼓膜を震わせてきた。いつか「この落ち着いたアルトが好きだ」と、語ったことがある。
「お幸せに」
怒りも悲しみも苦しみも見せず、素直に言われた。こういう時は確か、と覗き込んだのは無意識だった。以前よりは糊が薄くなった目元の奥、優しい色を見つけた時の喜びを、今でも思い出せる。そして、そこには…
「ありがとうございました」
まばたきをして、頭を下げられてしまうと、もう確認のしようがない。
自分は彼女に、何と返したのだろう。「ああ」か、「こちらこそ」か。それとも、何も言えなかったか。
滲んでしまった世界の先に、小さな背中はもう見つけられない。だって、悲しくて、辛くて、苦しいから。お互い様、と思いたい。お別れって、そんなものだろうと嗤ってやりたい。
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