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翌日は、昼までベッドで過ごした。外は薄暗く、一日中雨の音が聴こえていた。ぶかぶかの健太の服を着て、窓際に立つ私を彼が後ろから抱きしめる。 「迷うと思う」 『え?』 「だけど俺は…今だけじゃなくて、明日も明後日も…一年後も、できればその先も…チコと一緒にいたいって思ってる」 健太は一本の鍵を私に預けた。 「ここの鍵。夜、店に届けにきて。その時に返事聞かせて。もう俺に会いたくないって思ったら、誰かに預けてもらって構わないから」 健太は仕込みがあるからと少し早く家を出た。私はずいぶん長い時間、手の中にある鍵を眺めていたと思う。人には気を付けろ、みたいな事を言うくせに、健太も大概。出会ったばかりのツーリストに大事な鍵を預けちゃうんだから。 今日は9月2日。私がキューバで過ごす最後の夜。 健太の服を着たまま、だらだらと時間が過ぎていく。とりあえず、荷物をまとめなくちゃ。 あまり広くない部屋の真ん中で、ガバッと広げた真っ赤なスーツケース。希望と期待を詰め込んでここまでやってきたスーツケースは、燃えるような情熱的な色をして、今は健太の生活の中心で広がっている。 中身はぐちゃぐちゃ。私は一つひとつ丁寧に、ゆっくりと、収まるべき場所を確認しながら詰め込んでいった。自分の気持ちと重ね合いながら。 ほとんど準備を終え、家を出る。日本に持ち帰りたくなかった前の男への贈り物を手に持って、傘を差して路地を歩く。 店に向かって歩いているのに、まだ私は迷っていた。この鍵を健太に渡すか、預けるか。そんな事をずっと考えていたら、あっという間に店の前に着いてしまった。 『あれ…なんかパーティ…?』 ガラス窓から見えた店内が、軽く飾り付けられている気がした。少し入りづらさを感じていたら、陽気な2人組が中から肩を組んで出てきた。 「チコ~!!」 ルイス&アンディ兄弟だった。2人は嬉しそうに駆け寄ってきて、私はそれぞれとハグをした。 ルイスがまた早口でスペイン語を繰り出してきた。ところどころに”ケンタ”と言いながら。 「¿Estás aquí para celebrar?」 『えっと…』 誰かのお祝い? 「Cumpleaños de Kenta!」 ケンタの……誕生日…?健太の誕生日?! 『今日って健太の誕生日なの?!』 興奮のまま日本語でまくし立てたら、ルイス兄弟は顔を傾げながら、私の持つ紙袋を指差した。 “それはプレゼントじゃないのか?” 『Te daré!』 私はもっていた袋を”あげる”とルイスに押し付けて、その勢いのまま店内へ駆けて行った。 『健太!』 輪の中心に健太はいた。私の声に反応して振り返って、満面の笑みを浮かべる。私の来訪が嬉しくて嬉しくて仕方ないって顔。 “おいで”と手招きされて、私は健太に向かって一直線。両手を広げて待っててくれるから、私は迷う事なくその胸に飛び込んだ。 『もぉ!誕生日なら言ってよ!』 「言ったらそれをエサに来させたみたいになるだろー」 カリビアンな音楽が鳴り響き、酔いに任せてサルサとかタンゴとか踊らされ、まだ私は息が上がったまま。しっかりと指を絡ませて手を繋ぎ、上がった息のまま彼の部屋へ一緒に帰る。 「来なかったらどうしようかと思ったわー」 『ギリギリまで迷ってたんだけど…』 「決め手は?」 『笑顔』 「笑顔?」 『そう、健太の笑顔。嘘がなくて、好き。私を見つけた時に嬉しそうに笑ってくれたでしょ?あれ見て”やられた~”って感じ』 「そ?俺は今やられてる~って感じ」 水着の跡に沿って舌が這い、隠れていた部分ばっかり彼は攻め立てる。動きに合わせて軋むベッドの音も、甘く漏れる彼の吐息も、切なげに歪む顔も、全部全部覚えておこうと思う。 『もう誕生日終わっちゃったね…』 時刻は午前2時を過ぎたとこ。 「日本時間ならまだ2日だよ」 『そっか!まだ昼前だね。じゃあ…もう一度。健太、お誕生日おめでとう』 私は彼に、キスをした。 「ありがと」 健太に抱きしめられながら、9月2日がなんの日か興味本意で調べてみた。   『ねぇ、宝くじの日だって』 「へぇ、今年当たり年じゃん」   それって私のこと?ふふっと笑ったら、背後からも同じようにふふっと聞こえる。 『あ、健太が産まれてから今日で12054日だって。すごーい』 あれ、いちまん…にせん…。どっかで聞いたような…。 「どうした?」 『1万2千って数字…どこかで…』 「あぁ…チコが移動した距離だろ。たしかそんなこと叫んでた気がする」 “振られるために1万2千キロも飛んできたわけじゃない” 「やっぱさぁ…」 『え?』 「チコは最初から俺に会いにきたんだと思うんだよな」 『え?』 「だから、俺が生きてきた日数と同じだけ移動して、俺に会いにきたんだよ。最初から、俺の誕生日祝うつもりだったろ?」   なにそれ、ちょっと笑っちゃう。だけど、泣いちゃうくらい素敵なストーリー。 「だから泣くなって。目腫れるぞ」 『いい、サングラス掛けて帰るもん』 「……まぁいっかぁ…俺いるし」 そうだよ。もう1人で歩かないもん。
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