-サフィールからアオイ-

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ガタン!派手な物音に思わず驚く。 「何?」 止めれば良かったのに、興味本位でその音源を探った。そこは少し前に姉と挨拶に入った部屋。尋常ではない物音と争う声。 今更に思う。世間を知らない僕達が様子を見ようなんて烏滸がましかったんだ。誰かに助けを求めれば良かったんだ。…いや、それは出来ない。何故ならばこの日、父は全てのハウスキーパーを出払わせていた。誰かに助けなど、求められなかった。 緋く染まったその部屋の床には、緋く染まった父と母。知らない筈なのにわかる。 そこに『生』はない。世間を知らない僕でもそれを理解出来た。 床に倒れた両親を挟んで向こう側、さっき挨拶をした相手が僕達を視界に捉えた。その視線は狂気。血塗られたナイフを逆手に持ち、客人は父を踏み越え僕達に近付いて来る。鈍く緋くひかるそのナイフが僕に向かって振り下ろされた。 ──…死ぬ…。 絶望が広がる。未来など到底見えなくて、訪れるのは両親と同じ『死』だと諦めた。 ぽたり…。 絶望に昏くなった僕の瞳に映り込んだのは、緋色の滴だった。姉の腕から零れ落ちる鮮やかな緋色。その滴は床を染めていく。99%の絶望と一緒にいたのは1%の希望。僕にとってその希望は姉だった。 「…っ!」 痛みに顔を歪め耐える姉を見て、とにかく情けなかった。僕と姉の年齢差は僅かに1年と2ヶ月。背丈体格は差程変わらない。いくら見た目が逆転しているからと言って、姉に頼りきるなど男としてどうだろうか。怖い程に客人を睨みつける姉。僕は姉にそんな表情をさせてしまったのだ。 「本当にすまない。君達には何の罪もない。だが、もうどうしようもないんだ」 客人がジャケットのポケットから何かを取り出した。それは小さな紙片。タロットカードくらいの大きさのそれは『呪符』。 ──あ…。 僕は『それ』を知っている。ちらりと見えたそれの表面に描かれた紋様も知っている。触れた事などないが、学んでいた事により、それが小規模とは言え『発火の呪符』だと言う事が読み取れてしまった。 刹那、僕は無意識的に動いていた。客人を突き飛ばし、解放宣言を阻止する。手から離れた呪符がひらひらと宙を舞う。それが再び客人の手に渡ると厄介だ。破棄をしようと必死に手を伸ばした。 あと少し。 「駄目っ!」 姉が叫ぶと同時に、僕の指先に衝撃と痛みが走る。バチっ…と呪符から魔術的火花が散った。 ──何で?僕は『何も言ってはいない』。 呪符の決まり事、それは呪符の効力を得る為には『解放宣言』なる手順を踏まなくてはならない。それなのに…。 僕は『何も言ってはいない』。 「逃げるよ」 姉が僕の腕を引く。このままでは炎にまかれてしまう。怪我では済まない事くらい、簡単に推測出来た。両親にはもう息がない。客人を助ける余裕も何もない。姉と2人、自分達を守るだけで精一杯だった。 小さな発火の呪符の筈のそれは大きな炎を吹き出し、あたりを飲み込んだ。それまで住んでいた家も何もかも、全てを無にするかの如く、燃え上がった。 ─────────────────
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