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身体の痛みも引き家の中を歩き回れるようになった頃、シグレさんが突然言い出した。
「サフィール、お前はこれから『アオ』と名乗れ」
食事をしていた時の話だった。
「アオ?」
「サフィールってサファイアだろ?サファイアは青い。だから『アオ』」
「…シグレさん、さすがにそれどうでしょう」
スープカップとスプーンを置き、シグレさんをじっと見る。
「何だ、不服か?」
「不服と言うか…」
「じゃあお前が決めろ。お前は軍の保護対象だ。それを踏まえれば、今は本名で生きない方が良い」
「…そうですね。…偽名。アオ。青い、色。…シグレさん、やっぱり折角なのでシグレさんのを踏まえます」
「あぁ?」
「アオイがいいです」
言葉の選び方や物言いは雑で乱暴だが、シグレさんは笑顔が優しい。僕がシグレさんの提案を受け入れそれを踏まえたからか、彼は嬉しそうに笑った。まるで…父さんのように。
「よし、これからお前は『アオイ』だ。でも俺は『アオ』って呼ぶ」
「何でですか!」
自分の本名を棄てた訳ではない。あくまで今は本名を名乗らない方が良い。それでも新たなる一歩を踏み出せた、そんな気がした。
「アオ、まずお前の事をきっちり教えろ。特にお前の体質について」
「あ、はい」
「だがここでではない。ほら、とっとと食え。食ったら出掛けるぞ」
食べ終わった食器がどんどんキッチンシンクの洗い桶に沈めていかれる。僕も急いで食事を済ませると、シグレさんに倣い食器を沈めた。この食器はきっとあとで僕が洗う。
「アオ」
新しい名前を呼ばれ振り向くと、ばさり、とフード付きの上着を寄越された。ちょっと大きめのフード。着てみれば僕の頭はすっぽりと覆われて、思っている以上に僕の髪と顔が目立たない。
「アオ、ここは俺の呪符工房だ。だからここにはたくさん呪符を保管している。無論、お前は俺の許可がなければ工房に立ち入る事はないとわかってはいるが、何が起きるかなんてわからない。だからこそ、お前の状態がどこまでのものか把握しておきたい。…今からそれを実証する。嫌かもしれないが、協力してくれ」
待って。
「…シグレさん…それって、僕に…呪符を使えと…言う事ですか…」
わかる。シグレさんから借りた服の裾を掴む手が震えている事に、僕は気が付いていた。
「あぁ、そうだ」
嫌だ。
「嫌だ!」
「アオ」
「嫌なんだ!僕は札が嫌いだ!」
「アオ!」
「もう触れたくもない!怖いんだ!また…また燃やしちゃう!」
「アオイ!」
ふわり、と僕自身が宙に舞った。そして背中に受けた軽い衝撃。自分がシグレさんによって床に押し付けられたと理解するまで、数秒の時間が必要だった。
「知っているさ。アオ、お前がオーギュストの家の子で、お前が『例外』だと言う事も全部。だからこそ、それが必要なんだ」
「…」
「お前はどうしたい?」
「…え?」
「お前はこの能力を、どうしたい?」
「…」
「必要か、不要か。どちらだ?」
それまで考える事すらなかった選択肢。僕はこのままずっと、死ぬまでこの嫌いな能力が付き纏うとばかり思っていた。
「…僕は…要らない…。こんな能力、欲しいなんて言ってない!」
シグレさんはその答えを聞くと、僕の腕を掴んでそっと起こした。
「それがアオの望みだな。わかった、叶えてやる。俺は佐世嗣呉。これでも軍特殊部隊に専属していた呪符製作者だ。アオが望むなら、それに見合った最高のヤツを用意してやる」
真っ直ぐに僕を見るシグレさんは本当に真剣で、子供心ながらこの大人に付いて行って大丈夫だと言う確信を持ってしまった。
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