はじまりの音

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 その道を通ったのは、ほんのささいな気分の変化によるものだった。繁華街を歩いていると客の呼び込みがうるさく耳を塞いでしまいたくなった。こちらへ戻ってきてからというもの、大きな音や人の声に敏感になったような気がする。今日も空には星が見えない。ここは薄汚れた排気ガスの充満する街だからなのか、一度も星を見たことがなかった。薄雲の隙間から月の光がほんの少し見える程度だ。降谷蓮(ふるやれん)は短く刈りそろえたこめかみに手をやり、近くの電柱の下でため息をついた。大通りから伸びる小道に足を踏み入れる。ここを通ったことは一度もなかった。シャッターの下された音のない小道を歩く。突如、なにか大きな物音が聞こえた。とっさに音の方向を見やる。心臓の鼓動が増していく。あの場所の記憶がよみがえりそうになり急いで頭を振った。  人間の好奇心というものは押さえつけられるものではないらしい。足は音のした方向へ向かう。廃墟と化したビルの下に物影が浮かぶ。近くに寄ると、どうやら無機物ではないらしい。何度も嗅いだ赤い匂いを感じ取り、早足で駆けていく。 「……人か」  肩がおかしな方向に曲がっているせいで側に寄るまで人間とはわからなかった。こちらへ戻ってきてからこんな場面に出くわすなど思いもしていなかったが、仕方なしに脈をはかるために手首に人差し指と中指を添える。静かな脈拍を感じた。見過ごすようなこともできないので、スマホをタップして救急車を呼ぶ。前髪をかき分けて男の人相を調べた。歳は二十歳前後といったところか。暗闇の中に浮かぶ顔は青白い。頭部の出血がひどく、助かるかは五分五分といったところだった。他殺か自殺か興味もないが、一応男の身なりを観察していると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。 「あなたが通報者ですか?」 「ああ」  まだ若い年頃の救急隊員にそう返事をすると、事情を聞くために一度病院まで救急車に乗って来て欲しいと頼まれた。特に急ぐ用事もないので快諾する。 「手荷物はスマホだけか……」  救急隊員は担架に男を乗せるとズボンのポケットから男のスマホを取り出した。身分を証明するものがないか調べているらしい。 「では、こちらに」
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