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「秀治くん。久しぶり」
シャイニングムーンでの仕事を終え寮に戻る途中に、闇夜の隙間から黒い影がぬっと現れた。聞き覚えのある声に冷や汗がどっとあふれる。電柱の前に立ち塞がるようにして秀治の行手を遮る翠に、秀治は乾いた唇を濡らした。今日はいつも一緒に帰るアレンが拓馬と出かけてしまったので一人だった。降谷との関係が前進して気が緩んでいたのかもしれない。油断した自分を恨みがましく思いながら、どうにかこの状況から脱しようと試みる。
「すみません、俺帰るところなんで……」
「つれないなぁ。ちょっとお話ししようよ」
道路の隅に鎮座している白塗りの車をちらりと見る。車内で話すつもりらしい。秀治はぐっと拳に力を入れた。
「話さないと帰してくれそうにないですもんね」
「察しがいい子は好きだよ」
薄らと笑みを浮かべる口元から鋭い犬歯が顔をのぞかせる。降谷とは似ても似つかない。ほんとうに血の繋がった兄弟なのだろうか。
運転手が外に出た。車内には翠と秀治の二人きりだった。重い沈黙が二人を包む。口を開いたのは翠だった。
「蓮のことまだ諦めてないんだね」
「関係ないでしょう。俺と降谷の問題です」
「いいや。俺の問題でもある」
一気に冷たくなった視線に耐えかねて秀治は目を背ける。
「僕は蓮の大切なものは全部奪いたくなるんだ」
「ひどいお兄さんですね」
すると翠は片手を額に押し当てて真上を向いて笑う。下卑た笑い声に寒気がした。
「ひどいのは弟の方さ。あいつは僕の大切なものを全て奪っていった男だから」
銀縁の眼鏡の奥の青い瞳が深い藍に染まっていく。後悔と苛立ちと憎しみが渦巻くような目に、秀治の体に緊張が走る。
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