鬼の国

35/48
前へ
/49ページ
次へ
「おら! サボってんじゃねぇ! お客様への注文がまだだろが!」  平安町にある人気料理店【誠心誠意】では店主の怒号が飛び交っていた。  怒号を飛ばしているのは店主である誠だった。 「うっせぇな! わかってるよ! 今片付けてんだろが! っと! いらっしゃいませお客様! 何名様ですか?」  忙しない店内には、汗をかきながらも必死で働く豪鬼がいた。  その姿は、町に来た当時とは違い、ギラギラした部分が抜けて別人にも見える。  今まで接客等一度もしたことがなく、誰かの為に何かをする事など豪鬼の人生には全くなかったことから、最初はできない事だらけでそれはもう酷いものであった。  失敗する度に誠に怒鳴られ、時として鉄拳制裁を食らっていた。  しかし諦めることはなかった。  なぜならば、鬼族の誇りとして一度自分が決めた事は決して変えないという意思があった。  豪鬼の唯一の取り柄ともいえる。  故に馬車馬のように働き続け、必死で教わった事を吸収し今に至る。  そして鬼の鏡のような誠とうって変わって、さりげないフォローや優しい言葉をかけてくれる小百合。  日々の忙しない環境から豪鬼は戦う事を忘れ、次第に優しく心暖かい小百合に惹かれていき、いつしか異性として意識するようになった。  豪鬼は小百合に恰好悪い姿を見せたくない一心で頑張った。  ただ、不器用な性格から小百合を前にすると、どうしてもつっけんどんな態度になってしまう。  毎日後悔の連続だ。 「注文はいいわ、私がやるから。お客様を席にご案内して差し上げて。」  今日も小百合は豪鬼をさりげなくフォローする。  しかし、そんな優しさにも豪鬼は 「言われなくても分かってるよ! お客様3名様ですか? こちらの席へどうぞ。」  小百合に対してきつく返答するも、お客様の前では満面の笑みで接客を行う。  これこそが彼の努力の成果であった。  いかつい顔の豪鬼が必死に笑顔を作って、挨拶をする。  その姿を見た小百合は小さく笑うのだった。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加