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「ごちそうさま」
「……っしたー」
支払いを終えて店を出ると、月の綺麗な夜——と言いたいところだが、空はどんより曇っていて、下手したら雨でも降ってきそうだ。
「ね、さっきのカップルの話聞いた?」
シオリが横で浮かびながら聞いてくる。
「幽霊の話?」
「そう。私、まだ自分以外の幽霊に会ったことないもん」
シオリはキョロキョロと周りを見る。
「ぱっと見、街中にいるような感じでもないし。会えるなら会ってみたいんだよね、幽霊。——と言うわけで」
シオリが僕の前に出てきた。
「行こ、お墓」
「……良いよ」
「えっ、ホントに」
シオリが驚く。
「こーゆー時って『やだよ』とか何とか言って、揉めた挙句に渋々付いてくる、みたいな」
「前も言ったろ、善は急げって」
僕はふぅ、とため息をつく。
「成仏に関係しそうなら何でもいい。行ってみよう」
「お。おー……」
僕は記憶にある墓地に向かって歩き出し、言い出したシオリの方が付いてくるような格好になった。
小さな墓地は、入り口に小さな街灯がポツリと灯っているだけで、夜に来るような場所でないのは確かだった。
「さすがに不気味だな」
「幽霊出そう……」
「お前が幽霊だろっ」
僕は今度こそ心置きなく突っ込む。シオリはてへぺろと自分を小突く真似をする。
「渾身の幽霊ギャグが決まりましたな」
「アホなこと言ってないで、ちょっと奥にも行ってみよう」
「うん」
全体でいくつだろう、二、三〇基ほどしかない、小さな共同墓地だ。
僕がゆっくりと墓石の間を歩きだすと、シオリはすうっ、と先に行ってしまう。
「誰かいませんかー」
シオリの声は闇に吸い込まれるだけだ。
二分と経たず、僕たちは墓地を一回りして、また入口に戻ってきた。
「落ち武者どころか、何も出なかったな」
「うん……」
シオリは墓地のほうをじっと見つめる。もちろん何もない。ただ墓石が並ぶ風景を眺めているだけのようだった。
「ここ、すごいな……」
ぽつりとシオリがつぶやく。
「なんだ、霊気が濃い、とか?」
「ううん、逆」
シオリは首を振る。
「薄い、というか、澄んでる感じ」
シオリは近くにあった墓石に手を添える。
「誰かわからないけど、ここ、すごく大事にしてると思うの」
シオリの手元の墓石は、かなり劣化したものだった。中華料理屋で聞いたように、本当に戦国時代くらいのものかもしれない。でも確かに、状態はとても良い。苔も生えてないし汚れてもいない。隣も、そのまた隣もだ。
「あえて言うなら、霊気がキレイ、って感じ」
「ふうん……」
シオリが見えること以外、僕には霊感などないので、その感覚は分からない。ただ、よく見れば通路にもほとんど雑草も凸凹もない。大切に丁寧に、この墓地全体が守られているのを感じる。
ここに葬られた人々を、長く大事に想う人がいるのだ。
「——帰ろう。なんだか夜にこうやって踏み込んじゃいけない気がする」
「うん」
その時、さあっと月明かりが差した。彼女の姿がその光で輝いたように見える。
「シオリ……」
「ん?」
澄んだ霊気に当てられたのか、やさしく微笑むシオリはホログラフの女神のようにさえ見えた。
「なに?」
もう一度声を掛けられて、僕はハッとする。目をつぶって首を振り、もう一度シオリを見るといつものシオリだ。
「何でもない。帰ろう。いろいろとまずい」
「うん。——って、ほかに何かあるの」
足早に歩きだした僕を追ってシオリがついてくる。
「ねえ!」
「何にもない」
夜でよかった。月もまた隠れたし。
熱を持つ顔に手を当ててそう思った。
《了》
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