3輪目

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3輪目

「また、明日!ここで、会おうね!」 私に向かって大きな声で言った彼女は、その後に同じ交流団の子達との予定があると言って去って行った。 私は、しばらくそこに立ちすくしたまま動けなかった。ヒラヒラと舞っていた花びらが地面に落ちているのを見つめていた。笑顔で見送ったつもりだったが、私はちゃんと笑えていたのだろうか。そんなことばかり気にしてしまう。 「まさか、ね……」 小さく呟いた私は、地面に置きっ放しになっていたカバンを拾っていつもの出入り口へと向かった。潜ろうと思った時、淡く光っている太陽を見た。すでに傾きかけている太陽は、ひまわり畑の中に紛れて一際輝いているように見えた。 「あぁ、確かに……紫色に、見える。」 翌朝。いつもより日が昇るのが早い日。 「ほら、夏輝!早く起きなさい!」 ユサユサと揺らされる布団を必死に持って私は無言で抵抗した。昨日のことを思い出すと、何だか心が苦しくて。どうしても学校に行く気にならない。別に、行きたくないってことじゃなくて、ただ、気持ちがないってことに近いかもしれない。 「はぁ……おーきーなーさぁぁああい!」 ガバッと音と共に私が一生懸命被っていたお布団が剥ぎ取られた。お母さんが息切れしているのを他所に私は一人でうずくまったまま。 「もう!こんなにも暑いのに、何で布団なのよ!クーラーで冷やしすぎ!」 ブツブツ言っているお母さんは私が被っていた布団を片付け始めた。 「あああ!」 「びっ……くりした!もう、何なの!」 「あの意味聞くの、忘れてた……」 すっかり忘れていた。思い出したのだから、動かずにはいられない。お母さんはと言うと私がいきなり起き上がって叫んだものだから、ブツブツ何かを言いながら下のリビングへと降りて行った。 私はそんなことは気に留めず、すぐに学校へ行く準備をした。いつもの制服に着替えて、ボサボサになっていた髪の毛を直してすぐに下へ向かった。 「いってきまーす!」 家に響き渡る大きな声で叫んだ。すると、リビングからお母さんが顔を出して来た。 「あら、もう出るの?ご飯は?」 「大丈夫!じゃ、行ってくる!」 「あ、もう行っちゃった…… まぁ、楽しそうなら何より、かな」 勝手に出て行った私姿を見送って、そのままリビングへと戻って行ったのだった。 ギリギリまで寝ていたから、ちょっと遅刻しかけたらしい。 でも、私はそんなこと気にせずに教室に入った時に担任が私を見て軽く睨んでいた。どうやら、私を来るのを待っていたみたい。 私は何事もなかったかのように席に座ろうとしたら、襟を掴まれた。進めなくなった私は大人しく振り返ると、笑顔で立っている担任がいる。 「えー……っと、先生?どうしたんですか?」 「どうしたんでしょうねぇ?誰かさんが問題をたくさん起こしてくれるお陰で、俺が酷い目に遭ってるんだけどなぁ」 こわーい笑顔を貼り付けたまま私を見下ろすその姿はまさに鬼そのものって感じだよね。 「だーれーがぁー……鬼だってぇ!?」 「やべ、声に出てた?ごめんなさぁーい!」 慌てて私は掴まれていた手を振りほどいて、そのまま全力で逃げた。そういえば、最近逃げてばかりじゃない? 私、悪いことしてるつもりはないんだけどなぁ。後ろから担任の叫び声が聞こえたが私は聞こえないフリをしてそのまま曲がって階段を降りて行った。 あと少しで外に出れると思った時。 「あれ?夏輝?」 後ろから知ってる声が聞こえた。この声は、確か昨日も聞いた気がする。ゆっくり振り返ると、そこには星羅ちゃんがいた。 「え、星羅ちゃん!?な、何でここに……?ていうか、授業は!?」 「それは、私も同じことを、言いたいよ?授業は?」 前よりも英語が上手になったのか、スラスラと出て来る言葉に私は思わず目を逸らしてしまった。 「え、え〜っとぉ〜……」 しどろもどろになりながら、私は理由を探した。すると、不思議そうにしていた星羅ちゃんがクスクスと笑い始める。 「ど、どうしたの?」 「ううん、なんか、こんなに戸惑ってる夏輝、初めて見るなって思って」 そのままクスクス笑っている彼女は一緒に髪が揺れている。真っ黒に濡れたその髪に見惚れていると、彼女はそのまま近づいて来た。 「授業、受けないとダメだよ?」 下から私の顔を覗くようにして見て来た彼女は上目遣いになっている。あの綺麗な瞳で見られると、やはり胸が高鳴る。スッと後ろに引いた私を不思議そうに彼女は見ていた。 「そ、そうだよね!今から戻るよ!」 「うん、そうしないとね!また、放課後あの場所で、会おうね」 彼女は私より先に教室へと戻って行った。小さく手を振っている彼女を見送ってから私も来た道を戻った。きっと、先生怒ってるだろうなぁ。 一瞬、ほんの一瞬だけこのまま逃げることを頭によぎったけど、彼女との約束を破ることになるので、渋々戻ることにした。 「ひゅ、日向……? お前、戻って来たのか……?」 「はい、そうですけど。先生、授業続けてください。私、後ろで聞いてるんで」 「お、おう」 教室の扉を開けると、すでに授業が始まっていた。担任が朝礼が終わってからそのまま授業をしていたようで、ドアを開けた時には全員がこちらを見る。 担任は私が戻って来るとは思っていなかったようで、目を大きく開いている。 クラスメイトも私を見て、ヒソヒソと話をしていたが、それを無視して私は自分の席に座った。 窓側一番後ろという、まさに漫画のようなベストポジションである。そして、教科書も開かず、そのまま肘をついて窓から見える空を見つめた。 白い雲がゆったりと綺麗な水色の空を流れている。ここだけ切り取れば、平和な世界のように見えるが、本当の世界はそんなことはないのだろう。 先生の話している内容も、今回の四国に関する歴史の勉強らしい。『相手の国を理解しよう』という名目で、自国がどれほど優秀な跡を残しているのか、と言ったくだらない内容だった。 そんなこと、既に本で読んだ私にとっては本当に退屈な授業だった。ただ、放課後のためだけに私は全ての授業を受けた。 その日の放課後。 珍しく真面目に授業に参加していたからなのか、担任からの呼び出しはなかった。むしろ、全ての授業が終わった時にみんなの前でべた褒めされた。 担任は泣きながら「お前はいつか変わってくれると信じてた!」とか言っていたけど、私は早くあの場所に行きたくて全て聞き流していた。 いや、正確に言えば聞き流すことが出来ないものもあった。それは…… 「まーた、アイツかよ。ほんっと、生意気だよな」 「天才って、何もしなくても褒められるもんね」 「ほんと、俺たちって損な役回りだよなぁ」 「私達がいくら頑張っても褒められることなんてないのにね」 まぁ、こんな感じで色々と聞こえて来た。もちろん、担任にはこんなこと聞こえていない。そりゃそうだ、私に聞こえるように言われているんだからね。 あまりにもヒソヒソ話していたのが耳障りだったので彼らの話を着るように先生に「もう帰っていいですか?」と聞いた。 すると、「あ、すまんすまん! いいぞ〜! じゃ、みんな解散!」とだけ言ってそのままクラスが解散された。同時にさっきのヒソヒソ声も消えて、パラパラと帰る準備を始めた。 私はというと、全く教科書や筆箱を出していなかったので、そのままカバンを持ってあの場所へと向かった。もちろん、他の奴らに見つからないように、わざと遠回りして行く。 入り口まで来た時に周りに誰もいないことを確認して、カモフラージュを外して潜った。 潜った先には既に彼女がいた。今日は立っているようだ。手を後ろにして右手で左手を握っていた。私は、後ろからいつもと同じように話しかける。 「星羅ちゃん! 何してるの〜?」 彼女はこっちを振り向かないまま「ちょっと、考え事、かな」とだけ言った。私は後ろからだと彼女の表情が見えないので、隣に立った。すると、彼女は私の方をチラリと見た。 「……夏輝は、天才なんだって?」 私は、どんな反応をすればいいのか分からなかった。また彼女にも馬鹿にされるんじゃないか、と頭に過ぎる。でも、そんなことする子ではないと思ったので素直に頷いた。 「でも、みんなに嫌われてるけどね」 少し笑って私は言った。自分でも分かるくらいの作り笑いだったと思う。顔が引きつっていたのが分かった。 今さっき、起きてた出来事だったので、少し声が震えたのかもしれない。それ以上言わない私に彼女は体ごとこっちへ向けた。 「ごめん、聞いたら、ダメだった?」 眉を下げて私を見ている星羅ちゃんは、少し戸惑っているように見えた。私は、話すかどうか少し悩んでから、ゆっくり話した。 「……天才ってみんな言うけど、私は分からない。自分の好きなことを調べてたらこうなっただけ。でも、この国にとっては天才だから特別扱いされるの。別に、それは気にしてない。ただ……」 「……? ただ?」 「……友達が、いたことない、から。何も、勉強以外は、何も知らないの」 途切れ途切れになってしまう私の声を必死に聞き取ろうとして、彼女は少しずつ近づいて来る。彼女の目を、見ることが出来ない。 この気持ちをどう表現したらいいのか、全く見当がつかない私。何も言わなくなった私を見ていた彼女はどんな表情をしているのだろう。 すると、ふわりと温かいものが私を包んだ。 「え…星羅、ちゃん?」 驚いて思わず顔を上げてしまった。小さく座ってしまった私を横から抱きしめた彼女の顔は見えない。 「夏輝は、一人じゃない、よ」 小さく呟いた彼女の声は確かに私の耳へと届いた。途切れ途切れのその声は、震えていた気がする。 そして、私を抱き締めていた手を離し、もう一度体育座りへと戻った。彼女の言葉に何と返せばいいのか分からなかったので、ひまわりの方へと視線を戻した。 「……夏輝は、私の、友達」 黙っていた私より先に沈黙を破ったのはキラキラと光らせた目を私に向けて来た少女だった。そのまま目を細めるように笑い、言葉を続けた。 「……でしょ?」 確認しているような、そんな話し方に私は首を縦に振ることしか出来なかった。一昨日会った時はこんなにも柔らかい雰囲気で話さなかったのに。 まだ、会って三日目なのに。 何で、そんなにも簡単に壁を超えてくるだろう。 返事が出来なかった私は体育座りのまま顔を埋めた。すると、上からまた柔らかくて、温かいものが降って来た。 それが彼女の手だと気づくには時間はかからず、それをきっかけに目から何かが溢れて来た。 この溢れて来たものの意味は、喜びか、悲しみか。 胸に引っかかる物に気づいていないフリをしている私は、この気持ちの名前をまだ知らない。
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