2.囁き――die geSammelte

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 その日からは楽しかった。  キョーコは心の中でリンコちゃん、口では枢木(くるるぎ)さんだった呼び方を、口でもリンコちゃんと呼ぶようになる。リンコの方は初めからずっと一青(ひとと)さんだったけれど、丁寧な呼び名はリンコらしいと、キョーコは破顔した。  ねぇリンコちゃん、と声をかけると、隣で恥ずかしそうになぁに一青(ひとと)さんと呟く。  連絡先を交換して、夜通し話し込んで、お昼ご飯を一緒に食べて――。  夜、自分の部屋でキョーコが「リンコちゃん」と表示された、通話履歴も会話のログも画面を、頬を綻ばせて眺めている時だった。 「楽しいか?」  地獄の底から響く重低音が――否、それでいて無邪気に楽園ではしゃぐ子どもたちの嬌声のような高音が、開け放った窓の側から漂ってきた。 「ひっ!?だ、誰っ!?」  そこに居たものを、キョーコは最期の時まで具体的に形容できなかった。  ただ唯一分かったのは、背の曲がった四つ足の、角や羽の生えた狡猾なのイメージとは違う、は本当の悪魔なのだ、と。 「私達は――die(ディ・) geSammelte(ゲザン・メルト)。悪魔ってヤツだよ」 「あっ、悪魔……!?」  それは、あらゆる負の感情を押し固めたような響きの声の他には、霧のような黒い(もや)として窓辺に佇むばかりで、これといった肉体を持っていなかった。 「悪魔って、そのっ、黒いふわふわしたヤツ、が――?」 「まぁ。確かにこの姿になるのは久しぶりだが、そんなものは些事だ。私達は、楽しいか、と聞いたのだ。一青恭子(ひととキョーコ)よ。幻想に溺れるだけで、お前は満足なのか?」  靄は窓辺に浮かんだまま、怯え切った様子のキョーコをその闇に吸い込もうとしているかのように、話を続けた。 「叶えたい願いがあるなら、私達を頼れ。私達はどんな願いでも叶えられるだけの力がある」 「……願いって、誰かを振り向かせたい、とか、も……?」 「色恋の願いなど、何万と叶えてきた。望みさえすれば世界の半分だって与える事も出来る」  すっ、と靄は不安げにスマートフォンを胸元で握りしめるキョーコに近寄った。その靄からは、鼻を衝く異臭がしたが、どういうわけか、キョーコが慣れる前にその臭いは無くなってしまった。 「その代わりに、条件がある。私達はこの体だ。だがこんな体でも食事を必要とする。そこで、お前にはちょいと食事の用意を頼みたい。それさえしてくれれば、あい分かった、私達がどんな願いでも叶えてやろう」 「しょ、食事……?何を食べるんです、か?」 「なんでもよかろう、だが一番は血や肉だ。しかし子どものお前に用意するのは難しかろ。そこで、だ。私達から提案がある。なに、私達もくいっぱぐれるのは御免でね、簡単な話さ」  ディ・ゲザン・メルトと名乗ったそれは、その靄の体を伸ばし、くるくると、蛇のようにキョーコの顔の周りを囲った。細長い体のあちこちから、メルトはキョーコに囁く。 「お前、私達に血をくれれば、万事うまくいく。私達は食事が出来て、お前は願いが叶う。簡単だろ」 「血って、どのくらい……ですか?」 「ほうら、これが見えないか?こんな体だ。ちっとでもいいんだ。お前の願いなら、そうだな。誰かを振り向かせたい?ほんの、注射器一本分でもいい。ちょっとばかし貧血になるだけで、願いが叶うんだ。無論、世界の半分を望めば相応の血肉が入用になる」
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