第1章 私立探偵

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『まだまだ厚手のコートが必要だな。』  日陰に入ると昼間だというのに冷気を感じる。セバスチャンはアムステルダム郊外の大きなゴチック風建築の建物を見上げた。敷地入り口の巨大な門には「オランダ新経済研究所」の名前。  あの翌朝、ミセス・ロイルから電話が入った。ドーリーの行く先に関する情報だった。彼女が失踪する数日前、ドーリーを学校に訪ねてきた女がいたという。ミセス・ロイルはその女にドーリーを会わせはしなかった。  会わせる会わせないの押し問答になったが、その会話の中で自分はオランダ新経済研究所と関係のある人間で怪しいものではないと言ったというのだ。  結局ミセス・ロイルは個人的なことであるなら両親に会いに行くべきだと伝えたが、確認を取ったところ連絡はなかったそうである。  そこでセバスチャンはオランダ新経済研究所を調べてアムステルダムにまでやって来た。 『いきなり会えるとも思えないが、当たって砕けてみるか・・・。』  セバスチャンは巨大な門の周りに何か連絡の出来る装置はないかと探した。が、インターホンは取り付けられていないようだった。守衛所もない。  どうしたものか困り果てていたところに、1台黒塗りの車がやって来た。門が自動で開く。車はその中へ滑り込んで行った。 『あれは、確か財務省の事務官じゃ・・・。』  巨大な門は政府高官の乗った車が入るとすぐに閉じてしまった。建物から誰かが迎えに出ている。遠くて顔は分からなかった。  勝手口を探してビルの敷地を回っていると、その勝手口から若い女が出てきた。駆け寄るセバスチャン。  女はまだ10代とおぼしきブロンドでどことなくエキゾチックな顔立ちをしている。 「君、ここの研究所の人?」 セバスチャンが話しかけた。 「いいえ。研究のために来ただけです」 「フランス人?」 「ウィー」  少女はパリの大学生だと言う。大学生にしてはかなり幼く見えた。 「何の研究をしてるんですか?」  セバスチャンは更に突っ込んで質問したが、これには答えて貰えなかった。逆に質問が来たので自ら切り上げざるをえなかった。 『一応入り込む隙はありそうだ。出直すとするか・・・。』  金髪の大学生の後ろ姿を眺めながらセバスチャンは考えていた。海外の自主研究の学生が出入りできるからにはチャンスはあるだろう。セバスチャンもオランダ新経済研究所を離れた。 「私だ」  そこへレベッカから電話が掛かってきた。やけに暗い声である。 「どうした? 何か分かったか?」 「ええ、いや。ミカ・オーステルベルクの遺体が見つかりました」 「え。え?」      セバスチャンは仕事をひとつ失った。探すべき対象者が遺体となってしまってはお手上げだ。ここまでの調査費用も払って貰えるかどうか・・・。 「で、死因は何なんですか?」  ハーグ警察署でセバスチャンは粘っていた。相手は太っちょミネルバ刑事部長だ。もちろん太っちょとは言えない。これはれっきとしたセクハラになる。 「探偵さんに答えることは出来ません」  ミネルバ刑事部長はさっきから同じことを繰り返している。が、この場を去らない以上脈はある。 「私は正式に彼女のご両親から依頼を受けて動いている。聞く権利はあるはずだが。ヒーラーは何故死んだんだ?」 「ヒーラー?」  鎌を掛けたセバスチャンにミネルバ刑事部長が食いついた。 「どういうこと? ヒーラーって」 巨漢ミネルバがセバスチャンに詰め寄る。凄い威圧感だった。 「彼女、ミカ・オーステルベルクは8歳の頃病を治す神の子として騒がれていたから・・・」 「やっぱりそうなのね」 「ギブアンドテイクだ。教えてくださいよ」 セバスチャンが今度はミネルバ刑事に迫った。 「分かったわ。死因は心臓麻痺」 「心臓麻痺? 溺れたのか?」  ミカが発見されたのはハーグ運河の河畔だった。 「違う。溺死じゃない。検視官の所見は心臓麻痺。それ以上のことは解剖待ちよ」 「解剖されるんですね? つまり事件性ありと」 「そこまでは言ってない。ただ、ミカは最近妙な連中と連んでいた可能性がある」 「妙な連中とは?」 「それは言えないわ。犯罪者でも何でもない人たちだから、個人情報ってこと」 ミネルバ刑事は思わせぶりに話を終わらせた。  ミカが連んでいた妙な連中のことはすぐに判明した。セバスチャンがオーステルベルク家を訪問した時だ。  とにかくお悔やみを言って、一か八かでここまでの請求書を置いてくるつもりだった。ところが、オーステルベルク夫妻は意外に親切だったのだ。 「ところで、ミカさんは最近何かのグループと係わっていたと警察で聞きましたが、お心当たりは?」  夫妻は悲しみに暮れる一方で、このグループに激しい憎悪を抱いていた。  それを先に言ってくれれば・・・聞き出せなかった自分のせいか、セバスチャンは後悔した。それが分かっていれば殺される前に助け出せたかも知れない。 「ミカは白魔術だと言ってました。でもたぶん嘘」 「いや、もしかしたら騙されていたのかも知れない。いや、きっとそうだよ。聡明な子だった、ミカは。きっとそうに違いない。あいつらに騙されたんだ」  オーステルベルク氏は固く拳を握りしめた。奥方は再び泣き崩れる。 「白魔術?」  突拍子もない単語が出てきて正直セバスチャンは狼狽した。 「東方魔法協会という団体です」 「東方魔法協会? 何なんです? それは」  セバスチャンが聞く。 「要は魔法・魔術を研究する団体だとかで、とにかく若い子たちが多いんですよ。だからミカも楽しかったんでしょう。小さい頃にああいうこともあったことだし、そういうことを真剣に話せる仲間というのは嬉しかったんだと思います」  ヨーロッパでは元々魔法や魔術といった超自然的な物に現実感がある。未だに企業の幹部や政治家などは高名な占い師に決断を委ねることさえあるのだ。  そこへ例のイギリス女性作家の書いた物語のおかげで、若い層にも魔法・魔術が浸透していた。 「最初は学校の課外活動みたいな感じだったんです。だから私たちも黙認していて・・・」 「でも、だんだんとおかしな方向へ行ってしまって・・・。あの女が出てきてからは、ミカも怖がってたわ」  セバスチャンはミカ・オーステルベルク殺害の犯人逮捕を警察に協力するという仕事を受けた。  とりあえず仕事を失くさずに済んでほっとする。これで事務所が維持できる。  事務所に戻ったセバスチャンはレベッカの調査内容を確認しつつ仮説を立てていった。 「依頼の件、一通り答えを見つけた。さすがよね」  自画自賛しつつ相変わらず短いスカートのレベッカが白板に板書しながら説明を始めた。 「まず、依頼されていた類似事件について。事件になっているのはオランダでは5件あるわ。これは知ってるのよね? セバスチャン」 相変わらず勘の鋭いレベッカだ。 「うちの事件を加えると7件と言うことになる・・・」 「そうですね。ちなみに1件はアムステルダムで先月発生している。失踪したのは12歳の男の子」 「まだ解決していないんだね。そのなんだ、最悪の事態にもなっていない・・・」 セバスチャンは少々口を濁して言った。 「まだ遺体は発見されていない。生死不明ってとこね」 だが、レベッカは明快だった。 「分かった」 「範囲をEU諸国に広げると昨年と今年の分だけで22件あった。ドイツで8件、スイスで3件、イタリアで2件、ギリシャで1件、フランスで2件。あと離脱したイギリスでも6件あったわ」 「そのフランスの事件はどんな内容なんだか分かる?」 「フランスが気になる? 1件は数学オリンピック入賞者の天才くんがいなくなっている。昨年の夏のことだからそろそろ1年ね。まだ公開捜査が終わってないようだわ。もう1件の方は、これはどうなんだろう。ちょっと違うかも知れないけど、仮想通貨の交換所を運営する夫婦の長女で15歳の高校生が誘拐された。1月のことだわ」 「誘拐なのか?」 「そう。これは誘拐。学校帰りに無理矢理車に乗せられるのを目撃されている。その後、夫婦の家に電話があり仮想通貨で身代金の要求があった」 「で、どうなった?」  セバスチャンはレベッカに先を急がせた。今晩中に終わらなくなりそうだった。 「結局、身代金は払えなかった。経営する仮想通貨交換所がハッキングされ600万ユーロが消えている。会社は潰れ、今や犯罪者扱いされているけど、誘拐犯からはその後接触がなく、セーラという少女の生死は不明。中にはハッキングはやらせで、消えた600万ユーロが身代金だったんじゃないかと話題になってるわ」 「やはり気になるな。ここオランダでの事件7件を加えて29件。たぶん警察沙汰になっていないのがもっとありそうだ。レベッカ、すまないがその手の噂話を集めておいてくれるかな?」  レベッカはセバスチャンが言ったことをメモした。この辺は優秀な探偵助手なのである。 「了解。SNSで子供の失踪事件について情報を集めてみる。ところで、今判明しているのは9件だけなんだけど、全部で29件の内9件てやっぱり多いんじゃないかしら」  そう言いながらレベッカは書き出した事件の中から9件に赤い線を引いた。 「9件て、何が?」 「失踪した子供29人のうち9人が養子なのよ。両親と血の繋がりがないわけ。これ、偶然?」 「何だって?」 「ミカもドーリーもそうよね。養子縁組の子供で血は繋がっていない。アムステルダムの事件はまだ調べが付いていないけど。やっぱり多いわよ」 「いや。むしろそこら辺がこの事件の鍵かも知れない。あと、何かオランダ新経済研究所に繋がる情報はないかな。ああ、ドーリーの消息のわずかな手掛かりなんだが・・・」 「それはもう少し当たらないと分からないわ」  そう言うとレベッカはそれも手帳にメモした。 「次は東方魔法協会ね」 「ああ、何なんだそれは?」 セバスチャンが身を乗り出した。 「本部はルーマニアだったわ。東方とは、アジアのことではなく東欧のことなのね」 「ルーマニア・・・」 セバスチャンが反芻する。 「何か引っかかる?」 「いや、続けてくれ」 「この会の始まりは昔のワラヴァニアの古都エトランシュタットだったと分かったわ」 「ワラヴァニア? 何年だっけ、ルーマニアと合併したのは?」 「さあ、子供の頃だったから。随分昔よね」 「それで、今の本部はブカレストに置かれているわ」 「どういう団体なんだ?」 「子供会」  レベッカがにっこりと笑いながらセバスチャンに言った。 「子供会?」 「つまり、あちこちの町で子供たちを集めて世話をする活動をしている。大学生などをボランティアで集めて、子供たちに食事やおやつ、勉強を教えたり、一緒に遊んだり、素敵な活動よね」  セバスチャンは紅茶のカップを口に持って行きながら考え込んだ。 「ようは、昔からある民間のボランティア団体ってこと。昨今の魔法ブームで昔ながらのこの名称がむしろ新鮮だとか。今ではルーマニアのみならずヨーロッパ中に支部があるみたい」 「で、そのボランティア団体の主宰者は誰なんだ?」 「そこよ」  レベッカがいらっしゃいませと言った風に手を打つと、勝ち誇ったような顔をした。すでに調べはついているようだ。全く有能な共同経営者兼助手だった。 「誰だと思う?」  焦らすレベッカ。セバスチャンはやれやれと言った感じで静かに負けを認めた。 「オランダ新経済研究所」 レベッカは意外に冷静な態度でこの名前を口にした。事の異様さが理解できているからだった。 「え?」 セバスチャンは逆に息をのんだ。 「どういうことだ?」 「さあね。とにかく金の流れを追うとオランダ新経済研究所が東方魔法協会に多額の資金援助をしてた」 「だって、政府の外郭団体じゃないのか?」 「そうね。だから金の流れも比較的容易に追えたってわけ。民間だったら簡単に調査はできないわよ」 「それにしても一体これは・・・」 「セバスチャン、こうは考えられない? 東方魔法協会ではいわゆる孤児院みたいな施設も運営してる。身寄りのない子たちを役人や裕福な家庭に斡旋している・・・闇マーケットで・・・」 「人身売買か? ちょっと話が飛躍し過ぎだと思うが・・・。まずは、ヨーロッパで起こっている子供の失踪事件と東方魔法協会との繋がりを追うことにしよう」 「イエス、ボス」  そう返事をするとレベッカは再び手帳にメモった。 「当面の課題はドーリーの行方を追うことだが・・・」 「それなんだけど、ドーリーも子供会に入っていたそうよ。昼間父親から電話があったわ。その世話人だった大学生と一緒かも知れないと・・・」 「この町にも東方魔法協会はあるってことか明日、当たってみよう」
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