第1章 私立探偵

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 ハーグの東方魔法協会はひっそりと街の外れの牧歌的な風景の中にあった。  木造2階建ての家で、以前は村の集会場だったと言うことである。それを協会が買い取ったらしい。周りにはごく普通の住宅が点在していた。  セバスチャンは慎重に歩を進め、1ブロック手前から東方魔法協会を見詰めた。 『とにかく行ってみるか。』  ただ慎重でも事は進まない。セバスチャンの心情は当たって砕けろだった。もちろんそのバックで、レベッカの緻密な調査能力があればこそではあった。さすがの共同経営者なのだ。  セバスチャンが通りへ出て、野山や畑の広がる風景に溶け込んでいる東方魔法協会の家へ歩き出した時、脇道からブロンドの若い女が飛び出して来た。 「君は?」 女はアムステルダムのオランダ新経済研究所から出てきたあの大学生だった。 「あら、またおじさん?」  女性は警戒心丸出しでセバスチャンの顔を見る。 「どうやら、調べていることがシンクロしているようだね。ちょっと話をしないか?」  ふたりは協会とは反対側にある小さなカフェに入った。 「声を掛けた私から自己紹介しよう。私はこの地で探偵事務所を経営するセバスチャン・ルートヴィッヒ。ある少女の失踪事件を追いかけている。それで、東方魔法協会に辿り着いたんだが・・・」 「へえ、そうなの?」 「君はパリの大学生と言っていたが、どうしてここへ?」 「私はこの前も言ったように大学生。東方魔法協会の活動について歴史的な背景や実際の活動内容などを研究してる。卒論ですよ」  そう言って金髪の女は学生証を提示した。そこには彼女がパリの福祉系の大学院生であることが記されていた。意外にも23歳らしい。 「名前は、ベル・ジークリスト。スイス人よ。今はパリ在住。どんなナンパかと思えば・・・」 「この前は何故、オランダ新経済研究所へ?」 セバスチャンが尋ねる。 「おじさん本当に探偵さんなの? あの研究所が東方魔法協会へ資金援助してることくらい調べてないの?」 「いや、分かってる。正直に言おう。それが分かったのはやっと昨日なんだよ。私の調査の方が遙かに遅れている。それでヒントが欲しいと思ってさ」 「私の研究論文を盗むつもりね」 「いやいや、そんなんじゃない。少女の行方が分からないんだ。協力して欲しい」  ベルと名乗った女は一瞬考え込むようにしたが、話し出した。 「あそこの施設では・・・」 そう始めながら顎で町の反対側を指した。 「事務方ばかりで、具体的な活動については通り一遍しか分からないわ。東方魔法協会にはもっと小さな支部がたくさんあって、そのそれぞれを大体は協会が任命した大学生グループが運営している。女の子の行方を知りたいなら、女の子が出入りしていた支部、通称子供会の所在地を当たるべきよ。運営委託されていた大学生を探す事ね。全部が全部まともな学生とは限らないみたいだから」 「それどういうこと?」 「だから、中にはロリコン大学生もいるし、お金大好き女子大生もいるって事。最近良くない噂がいくつかある。その辺を確かめたかったんだけど、否定されたわ。ま、当然よね」  そう言うとベルは荷物を手にして席を立った。 「私もう行かないと。バスの時間だわ」 「ありがとう。車で送るよ」 セバスチャンが申し出たが、ベルは首を横に振った。 「知らないおじさんの車に乗るようなことはしないことにしている、どこの国でもね。知らないおじさんと大学生の集団は危険がいっぱいなの」 そう言い残してベルはカフェを出て行った。  セバスチャンは一応東方魔法協会を正面から訪ね、ドーリーが出入りしていた子供会の所在と運営を任せている大学生ボランティアの名前を聞き出そうとした。が、個人情報を盾に断られた。  それでは、せめて子供会の所在を教えて欲しいと粘るとすでに廃止になったという返事だった。ミカの出入りしていた子供会も全く同様。真摯な回答とは到底思えなかった。 『私立探偵を甘く見るなよ。』  セバスチャンはそう悪態を心の中で突きながら、東方魔法協会を辞去した。 「今から行きますので。」  セバスチャンは電話を切ると車に乗り込んだ。掛けた先はハーグ警察署のミネルバ刑事部長である。 「何か、分かりましたか?」  ミネルバ刑事部長は若い警官に教えてやるように指図するとそのまま部屋を出て行ってしまった。 「なんで、私立探偵なんかに警察が協力しなくちゃならないんだか」  若い警官は横柄な態度でセバスチャンに対峙した。 「で、分かったのか?」 「ああ、ミカ・オーステルベルクの行っていた子供会は事件の1ヶ月前に閉鎖されてる。代表者はハーグ市立医科大学のアンドレ・ニッカネンという学生だ。現在所在不明」 「所在不明?」 「確認したが、大学には出てきておらず、実家にも居なかった」 「実際に確認したのか?」 若い警官は更にむっとした表情を見せ、 「電話で確認した」 そう言った。 「運営に参加していた他の人間は?」  セバスチャンは若い警官の気分などお構いなしに質問を畳みかけていった。 「要は医学生たちが運営する子供会で、アンドレは特に神秘主義的なところがあったと・・・。神秘主義が何を意味するのか、それは分かりませんけどね。証言のひとつにそうあっただけです」 若い警官はもううんざりだと言わんばかりの口調で言った。  アンドレ・ニッカネンが何かを知っている可能性が高い。セバスチャンはハーグ市立医科大学を訪ねることにした。  シンクレアと呼ばれた男が集まった聴衆に話を始めた。なんとも魅惑的な声の持ち主だ。  そしてブロンドの短く刈り込んだ髪と眉毛もブロンドでブルーの瞳をしている。大きな男だった。 「東方魔法協会は、もともと貧しい子供たちの幸福を願うための組織でした。基本はボランティアです。古くはその名の通り魔法を使って子供たちを救ったと言われています」  ここで、シンクレアはにこっと笑うと小講堂の聴衆の顔を見廻した。 「そんなバカなと思ってるね。まあ、半分は伝説だ、けど半分は真実だ」  シンクレアは意味深な顔を聴衆に向けた。すでに聴衆の半分を占める女子大生たちは彼の魅力にやられてしまっている。 「子供たちには大きな可能性があります。その可能性を見いだして、我々がまさに魔法を掛けてあげる・・・そういう仕事でもあるんです」  東方魔法協会の運営する子供会の運営ボランティアを集める説明会だった。シンクレアはハーグ市立医科大学の研修医だ。小児科を専攻し、子供たちの医療に携わっている。  会の終了後、申込用紙を回収するとシンクレアは小講堂を出て行った。その後を追う女子大生がひとり。 「あの・・・。少しいいですか?」  そのブロンドの女子大生が声を掛けた。 「どうしました?」 振り向いたシンクレアの表情に一瞬影が差す。 「私、フランスからの留学生でマリーと言います」 「マリーさん? どうかしましたか?」 「あの、東方魔法協会が運営する孤児院のことで・・・」  満面の笑みで受け答えていたシンクレアから笑みが消えた。 「孤児院てちょっと古い言い方ですが、私生児保護施設って言えばいいでしょうか、運営されてますよね」 「何故そんなことを?」 「ああ、いえ、興味あるんです。私も親がいませんので」 「東方魔法協会では施設の運営は直接行っていません。提携している病院はありますが」 「それはどこの病院?」 「え?」  シンクレアから完全に笑みが消えていた。そんな話をするつもりはなかったのだ。だが、つい口を突いて言葉が出てしまった。 「東方魔法協会と提携する病院て、どこなんです?」 「病院ていうか、遺伝子病理学研究所という研究機関です」  今度は青ざめるシンクレア。マリーはブロンド碧眼の青年にもう一押しを試みた。 『こいつヴァンパイアじゃない・・・?』  マリーに侵入を許したシンクレアは遺伝子病理学研究所について持っている情報を話し出した。だが、特別な成果はなかった。 『純粋な人間の協力者か・・・。何かヴァンパイアに協力する理由があるのか・・・? それとも何も知らない?』  マリーはシンクレアを解放すると、 「ありがとうございました。よく検討して申し込みたいと思います」 そう言うとその場を立ち去った。  シンクレアは自分が言ったことを覚えていなかった。それで、にこっと魅惑的な笑顔をマリーに向けると手を振った。  マリーは大学に付属する病院の小児科医局へ向かった。今の説明会の手伝いをしていた男女が3人いた。  2人は研修医だ。もうひとりがまだ学生でアンドレ・ニッカネンだった。マリーはこの男の尾行を開始する。  こいつは間違いなくヴァンパイアだ。マリーの直感が確信していた。  尾行から3日が過ぎた。だが、アンドレは容易に尻尾を出さなかった。大学の授業には出ていない。家にも帰らない。もちろん子供たちとの接触もなかった。 『何をしている・・・。』 マリーも疲労の色が濃かった。  マリーが今回の事件を知ったのはヨーロッパにおけるヴァンパイア情勢に変化があることに気が付いたからである。  六本木の事件の後、マリーは母の遺骨を持ちヨーロッパに帰郷した。母をルーマニアの墓に埋葬した後はパリの大学に進学、文学部で文書考古学を学びながらヴァンパイアの動向を調べ始めた。  母が残した様々なルートを発掘していった。そして2年、ヨーロッパに築いていた母の情報網はほぼ復活させ終わっていた。  尾行から5日目、ようやくアンドレが動いた。深夜研究室を抜け出すと、バイクを飛ばして彼はハーグ郊外の小さな町を訪れた。  運河沿いの町、そこはつい1ヶ月前ひとりの少女が殺害された現場に近かった。  マリーは不用意に近づかぬよう、十分注意しながらアンドレ・ニッカネンを遙か後方から監視していた。  そして運河に架かる橋の上。10分ほど佇むアンドレの前にひとりの男が現れた。歩いてくる姿は見えなかった。まるで影から分離したように忽然と現れたのだ。 「どうした?」 「マジェスティのお考えが知りたい・・・」 「なぜ?」 「ミカのことです」 「あのヒーラー少女か・・・」 「なぜ命を奪われたのか。あの子は非常に役に立つ娘でした」 「何故あの子に入れ込む?」 「私は、不遇な子供たちに手を差し伸べる陛下に心酔して参りました。ですが、ミカ・オーステルベルクのことはどうしても納得がいかなくて」 「お前は有能な男だと思っていた。だが、少し甘すぎるようだな。遺伝子病理学研究所で現実を見てみるか。そこで変われれば陛下の片腕にもなれよう」 「私を遺伝子病理学研究所へ?」 ひそひそ声で話すふたりの会話をマリーは別の橋のたもとから聞いていた。 『遺伝子病理学研究所か・・・。行ってみるしかなさそうだな。』  そう考えた時、影の男が言うのが聞こえた。 「但し、もし変われなければ、大きな代償を払うことになるが、いいのか?」 「代償・・・。はい。私は真実が知りたい」 「分かった。ところで、お前は何者だ!」  影の男が突然闇に向かって声を上げた。 『しまった。まさか・・・。』  はっと身構えるマリー・エリカ・オカザキ。だが、それはマリーに向けられたものではなかった。  橋の反対側から姿を現したのはひとりの男だった。 『あの私立探偵か・・・。大学の小講堂に紛れ込んでいた・・・。』 「いや、申し訳ない。立ち聞きする気はなかったんだが、ミカ・オーステルベルクの名前が聞こえたものですからね、つい」  現れた男はふたりに軽く会釈をすると大胆にも近づいていった。 『やめろ、殺されるぞ。』 マリーが心の中で呟く。 「何者だ?」  影の男が静かに言った。 「私立探偵。ミカのご両親から犯人逮捕を手伝うように頼まれた。今度はこっちから質問したい。ミカを殺したのは誰だ?」  アンドレがぎょっとした顔をした。 「その遺伝子病理学研究所とは何だ?」  私立探偵は更に続ける。大胆なのか、愚かなのか、マリーには判断しかねた。 「待ってくれ。ミカのことは、ミカのことは知らなかったんだ・・・。まさかあんなことになるなんて」  アンドレが私立探偵に話しかけた。それを影の男が遮る。 「よせ」 そして男は前に出ると私立探偵に詰め寄った。 「貴様、どこまで知っている?」 「あんたは誰なんだい?」 「お前の出る幕じゃない」  遠くから見てるマリーは気が気ではなかった。やはりここは助けに入るべきか。だが、今ここで正体を晒すことは避けたかった。  最悪の事態になるまで、手出しをしないと決めた時、私立探偵が大胆な推理を展開し出した。 「あんたは、確か財務省の役人だな? あんた一体何をしている。ミカ・オーステルベルクの事件とどう関わってるんだ」 「貴様・・・」 「調べりゃすぐ分かることだよ。あんた1週間前にアムステルダムのオランダ新経済研究所へ行っただろ」  マリーは話しに耳をそばだてた。実際はテレパスを利用して数百メートル先の会話を聞いているのだが、全く興味深い話だった。 『財務省の役人? オランダ新経済研究所か・・・、奴等そんなところにまで入り込んでいるのか・・・。』  が、この発言で私立探偵は絶体絶命の危機を迎えていた。奴等がこのまま無事に返すとは思えない。  マリーはゆっくりと上体を起こした。その時、突然橋の上を車のヘッドライトが照らし出した。その車が急発進、猛スピードで走りだした。 「速く、乗って」  車は私立探偵と役人の前で急停車するとドアが開いた。そのドアに滑り込むとそのまま車は急発進する。猛スピードで走り去る車。 「アンドレ・ニッカネン、奴を始末しろ。早々に。情報が漏れることを陛下もお喜びにはならない」 「ですが、遺伝子病理学研究所の件は・・・」 「私から口添えしてやる。だから、あの探偵を始末しろ」 「分かりました」  アンドレは言うとその場を離れた。影の役人は再び影と同化して見えなくなった。  マリーは反対側へ歩き出すと、止めてあったパルサーに乗り込んだ。
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