第2章 遺伝子病理学研究所

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「そうなの。TVのワイドショーがね、やったのよ、公開実験を」 あとをベルが引き継いだ。 「刑務所にいる死刑囚をスタジオから呪い殺すってわけ。その様子を生中継したの」 「実験はどうだったの?」 マリーが恐る恐る蘭とベルに尋ねた。 「失敗したわ」 マリーはほっと息をついた。 「世間からのバッシングもあったんだけど、その後少年はふっつりと消息が途絶えてしまった。」 「つまり、行方不明になったこの少年を探すうち遺伝子病理学研究所に?」 「いえ。この少年は子供会に参加していたの。それを仕切っているのが東方魔法協会。そして東方魔法協会を支援しているのがオランダ新経済研究所なの。その研究所の資金で運営されているのが遺伝子病理学研究所だったってわけ」 ベルが説明したが、 「奴等が裏で動いているのは間違いないと思うんだけど、正直何も分からない・・・」 蘭が悔しそうに結んだ。 「それで一番忍び込みやすそうなあの研究所へ行った。遺伝子病理学研究所っていったい何を研究しているのか実態が掴めないんだけど、行けば何かあるかと思って」 「忍び込むって、ランは警察なんじゃ・・・」 「あら、特殊な事件は別物よ。警察は元々扱わないからね」 蘭はニコニコしながらそう言ってのけた。 「じゃあ、私がランに助けられたのは全くの偶然?」 「そ、全くの偶然。たまたま出くわしたの」  その話を聞いてマリーは寒気がした。無謀で浅はかな行動だったと反省しなくてはならないと思った。  特にあの警備主任、あいつは間違いなく遺伝子操作された戦闘用サイボーグ・ヴァンパイアだ。 「そのミカ・オーステルベルクという少女の事件と似ているわ。そしてその子のカルテが研究所にあった・・・。きっと悪魔少年もそこに行ったはずね」  ベルが蘭に言うと、 「少し時代が合わないけどね。」 蘭が首を傾げた。 「二人に会わせたい人がいる・・・。もう一人のヴァンパイア・ハンター」  突然マリーが言い出した。 「ヴァンパイア・ハンター?」 蘭とベルが同時に大きな声を上げる。巡回に入ってきた看護師に睨まれてしまった。  それから3時間、間に昔話を交えながら3人の情報交換は夕方まで続いたのだった。 「グスタフが参りました」  伝令の囁きにアレクシスが頷いた。 彼を囲む大多数はこのやり取りに気づかなかったが、一人メイヨールだけはすぐに後ろを振り向いていた。  そこに汗だくになった子供会の理事長が立っていた。 「陛下(マジェスティ)、も、申し訳ございません」  グスタフはアレクシスの前にひれ伏した。 「何があったのだ?」 「は、アンドレ・ニッカネンが反逆を」  アレクシスが眉を動かす。反応したのは反逆という言葉だったのか。 「処分したのか?」 「はい。間違いなく」 「なら、よい。お前も早く席について飲むがいい」 「陛下、ありがとうございます」  グスタフは恭しく頭を再び下げると足を引きずるように後退りして末席に座った。 「これですな。アンドレのメールというのは」  長テーブルに着いていた一人がスマホを取り出すとメールを広げた。 「どうか、子供たちの命をお助け下さい、だとさ」 「グスタフ。お前は子供たちに幸せを与えているのではなかったのか?」  言い出したのは、シュルツという経済評論家だった。 「シュルツ、余計なことは言わなくて良い」  アレクシスがシュルツを制した。 「は、マジェスティ」  アレクシスはグレーウールのイタリアンスタイルスーツに幅広の赤いネクタイ姿である。  シャツはオフホワイトのフレンチカフスだった。赤い陽の光が放射状に延びるデザインのカフスボタンをしている。  まだ30代後半といった容貌だ。だが、ここでは絶対的な権力を持っていることは明白だった。  食事が始まった。給仕をするのは従僕種と呼ばれるヴァンパイアたちである。厨房にいる者たちもまた従僕種だった。  そしてテーブルに着く12人のうち10人は第2種と呼ばれる上位のヴァンパイアたちだ。つまり、2人だけは純血種の最上位ヴァンパイアだったのである。 「グスタフが責められるべきは遅刻をしたことであって、仕事は良くやってくれている。そうさ、現場でよくやってくれている。さあ、乾杯しよう。赤ワインだがな」  一同は恭しく赤い液体のグラスを掲げると一斉に唱和した。 「乾杯。全ては陛下の御前に」  料理が運ばれて、皆がそれぞれ談笑を始めた頃、グスタフと同じ末席にいたDr.ギルデンスターンのスマホが振動し出した。  Dr.ギルデンスターンは胸ポケットからスマホを取り出すと表示された男の名を見て電話を受けた。 「どうした?」 「博士。先ほど研究所に何者かが侵入しました」 「侵入した? 誰だそいつは?」   Dr.ギルデンスターンは口元を押さえながら送話口に問いかけた。 「分かりません。女が二人・・・、若い女です」 「若い女? 二人もか?」 「追い詰めたのですが、逃げられてしまいました。申し訳ありません」 「で、何か被害はあったのか?」 「今のところ何も・・・」  ほっとしたDr.ギルデンスターンが顔を上げると背後に強烈な圧力を感じた。特殊な能力も必要ない、強烈な力のイメージだった。 「どうした? ギル博士?」  ギルデンスターンは冷や汗を気取られないように作り笑いを浮かべるとゆっくり後ろを振り向いた。 「どうと言うことはありません。何も問題ございません」  ギルデンスターンはつい口調が言い訳がましくなったのを後悔した。 「何があったのだ? ギル博士」 「はい。研究所に女が二人侵入したそうです」 「女が二人? 誰だそれは?」 「まだそれは・・・」 「どんな女なのだ?」  アレクシスはギルデンスターンを凝視していた。 「若い女だそうですが、どうせ空き巣狙いか何かで・・・」 「バカか」 「は?」 「お前はバカかと聞いている」 「いえ、そ、それは」  ギルデンスターンはもはや冷や汗を隠すことも出来ない状態だった。口がもつれて言葉が出ない。 「あんな研究所に空き巣が入るのか?」 「い、いえ、そうでは・・・」  犬歯がアレクシスの口唇からはみ出していた。瞳が赤く光っている。ギルデンスターンは冷や汗どころかブルブルと震えだしていた。 「すぐに研究所へとって返して詳細を調べるのだ。お前はこんなところで飯を食っている場合ではないはずだ」  アレクシスがギルデンスターンに言い放った。Dr.ギルデンスターンは慌てて席を立つと深々と陛下に頭を下げた。  席に戻ったアレクシスは隣に陣取る男に言った。 「コウイチロウ、どうも感づかれたようだな」 「はい、マジェスティ」 「急がねばならんか・・・。なあ、コウイチロウ」 「準備は整っております。実験もかなりの成果が出てきており、そろそろ最終段階に進んでも良い頃かと」 「分かった。それにしてもコウイチロウの名が気に入ったようだが、俺はどうかと思うぞ」 「ま、いいじゃありませんか」 「お前は最後を見ずに島国を離れたからな。こっちは余りいい想い出じゃあないのだよ」  そうは言いながらもアレクシスはすっかり機嫌を直していた。  このやり取りをみて、会食の席はいつしか和やかに談笑が起こるようになっていた。  翌朝、Dr.ギルデンスターンは幹部を所長室へ集めていた。  警備員からの報告は何の役にも立たなかったからである。防犯カメラに写っていた女は単に金髪の小柄な女と言うだけで身元を示す情報は何一つなかったのだ。  しかももう一人の女に関しては警備員たちはろくに顔も見ていなかった。  唯一の証言が銀髪だったと言うだけではどうにもならない。少なくとも陛下に報告する内容とは思えなかった。  そこで、各部門に何か問題がなかったか調査をさせたというわけだ。  研究部門の責任者が報告した。 「バウテンハウス先生のIDで患者カルテにアクセスがありました。先生はアクセスしていないと言っています」 「なに? 患者カルテだと? 実際誰のカルテを見ていたと言うんだ?」  ギルデンスターンがじろりと居並ぶ幹部たちを見廻しながら聞いた。 「それが、ミカ・オーステルベルクです」 「なんだと」  ギルデンスターンが皺の増えた顔を歪めると悪魔博士のように見える。 「ギルデンスターン博士、それでヤツは3階の6Bへ」 研究部門の幹部が言った。 「3−6Bへ女は入ったのか?」  ギルデンスターンが今度は警備部門の責任者の男を問い詰めた。 「はっきりとは・・・。ですが、女は最初3階を物色していたと思われます」 「すぐに3−6Bを調べろ」  警備部門幹部の男は無線で呼びかけると警備員を派遣した。ほどなく、報告が帰ってきた。 「ミカ・オーステルベルクの遺伝子解析と遺伝子移植の記録が盗まれたかも知れません。問題のファイルが収められていたキャビネットに痕跡が」 「く、くそう!」  ギルデンスターンは車を呼ぶとハーグにある東方魔法協会へ向かった。陛下への報告を盟友グスタフに相談するためだった。  だが、車中のギルデンスターンに警備から連絡が入った。 「今出勤してきた警備主任のビヨルクに聞いたところ、この金髪の女、特殊な能力を持っていたと言うことです」 「何だって?」 ギルデンスターンは背筋が寒くなった。 「どういうことだ?」 「は、ビヨルクが申しますに、この女、ビヨルクが撃った弾丸を弾き飛ばしたとか」 「そんなことが・・・。本当なのか?」  数々の実験を仕切ってきたギルデンスターンにも(にわか)信じられることではなかった。 「間違いないそうです。特殊能力者です」  ギルデンスターンはこのことを一刻も早くアレクシスに報告すべきだった。だが、小者の彼は同じく小者のグスタフへ相談し、あろうことか隠蔽を図ったのである。  オランダのみならず各地の子供会の動きが活発になったことに気が付いたのはS&R探偵事務所のレベッカだった。 「見てください」  レベッカはお手製のヨーロッパ地図をテーブルに広げた。 「この赤い点は行方不明の児童が出ている場所です。で、青い点は東方魔法協会の息の掛かった子供会の所在地です」  レベッカが皆に説明すると同時に情報を表組みにした紙束を皆に配った。 「凄いな」 「インターポールも顔負けですね」 ベルが蘭に言った。  皆が集まったのはアムステルダムにある高層ビルの25階だった。  マリーの勧めもありセバスチャンとレベッカは事務所を移したのである。ヴァンパイアどもに知られてしまった事務所は危険だ。  大きな窓ガラスから見える景色は王宮を中心に放射状に広がる街がよく見えた。  レベッカが事務所の移転を理由にアメリカの叔母に援助を頼んだところ直接この部屋を用意してくれたのだ。アメリカ製の最新スマートフォンといっしょに。  これからはもっと連絡しろと言うことらしい。そして最初レベッカは知らなかったのだがこのビルそのものが叔母の持ち物だった。  マリーはこの話を聞いてレベッカの叔母もまたヴァンパイアハンターの活動を続けているんだと思った。ルートヴィッヒ家のパトロンとしてここを用意したのだろう。 「そしてここ1ヶ月ほどの間に行方不明者は急増している。全ヨーロッパで30件ほどだった児童の行方不明あるいは殺人事件が今や100件に迫っている」  レベッカの説明にマリーは思った。奴等も焦りだしたと。 「子供たちを守らなくちゃ」  蘭が警察官らしく拳を握る。 「それにしても、子供たちをヴァンパイアが狙うのは何故なんだ?」  セバスチャンが誰に言うでもなく呟いた。 「子供の血は美味しいから?」  言ってからレベッカは慌てて口を押さえた。 「そんなことじゃないでしょうね。ミカ・オーステルベルクの事件がヒントだと思う」 「私も同感だ。ミカはヒーラーだった。特殊な能力を持った子供を何かの実験に使ってるんじゃないだろうか」 セバスチャンが持論を展開する。 「まだ完全に確かめられたわけじゃないけど・・・」  レベッカが汚名挽回と話し出した。 「オランダで起こった子供の行方不明事件の被害者は皆何らかの特殊能力者だった可能性があるわ。そしてこの子たちは皆孤児だった。親は養子縁組で親になっている・・・」 「それは・・・。本当なの?」 「オランダ以外の事件は調べが付いていないけど、当地で起こった事件は確認済みよ」 「フランスの事件はデータベースに当たればすぐ分かると思う。ベルはスイスの1件について調べてみて」 「了解」 「ちょっとお茶にしましょう」  レベッカが席を立った。給湯室へ行く。レベッカが戻ってくるとお茶を入れるのを待ってマリーが深刻な表情で話し出した。 「その後アンドレ・ニッカネンの消息は分からないのよね。わたしはあいつにミカのことで暗示を掛けた。それであいつは動いたと思うの。どう動いたのかそれは分からない。でもあいつはミカのことで負い目を感じていた」 「ヴァンパイアにしてはナイーブなのね」  ベルが茶々を入れる。 「長く人間界にいるとそうなっていくのもいるんだろうね」 と、これはセバスチャンだ。 「とにかくアンドレが何かをやって事態が動き出したと思う。こうなると誰が気が付くにしても時間の問題でしょ?」 「そうだな・・・」 「これからは力尽くで来ると思う。セバスチャン、レベッカ、充分気を付けてちょうだい。まずは銀の弾丸をお薦めするわ。間違いなく効くから」 「あと聖水も効果あるわよ」 蘭が付け加えた。 「そんな・・・、それじゃほんとに吸血鬼除けじゃあ・・・」 「いえ、今回の件、相当長く時間を掛けて進めていたんだと思う。でもアンドレのことや私たちが遺伝子病理学研究所に忍び込んだことで、奴等は焦りだしているわ。いよいよ来るわよ」  レベッカは神妙な顔でマリーの忠告を聞いている。そこへ蘭が駄目を押した。 「私たち東京で奴等と戦争した経験者だからね」 「戦争・・・」 レベッカの顔は青ざめていった。
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