第3章 慈善団体

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第3章 慈善団体

「東方魔法協会でーす。私たちは子供会を運営しています。ご寄付をお願いしまーす」  女子大生が声を嗄らして叫んでいた。アムステルダム中央駅の前、女子大生の隣には中学生くらいの男子と小学生の男女4人が首から募金箱をさげて並んでいる。この季節にしては日差しのきつい日だった。  そこへ品の良さそうな老婆が一人近寄って来た。 「ご寄付をお願いしまーす」 女子大生が声を張り上げる。  老婆はハンドバッグの中から財布を取り出しながら女子大生の前に立った。 「東方魔法協会ですって?」 老婆が優しげな顔を女子大生に向けた。 「はい。私たちは全国で子供会の活動を支援しています。経済的に苦しくてこうして浄財を集めています。ご協力をお願いします」  女子大生はそう言って頭を下げた。が、目は老婆が握った200ユーロ紙幣に釘付けだ。あれがあれば今日のノルマは一気に達成できる。 「子供会って何をやるの?」  老婆はまだ金を持ったまま女子大生に問いかけた。 「はい。新しい遊びや伝統的な遊びを皆でやったり、勉強を見たりしています」  女子大生は目一杯の笑顔を作りながら答えた。 「伝統的な遊びって何かしら?」 老婆はなおも問いかけてくる。 「あの、あの、隠れ鬼とか、そういうやつです」 やや答えに窮しながらも女子大生は笑みを絶やさなかった。  どこかであの方が見ているかも知れない。今日は募金活動の現場を視察に訪れるかも知れないとリーダーに言われている。ここで認めて貰えれば・・・女子大生は辺りを見渡したが、それらしい人影は見えなかった。 「隠れ鬼って、みんなが木の陰や物置や停まっている自動車の影に隠れたのを鬼が言い当てていく、あれかしら?」 老婆が言った。 「そう、そうです。鬼はしっかりと参加者の顔を覚えて、彼らが隠れた場所を見透していく遊びです」  女子大生はなかなか200ユーロ紙幣を手放さない老婆に微笑みかけながら説明した。女子大生はこの老婆にはちょっと控えめで愁いを帯びた微笑が効果があると確信していた。間違いはないはずだ。 「あら、懐かしいわ。実は私もね、子供会に参加してたのよ。楽しい想い出」 「そうなんですね。ありがとうございます。ご協力をお願いします」  再び女子大生が声を張るとそれに合わせて隣の子供たちが一斉に声を上げた。 「お願いしまーす」 突然の声にびっくりした老婆は子供たちの顔をまじまじと見詰めた。 「みんないい子だわ」  老婆はそう言いながらようやく200ユーロ紙幣を募金箱へねじ込んだ。  更に財布から20ユーロ紙幣を取り出すと、それを女子大生に押しつけた。 「ここは暑いわ。これで子供たちにアイスクリームでも食べさせておやんなさいな」 女子大生は困った顔をしながらもそれを受取りまた声を張った。 「ありがとうございまーす」  老婆は去り際にやや声を潜めて女子大生に言った。 「でもね、あの時のお友だちで2人の子が行方知れずになっちゃったのよ。どこへ行っちゃったのかしらねえ。今でも心配なのよ。だから子供たちをよくよく見ていてね」  女子大生は変なことを言うお婆さんだと思いながらもにっこりと微笑んで会釈をした。そして黙って20ユーロ紙幣をポケットへ収めた。 「ご苦労さま。募金額を集計してリーダーへ報告を」  支部へ戻った女子大生アンナに世話役の男が言った。 「わかりました」  アンナは空いた会議室へ入ると、自分のを含め4つの募金箱を開けた。金を集計する。そこへちょうど支部リーダーでアンナと同じ大学の4年生の女が現れた。 「いくら集まったの?」 「はい。今ちょうど集計が出来たところです。820ユーロです」 「なるほど、ギリギリ目標達成って訳ね。じゃあ、その金を持って一緒に来なさい。本部主催のパーティがあります。目標達成者だけ参加資格があります。あの方もお見えになるはず。さ、いらっしゃい」  支部リーダーの女キャサリン・アナハイムはずんずんと先へ歩き出す。アンナは慌てて金をまとめると後に従った。アンナは既に頬が紅潮していた、きっとあの人にも会えるはずだという期待に。  アムステルダムの中心、王宮からほど近い瀟洒なホテル、そこが東方魔法協会子供会全国支部大会の会場だった。  ホテルロビーには既に全国から多くの人々が集まっていた。そのほとんどが大学生である。  キャサリン・アナハイムが統括する2つの支部から選ばれたのはアンナともうひとりエリアという男子大学生だった。  キャサリン・アナハイムは2人を連れて会場である大広間に入る。アンナはいても溜まらずキョロキョロと辺りを窺っていた。そして意中の男性シンクレアを見つけ出した。  アンナはシンクレアに2度ほど会ったことがある。最初はアンナが子供会に入ってすぐの頃、派遣されて来たのがハーグ市立医科大学の学生だったシンクレアだ。アンナがまだ十代前半の頃である。  長い金髪をした居丈夫でよく通るが柔らかい声の持ち主、シンクレアと呼ばれる医大生にアンナはハートを射貫かれた。  シンクレアの方から近付いたわけではない。アンナの方が勝手にのぼせ上がっていただけなのだが。  そして2度目に会った時、彼は既に研修医となっていた。彼から呼び出しがあり、いっしょにどこかの医学研究所へ行ったのだ。  そこで簡単な心理テストを受けた。アンナは人よりやや勘が鋭いところがあり、人の心理を読むことに長けていた。  これは子供の頃からで、クラスで孤立しそうになった時もこの能力のおかげでまんまと回避できた。  友達とボーイフレンドの取り合いになった時も、いわば彼女との心理戦に勝利して彼を手に入れた。  が、アンナはこの能力を自分では意識していない。自分にとって有利な方へ事を運ぶためごく普通に使ってきただけなのだ。  そして今回いよいよリーダーの座が見えてきていた。キャサリン・アナハイムは本部へ引っ張られることになり、後継はアンナにと内々に言われていたのである。  これで、シンクレアとより親密になれる、アンナはそう考えていた。十代の頃から長い年月を経てついに彼が手に入る。アンナは勝手にわくわくしていた。  やがて出席者が揃い、司会進行役の中年男性がマイクを取って全国支部大会はスタートした。  まず東方魔法協会の理事を名乗る男が挨拶の先陣を切った。続いて子供会の現場から何人かの支部長が挨拶をする。  会場にはほぼオランダ全土の支部から成績上位者が集まっていた。そして交代する支部長の紹介があり、今度は各支部子供会ごとの募金結果の報告が行われた。  アンナの子供会で集めた金額もその中で報告されたが、余り上位の方ではなかった。だがアンナは特に気にしてはいなかった。募金額などどうでも良かったのだ。シンクレアを手に入れて楽しく残りの学生生活を過ごせたら、それだけで満足だった。 「ハーグ支部長のアーネスト・シンクレア2世です。今日は、皆さん大変ご苦労さまでした。東方魔法協会のグスタフ理事長、このような立派な会を開催いただき厚く御礼申し上げます。私たち子供会は恵まれない子供たちの居場所として常に子供たちに寄り添い活動して参りました。これはここにいらっしゃる全ての人たちの同じ思いだと私は知っています。先ほどはその成果のひとつである募金活動について報告がありました。皆さんの頑張りには頭の下がる思いです。しかし、重要なことは金銭的に恵まれない子供たちへの支援と共に精神的に恵まれていない子供たちへの思いなのです」  シンクレアのスピーチは抑揚深く流れるように言葉を紡いで人々へ浸透していった。特に会場の若い女性たちは皆一様にシンクレアへの思いで一杯になって行ったのである。  まるで催眠術か何かのようにあっという間に人々の心理を掌握してしまったのだ。  特技だった。特別な能力と言ってもいい。シンクレアには大衆を、集団心理を方向付ける力があったのである。  アンナもまたシンクレアの声に心臓を鷲掴みにされ、図らずも支部への忠誠を心の中で誓っていた。  いつ終わったのか分からぬままシンクレアの姿は見えなくなり、会は立食での談笑となっていた。  アンナはまだボーっとしていた。キャサリンは上層部への根回しに各テーブルを忙しそうに回っている。取り残されたアンナと別の支部の男子学生は手持ち無沙汰に食べ物を口に運んでいた。 「君、アンナさんだよね」  その男子学生がアンナに言った。だがアンナは上の空だ。そこでもう一度男子学生が声を掛けた。 「アンナさん、アンナ・イワノビッチさん」 フルネームで名前を呼ばれてようやくアンナは男子学生の方を振り向いた。 「ごめんなさい。ちょっと熱気に当てられちゃって。ぼーっとしてたわ」  アンナは即座に作り笑いを浮かべた、ごく自然に。 「いや、脅かしてごめんよ」 「あなたは確か隣の支部の・・・」 「エリア・ボルストです。宜しく」 「こちらこそ、エリア」 「シンクレアさんも相変わらず凄いよね。あのスピーチはやっぱり才能だよ」  シンクレアを褒められてアンナは何故か嬉しくなった。  ところがエリアの情報、というより噂話のレベルではあるのだが、はアンナを急に不機嫌にした。今までの高揚感に一気に冷水を浴びせられたようだった。  エリアが言うのはシンクレアはそろそろ東方魔法教会に迎え入れられ全国を回る仕事を与えられると思われていた。ところがなかなか本部へ引き上げて貰えないのはある事件が理由だというのだ。  シンクレアのハーグ支部で昨年一人の女の子が亡くなった。その死にアンドレ・ニッカネンというやはり医大生が係わっていたらしいと言う噂だった。  結局アンドレ・ニッカネンは行方をくらまし、今もどこに居るのか分からないという。この責任を取らされてシンクレアは未だに本部へ引き上げて貰えないというのだった。 「その亡くなった女の子って自殺じゃなかったの?」  アンナもその事件なら新聞記事で読んだ記憶があった。だが、元々身寄りのなかったその子、確かミカ・オーステルベルクという少女は運河に身を投げたと書いてあったのだ。 「ああ。表向きはそうなってるけどアンドレがしつこくその子につきまとって追い詰めたんじゃないかって思われてるらしい」 「そうなんだ・・・」  アンナは暗い気持ちになった。どちらの言い分が正しいのかそれは分からない。多分エリア・ボルストの言うことは単なる噂話なのだろう。 「なんでもアンドレ・ニッカネンはこの女の子を遺伝子病理学研究所へ連れて行って自分の手柄にしようとしたらしいよ」 「遺伝子病理学研究所」  アンナはその名前を反芻した。どこかで聞いたような・・・。そしてすぐに思い出した。あそこだ。シンクレアに連れて行かれたあの研究所、病院みたいな、実際医者と思しき女性に心理テストというのを受けさせられた。 「これは週刊誌ネタなんだけど、その女の子ヒーラーだったらしいんだ」  エリアの言葉は衝撃だった。ミカはヒーラーだったらしい。それってどういうことだろう。自分があそこへ連れて行かれたのは何だったのだろう。  アンナは急に何だか自分が雲の上を歩いているような不安定でふわふわした気持ちになっていた。  ハーグ子供会のアンドレ・ニッカネンはヒーラーの少女を遺伝子病理学研究所へ連れて行った。そしてその1年前自分はハーグのシンクレアに連れられてそこへ行っているのだ。  自分は簡単な心理テスト、例えばインクを零したような紙を見せられて何に見えるか説明するとか、カードを選んで絵柄を想像するとか、そういったモノだったが、医者の前でやったのだ。ミカという少女は一体研究所で何を・・・。  が、アンナの思考を断ち切るように突然シンクレアに話し掛けられた。 「久し振りだね、アンナさん」 アンナはその声に一気に現在へ引き戻されていた。  過去のことなんかいい。大事なのは今なのだ。その男は今は金髪を短くセットして洒落たスーツを着こなしている。だけど声は、声は昔のままだった。よく通る優しい声。 「シンクレアさん」  アンナの声はうわずっていた。 「いい成績を残したそうで私も嬉しいですよ。今後とも宜しくお願いしますね」 そんなことはどうでもいいから、もっとプライベートなことを話したかった。アンナは目一杯の声でシンクレアに語りかけようとした。  ところが、通りかかった東方魔法協会の理事長に会話は遮断された。 「シンクレア君、彼女がアンナ・イワノビッチさんかね?」  シンクレアとの大事な時間にデブの中年男が割り込んできた。しかしアンナは理事長にゆっくりと頭を下げ、今日の礼を言ったのである。  まずはシンクレアと対等の立場に立たなければ、先はない。グスタフは舌舐めずりでもしそうな顔でアンナを上から下までまじまじと眺めた。  は虫類のような視線だとアンナは感じた。そこへ若い男が一人伝言を持ってやって来た。グスタフは了解すると、アンナに言った。 「マジェスティが見えられた。君を紹介してやろう。付いてきなさい」  グスタフはシンクレアを一瞥するとアンナに手招きして先に歩き出した。アンナはそれに従う。  皆が陛下と呼ぶその人のことをアンナも知っている。もちろん会ったこともないし顔も知らなかったが強大な権力と何かの力を持つ人だと知っていた。  自分のような若輩に会える機会などそうありはしない。シンクレアのことはひとまず棚上げして陛下に挨拶を、アンナは気持ちを切り替えていた。  ホテルの一室。グスタフはアンナを紹介するとすぐに部屋を出ていった。今は陛下と二人きりである。  陛下と呼ばれるその男はアンナの想像とは違って大変若く見えた。20代後半くらいか、多目に見ても30代前半というところだろう。 「アンナ・イワノビッチ。君は勘が鋭いそうだね。ならば分かるかね? 私が何故君を呼んだのか」  しかし全体から発散する一種の匂いは非常に老獪なモノを感じさせた。言われるまでもなくアンナはさっきからしきりに頭を回転させその答えを探していた。  まだリーダーでもない自分を東方魔法協会の理事長までもが跪くこの権力者がなぜ呼んだのか・・・。
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