青春の鼓動

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青春の鼓動

 今にも雨が降ってきそうな曇り空の朝。  私はいつも通りの時間に学校までのバスの乗り換え駅に着いた。  とりあえず学校に着くまでは降らないでいてくれるといいんだけど。  でも三時間目の体育はマラソンの予定だから、その時間には降ってほしいな。  そんなことを考えながら、バス待ちの列に並ぶ。  バス停にバスが入ってくる直前に、地下鉄駅からまたたくさんのうちの高校の生徒が出てきた。 「あ」  思わず声が出る。  空を見つけた。  まだ一年だし背が高い方でもないから、たくさんの生徒の中に紛れちゃってるけど、あのふわふわした明るい色の髪はけっこう目立つ。  朝のこの時間は、会えたり会えなかったり。  空がちゃんと起きられるかどうかにかかっている。  ギリギリの時間だとバスがすごく混むし、バス停から学校まで走らないとならなかったりするから、空を待っていたい気もするけどやっぱり早めのバスに乗ってしまう。  でも今日はちゃんと会えてよかった、なんて思って、 「そ……」 「空ー!」  声をかけようとしたところで、ほとんど同時に後ろから空を呼ぶ大きな声が聞こえた。  声がした方を見ると、たぶん空と同じ一年生の女の子が四人、空を取り囲んだ。  空は一瞬戸惑った表情をしたけど、知り合いだったのかな、すぐに落ち着いた表情に戻った。  ……この前女の子と話してた時は、遠くから見てただけだったけど。  もうバスの乗り口が開いて列が動き始めたけれど、私は列から外れて、空に近寄った。 「空」 「あ、るりさん! 良かった、るりさんに間に合った」  空がそう言って満面の笑顔を見せた瞬間、四人の視線が一斉に私に向けられた。  ……ちょっと、こわいんですけど。 「あ、えっと、おはよう」 「おはよー」 「え、空?」  誰? とでも言うような言葉に、 「あ、オレの彼女」  と、さらっと答える。 「ええーっ」 「マジで? 三年とつきあってるって話、ホントだったんだー」 「マジで。めっちゃ美人でかわいいっしょ?」 「え、やだ、ちょっと何言ってんの……」  そう言いながらふと、大きな声で騒ぐ女の子たちの中で一人だけ声を出さない子がいることに気付いた。  ……空のこと、好きだったのかな。  そんなふうに見えた。 「ね、空……」  できればもう、この子たちから少し離れたい。  そう思って空の袖口をつまんで引っ張る。 「うん、一緒に行こ。じゃあね」  と言って私の手を取って、もうバスが一台行ってしまって短くなった列に並び直した。  離れるときにさっきの子の顔をちらっと見ると、すごく悲しそうな表情に見えた。  ……私には関係ないし。  そう思うけど、ちょっと気になった。  空はそんなことには気が付いていない様子で、私の手を握る。 「さっきの子……」 「あ、うん、ごめんね。中学ん時の同級生とその友達?」 「……ふうん」  繋いだ手にぎゅっと力が入ると、空が私の顔を見て笑う。 「どしたの?」 「なんでもない」  なんだかもやもやするけど、それがうまく言い表せなかった。 「へえ、それはなめられてるよね」  昼休みになずなと杏子と一緒にお弁当を食べながら、朝のことを一通り話した。 「だよねだよね? 三年って言い方おかしいよね? それに空なんて呼び捨てにして馴れ馴れしいじゃん」 「あんただってしてるじゃん」 「あたしはいいの!」  だって彼女だもん。 「でもさあ、それよりどうなの? 続きそうなの?」  と、なずなが言う。 「え?」 「羽鳥くんとさ、卒業したあともつきあうつもりなの?」 「それは……」  なんだか何とも言えなかった。  卒業までは、あと半年もない。  今まで、半年以上の間男子とつきあった覚えもない。  だからうまくいくかどうかなんてこともわからない。  空とつきあうようになってまだ二週間も経ってないのに、半年も先のことなんか想像ができない。 「まだ半年あるけど、半年しかないんだよねえ」 「ん……でも正直、わかんないよ、つきあいだしたばっかりだもん」 「そういう意味では、一年にしたらやっぱり『なんで三年と?』ってなるよね。女子が年上ってのもちょっと珍しいしさ」 「なるよねー」  杏子もうんうんと頷く。 「……なるよねえ……」  それは否定できない。  私がさっきの一年だったら、絶対『なんで今三年と?』って思う。  ……なずなたちに言えば少しはスッキリするかなって思ったけど、余計にもやもやしてしまったような気がする。  放課後、今日は図書館は蔵書の整理とかで一日入れなくて、教室で勉強しながらもやっぱり朝のことを考えてる。  空は私の前の席で後ろ向きに座って、テストが近いのもあって珍しく教科書を開いて眺めていた。  結局今日一日雨は降らずに、でも、私の気分と同じようなどんよりとした曇り空は変わらなかった。 「……そう、なんか馴れ馴れしいんだよ」  お昼になずなたちと話していたことを、空にも言ってみる。 「え、何?」  突然そう言いだしたせいで、空は面くらったような顔で聞き返す。 「だって、空のこと空って呼ぶって、彼女でもないのに変じゃない?」 「けっこうみんな空って呼ぶけど」  空は不思議そうに首をかしげる。 「でも、……なんかヤダ」  と、言ってからはっと気づいた。  私ってば、子どもみたいなこと言ってる。 「るりさん、妬いてるの? この前もそんなこと言ってたっけ。けっこう意外ー、うれしいけど」 「やだ、違うけど」  そう言ったって、空はもううれしそうにニヤニヤ笑ってる。 「るりさんってば、オレのこと完全に愛しちゃってるよね」 「調子乗ってるしょ」  そう言って睨むと、ぶんぶんと首を横に振る。 「乗ってない乗ってない。めっちゃ謙虚」  どこが謙虚なんだか。 「……あの子、空のこと好きだったよ?」 「え? どの子?」  目をぱちぱちさせて、本当にわかってなさそうな表情。 「なんか途中で黙っちゃった子」 「えー……別のクラスの子だからよくわかんないけど、うっそだあ」  空って意外と鈍感なんだ。 「絶対そうだよ」 「何それ、女の勘ってやつ?」 「そうだよ。絶対そう」 「でもだって、オレにはるりさんがいるし」 「でもだって、三年となんて、みたいなこと言われたじゃん」 「いいじゃん、三年だって」  ちょっと呆れたような顔をして頬杖をつく。 「でもだって、あたしは先に卒業しちゃうし、そうなったらバラバラでしょ?」  そう、やっぱりそれって気になる。  だって、……空が好きなんだもん。  今までそんな後のことまで考えてつき合ってたことって、あまりなかった。 「デモデモダッテって……でもそれって、卒業したあともずっとオレとつきあいたいって言ってる?」  今度はくりっと目を大きく見開いて、身を乗り出す。 「……そういうことに、なる?」 「なるなる」 「そう……なのかなあ?」  お昼にもそう言われて、自分の気持ちがよくわからなかったけど。  そもそも『半年後に大学生になっている自分』だって、まだぼんやりとしか想像できないのに。  そうなるかどうかだってまだわからない。  でも、そこには空がいたらいいなって思う。  今みたいにいろんな顔を見せて、一緒にいたいなって思う。  そんなふうに考えるなんて、自分でもなんだか不思議だ。 「るりさんカワイイなー」 「なんでそうなるのかなあ?」  納得いかなくて唇を尖らせたら、さっと空の顔が近づいてきて、キスされる。 「や、教室じゃやだ」 「誰もいないじゃん」  ドアの向こうにはちょこちょこと歩いてる生徒とかいるし、窓の外のグラウンドでは部活の人たちの声がひっきりなしに聞こえてくる。  だけど、今この教室の中では、私と空のふたりきりだ。 「でも、」  言いかけた言葉は、空の唇で止められる。  目を閉じたら、ドアの向こうの気配や窓の外の雑音も気にならなくなった。  机の上でシャーペンを握ってた私の手に空の手が重なって、シャーペンから手を離すと自然に指が絡まる。 「……これでもわかんない?」  長いキスのあと、ゆっくりと唇を離しながら空が聞いた。 「え?」 「オレがどんだけるりさんを愛してるかってさ」  と、至近距離での満面の笑顔。  やっぱりこの顔がいちばん好き。 「や、え、……うん」 「あー……キスしたら続きもやりたくなってきた」 「えっ、だ、ダメだよ、週末は模試なんだからっ。勉強してるんだからっ」 「今日は全然手をつけれてないくせに」  と、空は呆れた顔をして机の上のノートをちょんちょんと指差した。  教室から人がいなくなってからノートと英語の問題集を広げて一時間、ノートに書いた答えはひとつだけ。  空白部分がまぶしい。 「う、うっさいってば」 「あー、やりてー」  と言って、空は足をばたばたしながら笑い声を上げる。 「そういう下品な言い方しないでよ」  そう言いながらも、私もつられて笑ってしまう。 「じゃあ、ハグしよ?」  私が返事をするより前に立ちあがって、隣の席に移動する。 「ん……うん」  と、返事をした時にはもう、空の腕の中。  まだ少年らしい体つきでちょっと細めの背中に、腕を回した。  手のひらに空の鼓動が感じられる。 「ねえ」  耳元でやさしく転がるような空の声。 「ん」 「まださ、つきあって全然経ってないけど」 「うん」 「大好きだから、ホントに」 「ん……あたしも」  ぎゅっと腕に力を入れると、 「ぐえ」  なんてふざけるけど。  ……案外、照れ隠しだったりする? 「ぐえって言うなー」  背中を軽く叩くと、くすくすと笑う声が聞こえた。  こんなふうに好きになっちゃうなんて、最初は全然思ってなかったけど。  毎日どんどん、空を好きになる。
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