《零》始マリノ記憶

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《零》始マリノ記憶

そう、あの日は突然訪れた。 幸せと言うものは、何故突然消えていくのだろう。 私が七歳になったばかりだった、弥生(やよい)二十日(はつか)。 まだ肌寒い朝。布団から出て、まだ眠たそうな五歳の弟・(けい)を起こした。そして、いくら揺さぶっても起きようとしない父に、景と二人でギュッと抱き着いた。そうすれば大きくて優しい手がワシャワシャと頭を撫でてくれて、凄く心地よかったのを覚えている。 三人で笑い合っていると、母が作る美味しい味噌汁の匂いが廊下を伝って香ってくる。食卓に着けば、母が丁度、お(ひつ)から茶碗にご飯をよそっている所だった。元気よく『おはよう』と声を掛ければ、『おはよう』と優しい笑顔と共に返ってきた。 四人揃った所で『いただきます』と手を合わせ、箸を手に取る。ホッケの骨が上手く取れない景を可愛らしく思いながら、皿を引き寄せて綺麗に取ってやれば、笑顔と『ありがとう』が返ってきた。こう言う喜びがあるのは、姉の特権だろう。 『ご馳走様でした』と四人で手を合わせた後、父は勤め先の軍警察に出勤し、景と私はお庭で蹴鞠(けまり)をして遊んでいた。景が飽き始めると、今度はかくれんぼ。私が鬼になるのはお決まりで、景がトコトコと隠れ始める。 何処だろう、と探していると、蔵の入口に景が来ている灰色の(はかま)が挟まっているのが見えた。ずっと知らん顔をして、蔵の辺りを回っているとクスクスと景の笑い声が聞こえてくる。その拍子にバッと扉を開けてやれば、『見つかっちゃった!』と抱き着いてきた。 沢山遊んで疲れてしまい、二人して縁側で寝てしまった。起きたのは、父が車に乗って帰ってきたエンジン音で。後から知った事だけど、父は軍警察の階級で大将(たいしょう)だったらしい。警察内では誰よりも冷酷だったと言い伝えられているが、今も昔も想像することは出来ない。 時刻は六時。その日は牛鍋が出てきた。グツグツと鍋の中で煮え立つ具材に、自然とヨダレが溢れる。景と私は危ないからと、父と母によそってもらい食べた。初めて食べた牛鍋は甘くてしょっぱくて、笑顔が(こぼ)れる味がした。 夜、皆が寝静まった後。私はやけにだるい身体を起こして(かわや)に向かう。誰も起こさないように、ゆっくりと布団から抜け出して襖を閉める。不自然な眠気に足が縺れた。すると突然、吐き気に襲われ慌てて厠へ駆け込んで吐き出す。何故かが混じっていた。 *** 床板がギシギシと歪む音が、いつもより大きく響く。厠から部屋までの廊下は遠く、この時間帯は怖くてあまり通りたくはない。柱時計がゴーン、ゴーン••••••と音を鳴らし思わず肩が震えた。部屋まであと少しと思ったところで、ぼんやりと淡い光が見える。それがあまりにもには見えなくて、駆け足で部屋に戻った。 部屋の前まで来ると何事も無いようで、ただぼんやりと淡い光があるだけ。景が起きて、母があやしているのだろうか。 そう思った矢先だった。辺りが地獄と化したのは。 突然、バキッと引き戸を突き破りナニかが転がってきた。目が明かりに馴染むとそれは―― 「お、かあ、さん••••••?」 もう目に光は無く、口からは吐かれた血が流れ出ている。寝巻きはズタズタに裂かれていて、床板はみるみる血の海になっていった。 部屋に視線を戻すと、父が刀を手にしてナニかと戦っている。父は致命傷までは行っていないものの、あちこち傷付いており畳の上に血を滴らせていた。そして、景もうつ伏せのまま血だらけで倒れている。 「お、とうさ、ん••••••?けい••••••?」 「(ひなた)!!」 『逃げろ』と伝えてくる父の目は、異常事態を知らせていた。しかし父の前に居るナニかが私に歩み寄ってきた。被り物をしていて顔が良く見えない。肌で感じる鋭く濃い激情に、恐怖で身が竦んで動けなくなる。 「娘には手を出すな!!」 殺気を撒く父が地面を蹴った。刀がナニかの首に近付く。でも、 「俺に勝てる訳がないだろう」 ナニかの爪が長く伸び、いとも簡単に父の心臓を貫いた。刀が部屋に弾き飛ばされ床に突き刺さる。仰向けに転がらせられ、目の焦点が曖昧になってきた父は私に血濡れの手を伸ばした。 「に、げろ••••••」 しかしそれもパタリと落ちる。 「ぁ、あああ••••••っ!」 父が目の前で殺された。母も••••••。 「お、ね、ちゃ••••••」 「景!?」 部屋で倒れたままの景と視線が重なる。血で汚れるのも構わず、駆け寄って景を抱き締めた。呼吸が浅い。早くここから逃げれば助かるかもしれない。歩み寄る音と気配を感じれば、ヤツがそこに立っていた。 「殺すなら、私を殺してっ!!」 「••••••••••••」 しかしその言葉を無視して、私の腕から景の襟首を掴み引き離した。ぐったりとした景は抵抗も出来ない状態で、されるがままになっていた。私は声を張り上げて絶叫する。 「いや!!景を返して!!け――」 ズシュッという生々しい音がして、顔に紅い雫が幾重にも飛んだ。紛れもなく景のものだった、それ。景の身体が無惨に床に落ち抱き上げたけれど、既に息をしていなかった。 「け、い••••••?」 固く閉ざされた瞳がある顔を数回叩く。景は疲れて眠ってしまっただけだと、おかしくなった頭は錯覚してしまったのだ。 「景?寝てるだけだよね?死んでなんか、いないよね••••••?」 ボロボロと涙が零れてくる。胸がはち切れんばかりに痛く苦しい。景が少しでも(あたた)かく眠っていられるように、私の羽織りを掛けてあげた。 次に目に付いたのは、突き刺さったままの父の刀。頭に浮かんだのは、"復讐"の二文字だけ。殺されても構わない。そうすれば父と母、景のところに行けるんだから。柄を掴んで引き抜き、目の前のナニかに斬り掛かる。 「家族を返せ!!」 其奴に斬り掛かると片手で刃を掴まれ、そのまま床に叩き付けられた。それを見てなのか、其奴は被り物を取って笑い始めた。 「俺に立ち向かうとは、女の餓鬼にしては度胸があるな」 明かりが其奴の顔を照らした時、身体の震えが止まらなくなった。其奴は青年の体躯をしていて端正な顔立ちをしている。思わず見蕩れてしまう程に美しい容姿だ。けれど、そこでは無い。 ――其奴の額にはツノが二つあった。 「鬼••••••」 「嗚呼、俺は鬼神(おにがみ)だ」 鬼神••••••。妖••••••。何で、何で妖が家族を殺したの••••••? 「何で、皆を殺したの••••••?」 「それは言えねぇな」 「巫山戯るなっ!!」 「おぉ。餓鬼でもこんな殺気を出せるとはな。その意気だ」 意味が分からない。此奴は私を煽って何がしたいのだろう。私が思い切り睨み付けると、フッと嘲るように笑った。 「生意気な女は嫌いじゃない。だが、お前はまだ餓鬼だし若すぎだ。成熟したら迎えに来てやる。それまで剣術の鍛錬でもしていろ。••••••俺を恨んで、憎んで、そして殺せ」 涙で顔を濡らしながら、目の前の鬼に向かって叫んだ。 「殺してやる••••••お前なんか殺してやる!!」 「楽しみにしてるぞ、餓鬼」 *** それからの記憶は一つもない。 気が付いた時には、軍警察病院の寝台(しんだい)の上で寝ていた。隣には父の同僚だと言う和泉(いずみ)さんという男性がいて、涙ながらに質問をされた。時折父との仕事についてや、家での出来事の話もした。戸を叩く音が聞こえ彼が席を立つ。暫くすると深刻そうな顔をして私に話してくれた。前置きに、落ち着いて聞いてくれと言って。 「君の家の検視中、突然、したらしい。それで••••••君のお父さんとお母さんの遺体が燃えてしまったんだ。検視担当の職員も五人負傷したみたいで。だけど、そこで不自然な事が起こった」 「不自然な事?」 息が詰まる思いで、やっと問いかける事が出来た。あんなに手酷く殺された両親はまだ壊されてしまうのか。涙を零すことさえ、私は出来なくなっていた。 「弟の景くんの遺体が••••••」 「••••••え?」 「手当り次第、捜索したらしいけど。跡形もなく消えていたって••••••」 和泉さんも目が充血して真っ赤に染まっている。悔しい悔しいと、ずっと言っていた。 「鬼神」 「鬼神?」 三人は鬼神に殺されたと伝えれば、『帝妖隊(ていようたい)』に引き継ぎをする案件だと言われて少し戸惑った。 「帝妖隊って、何ですか?」 「帝妖隊。正式名称は帝都(ていと)特定害妖抹殺部隊(とくていがいようまっさつぶたい)と言うんだけどね。軍警察内にある部署だけど、そこは人間の命を殺めたり害を及ぼす妖を取り締まり、抹殺する部隊。でも害がないなら、手は下さないんだ。けどその鬼は、現に陽ちゃんの家族を殺している。だから、探し当てて抹殺さなければならない。いつまで掛かるか分からないけど」 その言葉で、私に出来ることを見つけた。 「••••••帝妖隊に入るには、どうすればいいんですか?」 「帝妖隊は、とくに命を投げ出す覚悟がなければならないよ。自分の命も守らなければいけないから、剣術は極めた方がいい。というか必須だね。体力作りもしないと妖力が秘められた特殊な刀で戦うから、反動が物凄く大きいんだ」 やりたい。やらなければならない。 「私、帝妖隊に入ります。今は剣術も出来ないけど、絶対に」 「そんな無茶なっ!剣術と無縁だったどころか、君は女の子なんだよ!?」 「女だからやるなってことですか?鬼神を殺す事以外に、私の生きる意味はない!!それをして、何がいけないんですか!?」 彼は息を飲んで俯き、それ以降何も言わなかった。 たった七歳の幼女が何を言ってるんだと思われただろう。それでも構わない。お父さんにお母さん、そして景の仇が討てるのなら。私は死んだっていいんだ。 その日、人知れず鏡の前に立って長かった髪を、耳上まで切った。 鬼神を殺す。 それしか頭に無かった私に浮かんだ考えは―― ことだった。
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