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「お、俺は」  朝比奈が、くぐもった声で言った。興奮した東が、重たそうな腰を上げる。 「御馬鹿」それを押さえつけたのは、いつの間にかやって来ていたヨネだった。「今行動を起こしたら、彼が過剰反応するわよ?」 「いや、だって。彼が男の声に反応して」  東は未だ興奮冷めやまない様子であった。一方で、ヨネは全てを悟ったような微笑みを浮かべていた。周りを凍りつけてしまいそうな、冷たい表情。  彼女を意義あり気に見上げた東の顔も、ピシッと固まった。中途半端に腰をあげたまま、動きを止めている。 「座れ、東」  タイミングよく、覚が言い放った。東はもう、抵抗などしなかった。ヨネに肩を押されるがまま、再び椅子に沈む。  覚は、重い息を吐き出した。そうして気分を入れ替えると、今度は、しっかりと客の顔を見た。 「朝比奈さん、ご反応いただきありがとうございます。どうでしょう、目が覚めましたか?」頷く朝比奈を確認してから、問いかける。「ところで、こちらの女性。今までずっとあなたの隣にいたのですが、どうでしょう、ご存知でしょうか」  隣にいた男の顔が動く。わたしを見つめ「どちらさまで?」と困惑した。妻と混濁していない。意識がはっきりしていることは、明らかだった。 「あ、わたしは細魚佐代里です。えぇと、そこの占い師の助手で」 「あん?」覚が眉を上げる。「お嬢さん、いつからウチで働くことにしたんだ? バイトを雇う余裕は無いぞ」 「と、上司は言っていますが、要は使い勝手の良いお手伝いさんのようなものです」 「おい」 「だから、安心してください。わたしの占い師としてのプライドに誓います。あなたが話したこと、その全てはわたしたちの胸の内に秘めておくことを」  朝比奈が息を呑む。何か言いたげな覚も唇をギュッと結ぶ。場の雰囲気が変わった。それに気が付いたのだろう。  目の前の男は、少しだけ背筋を伸ばした。ただまだ頼りない体に力がこもり、濁った目も少しだけ上向きになる。 「わかりました」その声は、今までで一番ハッキリ聞こえた。「お話しします。俺が感じている違和感を。ーー東先生、すみません。せっかくご尽力いただいたのに、俺はまた混乱に巻き込まれるかもしれません」 「それは、どういう意味かな?」  東が前のめりになって続きを促す。弛んだ顎がたぷんと揺れた。 「妻はやはり、自殺では無いようです。おそらくですが……」彼は断言する。「うちの母が、優美を殺しました」 「なんだって!」 「お、おかあさん?」  叫ぶ二人を置いてきぼりに、覚だけは冷静だった。カードを並べながら、淡々と問う。 「根拠は?」 「味噌汁です」朝比奈は辛そうに顔を歪めながら答える。「母が作る味噌汁は、妻が作っていたはずのそれと同じ味がするんです。よく言うじゃないですか、ヒ素をちょっとずつ盛って殺すって話。うちでも同じことが起きてたんじゃないでしょうか? 母が家中の様々なものに毒を盛り、じわじわと俺たち苦しめてた……。妻は俺より体が小さいから先に死んだ。そして、次は俺の番なんだ」  朝比奈の体が再び丸くなる。そして、カタカタと震え出した。目はまた薄暗くなってしまったし、もう話を聞くことは叶わないだろう。  わたしは東を見た。彼はその視線を受け止め、困ったように笑う。そして、覚に目を向けた。 「えっと、どう思う?」 「アホみたいな話だ」  占い師は、無表情だった。それにも関わらず、声にだけはたっぷりと怒気が混ざっていた。 「東、この人にちゃんと事件の説明したのか? 酒に毒を混ぜて死んだって。味噌汁なんて関係ない、と。だが、占いに出ている以上、この話が糸口であることは間違いない……ないはずなんだが、畜生、一層面倒になっただけじゃねぇかよ」ぐちゃりと髪をかき乱し、覚が叫ぶ。「おい、東。僕を朝比奈家に連れて行け。こうなったら、この人の母親に直接問いただした方がはやい。なんなら、味噌汁も作ってもらおう。そこの婆さんに毒見させれば良い」 「馬鹿を言うんじゃないわ! 私は()だ死にたく無い」やれやれ、と老婆は肩を落とす。「でも、気にはなるね。同じ味、その真意が知りたい」 「しんい?」  わたしは首を捻る。ヨネはちらりとこちらを見て、ふっと気が抜けたように笑った。 「人の手がかかる以上、いつも同じ味っていうのは中々難しいの。一流のシェフじゃあるまいし、クオリティが均一とは考えにくい。となれば、調味料がカギを握る。いつも使っているものだから、限りなくいつもに近い味である。これが日々の食事の真実さ。そして、朝比奈の場合はヒ素にその同一感を持っている。果たして人は毒物に舌を奪われるのか、私としては気になるところなのよ」 「それは、サガというやつですか?」東が問う。「流石は、舌の魔女。味には貪欲だ」 「ただの性分。仕方がないね」  ヨネは否定せず、ただ笑うだけだった。
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