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 突きつけられた正論に、言葉を詰まらせた。確かに、もはや面接は間に合わないわけだし、急いでここを出る必要はない。だが、明日も就職活動があるわけだから、早く家に帰って予習をしたい、なんていう気持ちもあった  ううん、悩む。なんと言って断るべきか。 「じゃあ、お茶一杯だけ。勉強が済んだら、彼が来なくても帰ります」 「御茶一杯?」 「だって、ここは喫茶店なんでしょう。だから、紅茶でも飲んで、のんびり待てば良いかなって」 「あら、其れは無理よ」  ヨネは立ち上がった。その手にはタマネギが握られている。そのままカウンターへ引っ込むと、今度は鍋を持って現れた。プンと香る醤油の香り。 「開けてみて」  言われるまま手を伸ばす。蓋の下に転がっていたのはジャガイモ。他にも人参や細切れの肉、そしてタマネギもたっぷり入っている。甘みの強い香りが、またふわりと立ち上る。 「肉じゃが?」 「正解。今日の料理はこれだけなの。お客さんが頼めるのも、肉じゃがだけ。それでも注文するのかしら」 「ええと」困惑しながら訊く。「あの、ここは喫茶店ですよね」  定食屋とかではないはずだけれども。ーー見た感じ。 「違うわよ」  ヨネは優しく言って、壁を指差した。わたしの背後である。寝っ転がっていてはちょうど見えない位置。振り返り、貼り付けられたチラシを読み上げる。 「会合の会館?」 「御近所さんに貸し出している休憩場所なのよ、此処は」ヨネはのほほんと答える。「何か飲食物をつけて、一日500円。メニューは飲み物だったり食べ物だったり色々なの。今日は偶々肉じゃがだっただけ。明日は何にするか、その日の気分で変わってくるわ」 「は……あ」  香ばしい香りを漂わせる鍋を不思議そうに眺めつつ、返事をする。その顔には「訳がわからない」と書いてあるのだろう。ヨネはそんなわたしを笑い飛ばした。 「結構評判良いのよ、我が家の料理。持ち帰りも行っているから、今日のように御料理を出した日の夕方には、奥様方が買いに来てくれる。有難い話ね」彼女は目を細めた。「とはいえ、其れだけが理由じゃないのだけれども」 「え?」  ヨネのつぶやきを聞き逃さなかった。そういう意味、と開きかけた口に、つっと人差し指を当てられる。皺だらけのそれはすぐに離れ、今度はヨネの唇へ寄った。 「うふふ、こっちの話よ。気にしないで」そして、鍋とお玉を差し出した。「そういう訳で、食べなさい。初回無料にしておくから」 「いや、熱中症で倒れた人にすすめるものですか?」 「一杯やるって言ったじゃないの」  いや、それは食べ物じゃない。普通はお酒とかそういうのだろう。まぁ、今は昼だしコーヒーの一杯でも。 「だから、飲み物……」 「おい、婆さん」言いよどむわたしの背後から、低い声が降ってくる。「あんまり若い子をいじめるな。そんなんだから、お節介だなんて呼ばれるんだぞ」
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