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私は親の顔を知らない。
物心ついた時には人里離れた山奥のあばら屋に、婆と二人で暮らしていた。
婆の両目はどろりと白く濁り、盲に見えたが針穴くらいの光は差していたようだ。
口を聞けぬのかと思うほどに寡黙ではあるが、こちらから問いかければぼそぼそと返事は返ってきた。
日々の賄いは家の周りにある、僅かばかりの畑で採れる野菜。
粟やひえなどの雑穀は、三月に一度婆が山の麓にある『郷』で求めてきた。時には土産に菓子などを携えてくることもあった。
背負子を担ぎ、まるで健常のように急な坂を下りて行く。
その間、私は留守居だ。
独り暇を持て余す中、賑わっているであろう郷の様子に思い做し、いつしか憧れを抱くようになっていた。
何度か一緒に行きたいとせがんだが、それは終ぞ許されることはなかった。
婆との暮らしは特段に楽しいことも無かったが、悲しむべき出来事も無い。
湧き出る清水を静かに運ぶ小川のように、ゆるゆると流れる時を過ごしていた。
あの日までは___________________
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