青春の鼓動 ~僕たちの昭和~ 第二巻

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第一章  ときめき(一年生) 第一話  中井孝雄先生と新しい仲間たち  昭和38年3月。圭司・十二歳、間もなく中学一年だ。 小学校卒業式が3月15日、中学入学式が4月8日。 その間の出来事である。 小学校の卒業式を終えた三角ベース仲間、沢村定吉(サンタ)荒木忠義(ター坊)阪野真人(マサト)横山修(オンチュー)阪本鋭一(エイちゃん)古屋孝之(タカ)と圭司たちは、中学校の入学式を前にした、ちょっと長めの春休みを、いつもの通り草野球を楽しみながら、入学後の鳴海中学野球部入部に夢を馳せ、胸躍らせてその時が来るのを待っていた。 古屋と一緒の九州組で、一年前まで一緒に三角ベースをやっていた一年先輩の古賀和雄、鍬山章の二人が既にその野球部にいることも、何となく心強かった。 そんなある日の草野球の後、ター坊が古屋に尋ねた。 「タカ、古賀くんと鍬山くん元気にしとるんか?野球部の話、何か聞いとらんか?」 「ここんとこ全然会っとらん。野球部結構忙しいらしいで、様子が分からんのだわ。」 九州男児も、一年も経てばあっという間の〝名古屋弁〟。子供の順応力は流石である。 「そうか・・・、そんならみんなで一回中学校へ見に行こまいか?どうだ?」とター坊。 それを受けて「そうだな。明日一回見に行くか。入る前に見学もええがや。」と圭司。 「そうしよまい!そうしよまい!」と、全員一致で翌日の中学校訪問が決定した。 そして翌日、中学の授業が終わる午後3時過ぎにはメンバー全員グランドに集結していた。 鳴海中は汐見ヶ丘と呼ばれる小高い山の上にあり、校庭はその山を削り取って出来ていた。 その通学路は、舗装など全くない竹藪や森の中を、くねくねと登っていく所謂〝獣道〟で、その周辺地域の宅地造成に伴う通学路の拡張工事及び運動場再整備が行われる、圭司達が中学二年になる夏休みまでは、グランドを野兎が横切ったりすることが時々あって、その度に練習を中断して、全員大騒ぎで追い回したものだった。 童謡〝ふるさと〟の『♪兎追いし彼の山♪』そのままである。 グランドに目を移すと、北西の角に野球部のバックネットがあり、そのレフト側の奥に少し出っ張ったサブグランドの様なスペースがあり、そこにハンドボール場があった。 ライト側がやけに広い長方形で、南側一帯がテニスとバレー・バスケットボールのコート。その内側の南西の角に女子ソフトボール場、その東側にサッカー場という配置であった。 センター後方の削り取りを免れた小高い場所に用務員室があり、その奥とレフト側ハンドボール場の向こうに校舎と体育館が林立していた。 初めて見るわけではないが、これから三年間通う場所である。 少しの緊張を覚えながら時を過ごしていると、程なく野球部員が集まり練習が始まった。 授業が終わって、三々五々集まり始めた野球部員たち、準備体操もそこそこに、あちこちでキャッチボールが始まり、いきなり打撃練習(フリーバッテイング)をやりだした。 土・日等の時間に余裕が有る時は、全員揃ってのランニング・準備体操をちゃんとやってから始めるのだが、平日は日の入り迄の時間との戦いで、早く準備できた者から順に打撃投手、捕手を務め、一人5本×2回の打撃練習を投手・捕手を交替しながら効率よく進めていく。 卒業式後の入学式前なので、新三年生・二年生それぞれ10人ずつ程度の人員での練習。 前述の草野球仲間、古賀・鍬山両先輩も内野と外野の2番目のポジションで、何だか意味不明の大声を出しながら練習に参加していた。 詳しく言うと古賀くんはショートで、その前で守備するのは上級生のレギュラー古屋健一くん。古屋孝之(タカ)の兄貴である。 鍬山くんの前はやはり上級生で同じく九州からの移転組、吉岡忠雄くん。投手も務める。 三塁側投球練習場では、キャプテンでエースの野々山誠くんが投球練習をしている。後に、打撃練習を終えた吉岡くんも投球練習場に入った。 二人の球の速さに〝びっくり仰天!〟『こんなの打てる奴おらんだろ!』正直な感想である。 初めて本格的な野球の練習を目にする小学生にしてみれば、新鮮で格好よくて、自分達より2年上だけなのに、その大人びた姿に圧倒されて目をパチクリするばかりであった。 そうこうしている内に打撃練習も終わりに近付いた頃、センター後方用務員室の方から、小柄だががっしりした体躯の男性が、練習場にやって来た。 近くで見ると、がっしりと言うよりは小太りと言った方が正しいかも知れない。 その姿を見止めると、部員たちは脱帽・気を付けの姿勢で口々に「ちわーっす!」と叫んだ。 この野球部の顧問で監督の、中井孝雄先生登場である。 中井先生は、当時三十代前半の英語の教師で生活指導も担当する、生徒達から恐れられる強面で、眉は太く頬骨の張った色黒の顔は、確かに一寸見、近寄りがたい雰囲気ではあった。 その中井先生が、ネット裏で見学中の小学生集団に気付いて、こちらに近付いてきた。 「君らはあれか、今度入学してくる新一年生か?」 「はい、そうです。」緊張の面持ちで、圭司が代表して応えた。 「もしかして、野球部に入りたいんか?」と中井先生。 「はい、そう思って見に来たんだけど、みんなあんまり上手で一寸びびってます。」と圭司。 「はっはっはっ、あんなもの一年もやれば誰でもああなるよ。大したことないでよう。」 先生は、楽しそうに小学生グループに話してくれた。 続けて中井先生「みんなにも一緒に練習して貰えるといいんだけど、まだ入学もしてない子供に怪我でもさせると大変なことになるで、ちょっと我慢してちょう。入学したらいっぱいやれるでな。先生、楽しみにしとるでよ。」 それを聞いて一同ホッとしたものだった。 それを聞いていた上級生達の陰の声。 『先生またあんな優しいこと言って。おみゃあら(お前達)騙されたらいかんぞ!』 その日を境に、ほぼ毎日の練習見学となった。 中井先生の言い付けなので一緒に練習とはいかなかったが、打撃練習のファールボールが竹藪や森の中に飛び込めば、争ってそれを拾いに行ったものである。 新二年生にしてみれば『球拾いの後輩が出来て大助かり!』と言ったところであろう。 特に顔見知りの古賀・鍬山両先輩などは、すっかり子分が出来た気分でいた。 圭司達も、その期間中に中井先生の怖さも段々分かるようになってきていた。 先生は、5年程前にこの中学に転籍して来たとのことで、それ以前は隣町の大府中学で教鞭を執り、野球部の顧問としては県大会優勝等の好成績を残した、この辺りでは有名な指導者。 ご自身は、愛知学芸大学で野球部に所属し、二塁手として活躍されたとのこと。 大学時代から、教師になって野球部の指導に当たりたいという夢を持っていたようである。 そんな先生だから若い頃は大張り切りで、連日一人で千本以上のノックを打って、いつも手は豆だらけ。それが破れて血まみれになっても意に介せずひたすら打ち続けるという、熱血指導で実績を上げていったのである。 以前を知っている人に言わせれば、最近は丸くなったとのことだが、それでも厳しい指導に変わりはなかった。 ノックバットを握ると、それが如実に表れるのだ。 毎日それが現れるわけではなく、ノック中に気を抜いたプレー、特にもう少しで追い付けそうなのに諦めたような素振りを見せると、表情が一変するのだ。 「ちょっと待て。おみゃあは何で諦める!無理だとでも思ったか、このたわけが‼」 そして言った。「アゲイン‼」 この辺が英語の先生である。『カッコええ!』 再び同じ所へ。取れるまで何度もだ。このノックの上手さも感嘆に値する。 そして何球目かに、選手が必死の形相で打球に飛び込んだ。 僅かにボールに触ったが惜しくも捕球には至らず、選手は大声をあげて悔しがった。 それを見た先生の一言。 「よーし!それだ。ええか、その気持ちを忘れるな。それを毎日やりゃあ絶対うまなるぞ‼」 そんな指導で好選手を沢山育て上げ、有名校へ特待生として何人も行かせている。 その頃既に引退していて、草野球仲間として圭司達と一緒に練習していた、加藤武夫もその一人で、その他にも甲子園球児を大勢輩出しているらしい。 そんな研修の様な野球部見学期間も終えて、いよいよ入学。晴れて鳴海中学野球部員だ。 さて、いよいよ正式に野球部員となるのだが、当然他の近隣小学校からの進級者もいる訳で、この鳴海中学は、鳴海小学校以外からも鳴子小・平子小・鳴海東部小・東が丘小といった、合計5校の卒業生が集結する、生徒総数約3000名のマンモス中学校なのである。 入学式前に、新一学年全十五組の名簿が掲示板に張り出され、圭司は十四組に組分けされた。 団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)の一年下の年代なので、上級生より若干少なめの組数であるが、それでも一組50人超でこの組数、現在では有り得ない人数である。 入学式後、いつもの仲間と一緒に、野球部への入部希望を伝えにグランドに出向いた。 そこには、既に数人の入部希望者たちが緊張の面持ちで立っていた。 東部小出身の深川義之、深川学、大島建夫。鳴海小出身は大島政雄・金岡孝義・桂川真次・山口和夫・阪野栄三・鈴木耕太、それに三角ベース仲間の沢村定吉・荒木忠義・阪野真人・横山修・阪本鋭一・古屋孝之・松山圭司が加わった。 以上16名が、これからの三年間苦楽を共にする同期生である。 二年生はポジション別に(投手)阪野孝(捕手)青山良介(内野手)羽賀秀司・佐藤重行・ 古賀和雄・山下幸雄(外野手)鍬山章・小島直之・奥田晋二・古川進・坂口英二の11名。 三年生は(投手)野々山誠主将兼外野手(捕手)林崎勉(内野手)安達実副主将・湧川寛治・森本守・古屋健一(外野手)吉岡忠雄兼投手・遠山進・鬼頭篤・荒川雄一・鈴村浩の11名。総勢38名での鳴海中学野球部新年度船出である。 練習前に皆を集めて、野々山主将が一言。 「俺が主将の野々山だ。隣が副主将の安達。後は言っても忘れるだろうから、追い追い覚えていくように!今日は練習着も持って来てないと思うから、取り敢えず見学だ。もう少ししたら中井先生がいらっしゃると思うから、その時は全員大きな声で挨拶すること。声の出し方や練習中の注意事項は2年生から聞いて覚えるように。古賀、お前が中心になってしっかり教育しろ。ほかの2年生も協力してちゃんとやれよ。ええな!」 「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」あちこちから一斉に2年生の声。皆、直立不動だ。 生まれて初めて見る、『体育会系〝年功序列〟』の光景であった。 そして練習開始。その日学校は入学式だけなので、練習は〝時間があるパターン〟。 全員揃ってのウォーミングアップの後、打撃練習に入ろうとした頃、いつもの通りセンター後方用務員室の脇から中井先生の登場である。 「ちわーっす!」「ちわーっす!」「ちわーっす!」あちこちから一斉に挨拶の声。 新一年生も上級生を真似て、負けずに「ちわーっす!」。 フリーバッテイングの後、試合形式のシートバッテイングとノックで練習終了。 こうして、記念すべき野球部第一日目は暮れていった。 『明日からやるぞ!』  新入部員全員の、希望に満ちた一日であった。
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