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02
ならば、正直に云おう。私はあの人が、憎いのです。憎くて堪らないのです。私は昔、家柄の関係から軟弱な斎藤家に仕えておりました。あの家の道三はどうしようもなく弱かった。挙句の果てに放蕩息子の義龍に破られる始末だ。憂き目にあった私は次いで朝倉に仕えた。然し、あの連中は小賢しい事ばかりぬかすので私の性分にはあわなかったのです。だから、義昭が現れたのを良い事に、私は朝倉家を去った。義昭は自分を匿って貰える武家を捜しておりましたから、私はよく小耳に挟んでいたあの人を紹介したのです。仲介役とはいえ、私もあの人とは対顔した事は無かったのですが、談判をしている際に、私は何だか胸がどぎまぎとしていました。あのような情動を味わったのは、あの時が初めてでした。捉えようもなく、胸の中で厄介な蛆虫が這いずり回っているかのように胸騒ぎがし、どうにもこうにも心が鎮まりませんのでした。私は生来からの武家育ちですので、些細な事で心を揺れ動かなどあってはならぬと戎されてきています、ですから、私があのような感情、厭、惰性に流されたとども云うべきでありましょうか、という事は本当に稀な事であったのです。いけぬいけぬと自分を幾ら戎しても、腹の蟲は動き続けた。その蟲は特に、あの人の顔を見ると気でも狂ったかのように動くのです。吸い込まれる様に私がその顔を見ておりますと、あの人は首を微かに傾げられました。そしてまた激しく煩く蟲にあちこちを小突かれるのです。私は談判の仲介役というのも忘れて、頭の中があの人の事で埋め尽くされていきました。私は出世の為にと雌鳥のようにピイチクパアチク啼くだけの義昭の面倒を見てやっておりましたが、そんな事は最早何うでもよくなって参ったのです。この人の下に忠義を誓いたい、厭、この人と片時も離れず時を共にしたい。そこまで私の激情は高まっていたのです。先程も申しました通り、私は武家の人間ですから節操のない事はするな、義を貫き老いを迎え、とシビヤに教えられてきましたので、此れまでに一度も雌鳥や雄鶏に詰まらぬ情を抱くなどという下等な真似は断じてなかったのです。然し、此れは人間の本能と云いましょうか、私は瞬時に察知致しました。自分は何時にあらず、此の人に心を奪われていると。そう思うと、あの人の全てが美しく見えて御座ったのです。ええ。そうです。私は愚かしくもあの人に破れかぶれな情を抱いてしまったのであります。私は義昭の事など疾うに忘れて、あなたの下につきたいのだ、と執拗く迫りました。あの人は警守な眼で私を見ておりましたが、私の意固地な態度に負け、あの人は小姓の補佐としてなら、という断書きで私を仲間にお入れ下さいました。幾ら大仰な出では無くとも、私はその辺りの体たらくな軽輩とは違う訳で、小姓の補佐などというのははっきり云って唾罵であります。然し、私はそれでもあの人の傍にいられるのならばと甘んじて受け入れたのです。当の小姓というのは森成利とかいう埴猪口の若造でした。何故にこの様な乳臭児の相手なんぞをしてやらぬといけんのだと少々憤っておりましたが、全てはあの人の為なのだ、と戒めました。加えて、あの人は私にこう仰ったのです。『最初は小姓の世話でも、こいつは骨があると俺が見込めば、どんな職でもくれてやる。だから、滅げずに頑張ってくれ』そう私を励まして下さったのです。その口振りははどこぞやの田舎から出てきたのだと云わせんばかりの口調でありましたが、またそれも良いのです。麗しいのです。あの人の云う通りに、私は此のような汚辱な職でも意気セイセイとやり、這いあがってやろうではないかと心を煮えたぎらせたのでありました。
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