推理にもならない

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小学3年当時の俺の宝物といえば、自転車だった。もちろん兄貴のお下がりではあったのだが、補助輪の取り外しのできるお子様自転車を卒業した自分が誇らしかった。俺に押し出される形で兄貴は中学入学を待たずに新品を買い与えられたが、お気に入りに乗って近所の駄菓子屋まで競争するのが楽しみだった。どんなにハンデをつけてもらっても最後の直前で追い抜かれるのがお決まり。 だけど、この時はちょっと変だった。早々に勝利を決めた兄貴は自転車を駐めて、店の中―ではなく向い側の木に駆け寄った。動物でも捨てられていたら可哀想だな。兄貴が撫でていたのは、黒い服の(おそらく)女の子の背中だった。可愛い犬猫なんてもんじゃなかった。しゃがみ込んでいても女の子とわかったのは、長い髪とフォーマルシューズのリボンのおかげだ。桜が散ったばかりとはいえ、この暑い日に長袖なんてご苦労様だ。 とりあえず、誰? 訊く前に、小銭を握らされた。 「ごめん、今日はお前の分と足してスポーツドリンクにしよう」 「ええっ、今日はくじ引きの約束だったじゃん!」と叫びたい衝動を呑み込んで、頷いた。黒の子の荒い息づかいが、そうさせた。 「ばあちゃんに話せばコップの2つくらい出してくれるさ」というアドバイス通りにお遣いを済ませた。短時間ではあったけど、女の子は落ち着いた様子で兄貴の自転車にまたがっていた。見覚えのない顔だが、自分より高そうな身長が緊張を加速させる。 「何年生?」 「どこから来たの?」 兄貴の質問に対して女の子は 「4年生」 「ミヤギから」 と面倒くさそうにペットボトルから唇を話して答える。 ミヤギって?数週間前に見た地図帳を思い出す。...どこだ? 「随分遠くから来たんだな」 どうして?とは問わなかった。額の汗で前髪が濡れているのがわかったし、手にしたペットボトルもすぐに空になったのか音を立ててラベルをはがしていく。 「飛行機で?」 「まあ」 「長かった?」 「寝てたから、あんまり」 2人だけで続いていく会話より面白くなかったのは、女の子の足下だ。 一歳しか変わらないのに、兄貴の自転車で爪先がついてるなんて!! 「ああ、こいつ?」 初夏の日差しに照らされて黙ったままの少年が気になったのだろう。ぱちりと開いた目に見つめられて萎縮する弟を、からかう兄貴は優しくなんてない。 「たぶん、足のつかない自転車に年の近い女の子がまたがってるのが悔しいんじゃないか?」 「なっ」 図星。二イッと笑みを深くした兄貴のカオが腹立たしくて、紙コップを握る力が強くなる。 よかった、中身が空で。 「あっ、当たり?」 「にっ、兄ちゃんなんか!」 何を言ったんだろう。 母さんのプリンを勝手に食って怒られたクセに?机の引き出しにテストを隠してるクセに? 「はあっ?何でっ、お前それっ、...えっ?」 「はははははっ」 捨て台詞に対してあまりにも慌てふためく兄貴を見て、ずっとつまらなそうにしていた女の子が笑ったのだ。声を上げて。肩を揺らして。勢いよくハンドルにもたれた反動で、空のペットボトルが地面に落ちて転がる。 あまりに突然のことに、俺達2人は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。 その子の靴裏に、1枚だけ泥にまみれた桜の花びらが付いていたのを覚えている。なぜか。
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