一足す一は

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一足す一は

目の前には大自然とまではいかないが、かなりの量の木々が生い茂っていた。葉の間から光線のように刺す日光は、朝七時にも関わらず鋭利で直視できない強さだ。  春休み最後の日、伊達稽人は家から自転車で一時間半漕いだ先にある京都府亀岡市の亀山城跡に来ていた。 亀山城は、織田信長の家臣である明智光秀ゆかりの地である。光秀はここから京に進軍して、老ノ坂を経由して本能寺へ向かったといわれている。天守閣跡、堀、入り組んだ地形。新陳代謝の少ない風景に、彼の胸は高鳴るばかりだ。 「これが石垣か……」ここは稽人が心待ちにしていた戦国大名の聖地である。  三度の飯より歴史を優先する稽人は、中でも室町・戦国時代が好きだった。その動機は、小学校低学年のクリスマスに戦国大名の伝記本を貰ったことだ。彼はそれを読んだ瞬間、背筋に衝撃が走った。頭に電流が溜まった気がした。それから、戦国大名沼にどっぷりと足を踏み入れてしまった。近くの図書館にある戦国関係の本は、中学生に成る前までに読破したのだった。彼の「戦国熱」は常に沸騰していた。 沢山の武将の中でも、苗字繋がりから伊達政宗に特別な感情を抱き、彼の大胆かつ緻密な性格に夢中になった。今でも好きな武将ランキングは堂々の第一位だ。 今年の二月にあった社会科の歴史の授業で、自らの住む町の近くが明智光秀ゆかりの地だと知ると、彼は早速訪れようと試みた。しかしここにたどり着くまでには二つの壁があった。  一つ目は両親や先生などの大人達だ。彼らは既に刺さった釘をより内部へ押し込むように「子供だけで遠くへ行くな。学区内で遊ぶように」といってきた。その原因は、稽人の住む園部町で最近不審者が多発しているからだろうと稽人は思った。黒マスクを付けた不審者は、万引きをしたり登下校中の小中学生に急に話しかけたりと、かなり奇妙な行動をしているという。しかし稽人に恐怖心など無かった。暴行を受けたと発言した被害者はいないし、追いかけられれば自転車で逃げる。インドアの割に二年連続で駅伝の選抜選手に抜擢されている稽人は、足腰だけには自信があった。神様がふざけて全ての能力を足だけに集めたように、ただ持久力があった。他の球技などは一切できないが。これらの理由から「不審者がいたら、その場で何が正しいかをすぐに判断すること」という大人のアドバイスを、意に介したことはなかった。城に忍び込む忍者のようにこっそりと家を出ることで、第一の壁を突破した。  問題はもう一つの、見上げれば首を痛めるような高い壁だった。それは【侵入禁止】という四字だけで抑止力のある文字が書かれた看板が、城跡の入り口にあったことだ。そして近くには、城跡の管理会社が建っていて中に見張りの門番がいた。一か月前に城跡を訪れようとした稽人は、誰でも見学可能と思っていたあまりに、厳しい現実に心の中で腰を抜かしてしまった。 「なんでこの先は、進んだらいけないのですか」  子供っぽい口調で係員に事情を聞くと、「石垣が崩れる可能性があるからだ」といって係のおじさんは面倒くさそうな顔をした。(きっと心で邪魔な餓鬼だと思っているに違いない)  そこで中学三年生間近の少年は考えた。どうすれば見つかることなく城跡へ侵入できるかを。 三月の春休みの間、メモ片手に小さい体をより縮めて、管理会社を監視できる絶好の位置から係員のタイムスケジュールを把握した。それに加えて近隣住民に自由研究と題して聞き込みを行った結果、管理会社で働く人間のルーティンや情報、さらに豆知識の入手に成功した。 ・朝六時半 畑中 城跡近くの巨大な門を開けて中へ進み、管理会社の建物に入る ・朝七時半 畑中 外に立って見張り開始 ・昼一二時 畑中⇄伊豆 係員の交代 ・夕方五時 伊豆 外の見張り終了 建物内に位置を変え見張りは続行 ・夕方六時 伊豆 建物と門を閉めて城跡を離れる 朝のシフト 畑中利夫さん おじいさん 七十手前で老眼鏡を常に首から下げている 現在は走れなさそうな風貌をしているが、昔は高校野球で甲子園ベスト四の実績があるらしい 昼のシフト 伊豆健二さん おじさん 五十代半ば 現在独身 愛想悪い 怖い たらふくお金がありこの仕事は暇つぶし そんな伊豆さんの息子はしっかり者に育っているとか *管理会社の名前は【ホワイト四種管理株式会社】 日本語読みでしろししゅ=城死守という意味を込めて当時の社長が付けた  *テレビや雑誌取材などのメディアや特別な許可を与えられた者にしか、基本応じてくれない  これらのメモから歴史オタクが導き出した一つの案は、午前六時四十分から七時二十分までの間でのみの侵入だった。朝の担当である畑中さんは、この時間に何やら机に向かっていた。恐らく報告書か何かにペンを走らせているのだろう。下を向かないときは、虫の鳴き声か木漏れ日が目に映って、窓の外を眺めるぐらいだった。  そして三月末の午前六時四十分に、満を持して稽人は侵入に成功した。管理事務所の窓口の真下を、どこかの映画で出てきそうなスパイの如く通り抜け、そこから森の自然と同化してしまえば、この勝負は彼のものだった。  動物の生活音を包むように、上空で葉と葉が擦れ合う音がしていた。上を見渡すと、巨木から枝分かれした数々の線が入り組んでいて、全てまとめて右へ、左へ揺れている。今日はひときわ上空の風が強いのだろうか。  大小違うサイズの石をパズルゲームのように巧みに使用して作られた階段は、一段一段高低差がばらばらで上りづらい。階段一つとっても今と昔ではこんな差があるものなのか、と感心しながら稽人は城跡内部へ進んだ。  いくつかの門を通り抜けて『三の丸跡』と案内板に記された場所へやってきた。途中、苔が増殖している傾斜の激しい坂道で挫折しかけたが、本丸跡からの眺めを見たいという思いが上回り、一歩一歩ただ足を前に出してここまで来た。  三の丸跡から進める道は複数存在していた。『お帰りはこちら』という看板が示す舗装された道、森の中へと続く謎の道、『二の丸跡まで八十メートル』と記された道、入り口に大きな門がデンと佇む道。稽人はこの四択で最後を選んだ。理由は簡単だった。門の横に『直接本丸へ行けるルートはこちら』とあったからだ。  腕時計は七時になろうとしていた。本丸跡に行かないまま時間を食っていては、到底七時二十分までには間に合わない。稽人の焦る気持ちは、加速する足だけではなく素早く前後する腕にも顕著に表れていた。冬眠を終えた虫が地面を這う姿など、彼の眼には留まっていなかった。  巨大な門を上を眺めながら通り過ぎた。この高さだと襲撃に備えた鉄砲窓が二階に用意されていたのかなと予想した。木目に沿って彫刻された華奢な竜は、少年の心をいとも簡単につかんだ。 どの時代にも職人技のようなものを持った人間が存在するのだろうか。そんな夢ある想像を膨らませていると、背後からガサツガサツと音がした。瞬時に音のほうを向いた。しかしそこには朝七時の森があるだけで、人影は無かった。ふと神出鬼没の不審者の存在が、稽人の脳裏を過った。  気のせいだと言い聞かせて先を急いだ。しばらく進むと傾斜が急になっていた。時計回りにいくら登ってもぐるぐると道は続くばかりで、身も心も限界に近い。 既にへばっていた体は、風化して錆びた自転車のチェーンのように、ミシミシと音を立てそうだった。腿に力を入れて無心で前進した。石に刻まれた印刻が、稽人の疲労でくたびれた心を一時的に好奇心へと変えてくれた。
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