京菓子

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京菓子

目的地は神崎瑠奈という人物の家だった。彼女は稽人の遠い親戚で、母のおばあさんから派生した俗にいう「いとこ違い」の関係だった。とはいっても彼女の両親である大おじと大伯母の入籍が非常に遅く、高齢出産でもあったので伊達晴美と年齢は十五も離れているため、つい最近三十代に突入したばかりだった。稽人が幼稚園の時に会った際は、二十代半ばで色気のあるお姉さんという印象が強く、それ以降会っていないので今もそのイメージが強く残っている。そんな彼女に会いに行く目的はもちろんアプリ開発のためだった。背景の担当は蘭一が担っていて、その他のクイズのボタンや吹き出しの図形など素人でも時間をかければ誤魔化しが効く部分は稽人と風豪が描いていく予定だ。しかし問題の伊達政宗やその他多数の登場人物のキャラクターデザインは、素人がするわけにもいかなかった。「人気のアプリを作るには、妥協は許されない」蒼蓮はいつもそういっているが、まさに最も重要な部分を稽人や風豪が描くことはできない。そこで稽人は、昔会ったいとこ違いがキャラクターデザイナーだったこと覚えていたので、もしかすると戦力になりうるかもしれないと考えたのだ。  スマートフォンの地図アプリと睨み合って目的地に到着した。そこは一見普通の集合住宅に見えたが、ベンツやBMなどの高級車がちらほら止まっていた。駅から近くの立地であり、コンビニやデパートも目と鼻の先にあるので意外と家賃は高いかもしれない。  待ち受け画面が約束時間の二時になり、インターホンを押した。 「いーよ。好きに入って」  中から女性にしか発せない高い声がしたので、開き戸を手前に引いて中へ入った。室内は石鹸に似たお香の匂いがした。細い廊下を進んで、既に空いている扉の奥へ入ると広い空間が広がっていた。リビングダイニングキッチンと三拍子そろった空間だ。 窓は二つありどちらもロングカーテンが付けられていた。ダイニングテーブルの上にはカーネーションの入った花瓶があり、リビングには大きなカーペットが敷かれている。そのどれもが桃色で、部屋はそれらが醸し出す暖かい雰囲気に包まれていた。 リビングのソファの上には少し髪の毛がぼさぼさになりつつも、七年前の面影を残した神崎瑠奈がいた。彼女の肌は体調不良を窺うレベルの真っ白だ。大きなテレビを前にサッカーのゲームをしていた。テレビの下のラックを見ると、格闘やパズル、戦国や野球関連など様々なジャンルのソフトが豊富に並べてあった。 稽人は口を開けようと前のめりになった。 「ちょっと待って」そういって瑠奈はゲームとの格闘をやめようとしない。  地べたに座ったまま五分くらい経つと、瑠奈はコントローラーをソファに投げ、ゲーム画面から地上波のテレビ番組に変えた。ゲームは逆転負けを喫したようだ。 「お待たせ――久しぶりだね。うわ、大きくなったねぇ、前会った時はあんなにチビだったのに」 「お姉さんは、あんまり変わってないね。ほんとに年をとってるの?」 「口が上手いねえ。あんたはすぐに彼女ができそうだ」茶髪で長い髪の毛を揺らしながら、瑠奈は笑った。  しばらく雑談をしてお互いの緊張感のようなものが途切れた時、稽人は本題へ突入した。アプリ開発関連の説明やイラストレーター不足の話を事細かに説明した。彼女は電子タバコを片手に、終始黙って聞いていた。幼稚園児時代に会った時は紙タバコだったので内臓に気を使い始めたのかなと予想した。  稽人が話し終えた後も瑠奈は黙っていた。  テレビCMの音やカーテンが窓に擦れる音が、稽人にはやけに大きく聞こえた。 ~株式会社チュートリアルは京菓子の提供でお送りしています~  突然、彼女は立ち上がって伸びをした。モデルのような頭身だなと稽人は思った。 「若い頃はそういう仕事をしていた頃もあったけど、もう全盛期の実力は出せないよ。戦国関連は嫌いだし、私だって働きながらだからね……。厳しいかな」そういってどすん、とソファに埋もれた。 「今は何のお仕事をしているの?」 「ただの会社員よ。毎日憂鬱な顔で電車に揺られてる」 「じゃあ、収益が出たら給料を出す。無料のアプリでも広告収入っていうシステムでお金がもらえるんだ。それで……どう?」  彼女は眉を下げて渋い顔をしたので、稽人は瑠奈側に視点を置いて彼女がこの活動に参加することのメリットを脳内に羅列した。だが良い解決法は見つからず、トイレ休憩を挟んでも彼女を説得できるほどの材料がなかったので、思いのままに言葉を発することに決めた。 「頼むよ。僕らに協力してくれ。――お姉さんには何か目指すものはあるかい? もし打ち込めることが何もないのなら、惰性で今の生活を送っているなら、僕たちに賭けて欲しい。ゲームをして煙草を吸う自堕落な休日じゃなくて、お金を稼ぐ仕事とは別のことで目標を掲げて毎日を過ごして欲しい。お姉さんが絵を描いてくれるのなら、きっと大ヒットするアプリにしてみせる。それにもう頼れる人がお姉さんしかいない。お姉さんが力を貸してくれなければ、僕の目標は潰えて、今ここで終わりだ。人の夢が散ったこの場所で、お姉さんは堂々と怠惰な生活を送り続けられるのかい」 「……もういいよ」瑠奈は相好を崩しかけた親戚にストップをかけた。「もういい」そういいながらこめかみの辺りを抑えている。 「ここまで本気だったとは思ってなかった。それに、私が最後の砦だったとも思ってなかった。……やるよ。面白そうだし。久しぶりにペンをとる気になった」  想いが伝わって、稽人の心は震撼した。さっきと同じ沈黙のはずなのに、テレビの音や窓の外の環境音は耳に届かなかった。それから具体的な内容の説明をした。 ぎゃー、おぎゃー。はてなマークが稽人の脳内の全てを支配した。赤ちゃんの泣き声が、ソファの後ろにある扉の奥から聞こえてくることに驚きを隠せなかった。 「とーちゃんちょっと待ってね~」  落ち着いた様子で瑠奈は声のするほうの襖を開けた。その声は一段と鮮明に響いた。真っ先に赤ちゃん用のベッドや、天井から吊るされたモビールが見えた。その部屋もリビングと同じくピンクや桃色で染められていた。  口を半開きにしながら、稽人はベッドの中を覗き込んだ。そこには顔に皺を巡らせながら、ボロボロ涙と泣き声をこぼす赤ちゃんがいた。稽人は目を見開いた。 「ちょっと待って。お姉さん子供いたの? というか、結婚していたんだ? なんで隠してたのさ」あまりの驚きに質問が矢継ぎ早になった。 「ん、ごめんごめん、いってなかったね。そう、私は結婚しています……いろいろあって別居中だけど。更に元気なこの子もいます」彼女は慣れた手つきでおしめを変え、ミルクを与えた。するとさっきまでの張り裂けるような泣き声が嘘だったようにすやすや眠ってしまった。  瑠奈が襖を閉じる寸前、稽人はベッドの横のネームプレートを見つけた。そこには『とうじろう』と書かれていた。最近にしては珍しい名前だな、と稽人は思った。それを伝えると、瑠奈は予測していたような苦い顔をした。 「役所に出したときは納得してたんだけど、後々考えたらちょっと古風過ぎたね。私、戦国とかはあんまり好きじゃないんだけど池田晃一は好きなんだ」  稽人が尊敬してやまないアニメ会社の社長だ。彼の名前が出るだけで稽人は胸が躍った。 「だから神崎晃一、ってのも悪くなかったんだけどなあ……。まあとうじろうが可愛けりゃ、それでいいけどね」  藤次郎をあやした後、二人はしばらくの間ゲームを楽しんだ。稽人は最強と名高いドイツ代表を使ったが、木端微塵にされた。それでも、心の奥は交渉を成立させた喜びと藤次郎の可愛さで埋め尽くされていたので、何とも思わなかった。 外の交通量が増し始め、空が青から黄味がかってきたので稽人は家に帰ることにした。 「じゃあ、マネージャーは風豪純平って人だから。連絡させるようにしとくよ。本部にも遊びに来てね」 「了解。気を付けろよ、少年」 稽人は後ろからかけられた熱の籠った言葉に頬を緩めた。 「そうだ、お姉さん、ペンタブとかある?」 「当たり前だよ。そっち関係の仕事してた、っていっているだろ」 「安心した。じゃあ、これからよろしく」  またね、背中を向けた稽人はゆっくりと玄関の扉を閉めた。振り返って見つけたポストには、「神崎瑠奈、神崎藤次郎」と書かれていた。
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