『千』結成

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『千』結成

「それは無理だ。機械に疎いなんてものじゃない。キーボードに触れたら蕁麻疹がでるくらいだ」 「それは良かった。俺のパソコンには誰にも触れられて欲しくないからな。……一応聞くが、歴史についての知識はあるか? 主に安土桃山から戦国にかけての」 「織田信長くらいしか分からんよ。あとは徳川家康。野球脳だからな。脳までぎっしり筋肉だ」  半田で固定されている回路のジャンパー線を引きちぎりながら、風豪は自嘲気味に笑った。作業机にはLEDやトランジスタが散らばっていて、それらの足の長さは均等では無かった。 「分かった。稽人、こいつの加入は却下だ。これは彼自身のためでもある」 「おい、待てよ。まだ俺という人間のことを全然知らないだろ」 「そうだよ。何か与えてあげられる役目があるかもしれないし、風豪君の活躍が爆発的なヒットに繋がる可能性だってある。詳細くらいは説明してあげようよ」 「頼む。夢中になれることを失って、俺は今何を頑張ればいいのか分からん。教えるだけでいいからよ」  二人の慈悲が入った眼差しに屈し、蒼蓮はスケッチブックを取り出して説明を始めた。  アプリという媒体が今チャンスだということ。稽人と相談して戦国をテーマに体感型シュミレーションゲームを作ろうとしていること。稽人はディレクター、蒼蓮はプログラマーという役割があること。伝説のアプリを作成して、星愛未、池田晃一にそれぞれが会いたいこと。完成予定日は半年後の十月に設定していること。この部屋を開発本部としていること。  簡潔に分かりやすく要点だけまとめた蒼蓮の説明は、稽人でさえ感心してしまった。彼に自分が勝っていることが歴史の知識くらいしかないような気さえした。 「どうだ。自分がここに入れる余地があると思うか?」  蒼蓮は、まるでそれだけで全ての生き物を退け震え上がらせるような眼で風豪を見ていた。稽人はテレビでやっていたジュラシックパークの再放送を思い出していた。 「風豪君、大丈夫かい」 「一つ足りていない部分があると思うぞ」風豪は言下に宣言した。 「何が足りてない」蒼蓮がスケッチブックの二つの丸を見ながら訊いた。 「マネジメントが足りてない」  テレビなどで頻繁に耳にする言葉だったが、現実で面と向かって告げられるのは初めてだったので、稽人は驚いた。 「物事を運営していくにあたって、時間や金や人を最善の手で動かすのは大切だぜ。有名な社長やスポーツの名将なんか、これを当たり前にしている」  二人が言葉を受け止めて頭の中で整理しようとしているのを見計らって、風豪は続ける。 「まだ経営管理する段階ではないけど、それでも必要不可欠な役職だと俺は思う。日程を組んでそれまでに何をするか、何をすべきかの逆算。企画書とかも必要だ。企業と関わることになってから作ったのでは遅い。アプリ会社への申請、イラストレーターを設けるのなら彼らとの連携。収入が入る状況になれば決算。開発途中にかかる食費だって、馬鹿にならない。その辺は俺が全部やる。手料理を振舞うのには自信がある。将来、野球選手か料理人に成りたかったからな」  風豪の喉の凹凸が大きく動いた。「頼む。俺を入れてください」掌を合わせて頭を下げた。 「これでも駄目か? どうしても無理なら諦めるよ」 風豪の懇願の籠った目に、稽人は頷いた。自らの能力と大規模な製作になりつつあるこの計画とを照らし合わせて、自身ができる最善の役割を見出した、と思った。  蒼蓮も不承不承という風に頷いた。 「決まりだね」両手を腰に置いた。 「俺の駒として動いてくれよ」 「逆に俺がお前らを駒として扱ってやるよ」  ニッと笑った二人は拳をコツと音を立ててぶつけた。部屋にまた新たな風が吹き込んだ。 「しかし、逆に尊敬するよ。よくこんな無計画でこんな大掛かりなことをしようと思ったな。プログラマーさんよ」  新メンバーはスケッチブックを蒼蓮の前に掲げ、関心と煽情の籠った言葉を振りかけた。『伝説』という文字が蒼蓮の黒目に映っている。 「何がいいたい」指をぽきぽきと鳴らす蒼蓮は相変わらず好戦的だ。 風豪はボールペンを手に取りスケッチブックに何やら書き始めた。ディレクター、プログラマー、その二つの丸の間の下にもう一つの丸を描いた。その円の上部には“伝説”と書かれた二文字が入っていた。下の円の中央にマネージャーと書いて、高らかとそれを他の二人に見せるように掲げた。 「ディレクター、プログラマー、マネージャー。この三つが重なると、怖いものなんてないだろ」風豪は自信満々だ。 「色の三原色の図みたいだね」 「あれは下の円が二つじゃないと駄目だ」蒼蓮の声は学校で風豪に声をかけられた時よりも温かくなっている。 「この中にどんな色がつくかは俺たち次第だけどな」  風豪は既に二人に溶け込んでいた。 「そろそろ活動を始めるぞ」 「あっ、その前に。チーム名決めない? 僕たちの」 「チーム名?」蒼蓮と風豪の声が重なった。 「僕たち三人の総称さ。名前を決めたほうがチーム―ワークも愛着も沸くだろう」 「いいな、それ」 「ダサいのは辞めてくれよ」  ようやく三人の意見が綺麗に一致した。  稽人たちのチーム、『千』は頭を悩ませていた。チーム名は稽人が考案したもので、戦国の「せん」や三人は「せん」で繋がっているという、二つの意味が籠っていた。 「大まかな日程は大体分かった。これを元にスケジュール組んでくるよ。時間があれば企画書にも手を出す」 A4用紙を揃えながら風豪はいった。キーボードのかたかた音と鉛筆のすらすら音が室内で綺麗に交差している。 「お腹すいたね」机の上の時計を見て、稽人は呟いた。三人は学校から、直接蒼蓮の家まできたので昼飯を食べていなかった。 「ちょうどいいのがあるぜ」そういって、風豪は自らの鞄を漁りはじめた。 「これだ」机に置かれたのは、仕事疲れを癒すビールのつまみのようなものだった。柿の種やイカするめなど何種類かある。 「お前おっさんかよ」下目の蒼蓮は顎があがっている。 「文句があるなら食べるなよ」 「もちろん構わないぜ。俺は元々甘いもの以外、舌が受け付けないんだ」 「へー、俺と真逆だな。俺は甘いものは苦手だ」 生産性のないやり取りに苦笑いしながら、稽人はチーズかまぼこを口にした。 「それで、結局イラストをどうするかまだ決めてないな」話題をアプリに戻したのは蒼蓮だ。 「イラストレーターについて調べたけど、プロに頼むのは僕ら中学生にとっては破格の値段だったよ」稽人は親指と人差し指で丸を作りながらいった。 「マネージャー、なんとかならないのか」  早速、役職で呼ばれたことに喜んだ風豪だが、後の言葉ですぐに冷めたようだった。 「収益もないのに、イラストレーターに頼むのは無理だ。絵が上手い素人を見つけて頼むしかないな」  全員が顎に手を当てるなり、指先でつむじをいじるなりして黙った。車の通行音だけが静かに部屋に残った。  あ、と稽人がいうと他の二人は自然と彼を見た。 「たしか、同い年に漫画家を目指している男の子がいたような」 「うわ、そうだ。なんで思いつかなかったんだ」風豪の顔に盲点という文字が現れた。「山邊蘭一だよ。四組の。五人兄弟の末っ子だ。父の会社の倒産が理由で両親が離婚して、今は母子家庭。毎日絵の勉強を怠らない頑張り屋さんだ」 「その彼なら協力を仰げるのか」蒼蓮の一重の奥が真剣なものになっていた。 「交渉次第ではなんとかなるかもしれない。前の学年の時は、教室に遊びに行くついでではあったけど、頻繁に会話していたからな」  両親が離婚。りこん……。稽人は自分の中で何かが引っ掛かっていた。 「どうした。奥歯にホウレンソウでも詰まったか?」蒼蓮がにやにやしながら訊いた。 「――そうだ。僕の遠い親戚のお姉さんがイラストレーターかなにかを昔やっていた気がする。また連絡とってみるよ」 「OK。じゃあ、音沙汰があったらマネージャーである俺に連絡してくれ。蘭一の件は、あした学校でお願いしてみよう」  稽人が窓に目を向けると、黄昏の空が今日の終わりを示していた。
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