11話 執事と同僚 前編

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11話 執事と同僚 前編

耳目を集める女であった。 それは彼女がスラブ系の特徴が色濃い、こ異国の女であったからだけでない。日本の地方都市、それも繁華街から離れたベッドタウンとはいえアジア系以外の特徴を持った人たちはそれなりの数暮らしているのだ。だから、それだけでここまで注目される存在になりえないだろう。 ではなぜ女がそれほど町の人たちの関心を集めたかといえば、単純に彼女が美しかったからである。ただし並外れて。妖精のような、という表現は陳腐に思えるかもしれないが、彼女の美しさを表すにそれくらいしか適切な言葉がないほどに美しかったのだ。 それだけでない。 彼女は所作も美しかった。手を動かしただけで指先に花でも咲いたのかと錯覚するほどに優美な仕草をするのだ。もし、誰かが「このお方こそさる王室の姫君にあらせられるぞ」と言えば人々は「なるほど」と考えることすらせず納得したであろう。 それほどの美しさと気品を持ち合わせた女がこの町にやってきた、と言う四方山話を翔太は馴染みのコンビニ店の店長、猪熊から聞いていた。 「そんな美人がいるなら会ってみたいものだよな」  ナハハとお気楽に笑いながら猪熊は出来上がったコーヒーを店のコーヒーメーカーから二つ取り出す。そして一つにミルクとガムシロをたっぷり加えるとイートインスペースの席で待つ翔太の元へと歩み寄る。 「サンキュー、翔ちゃん。助かったよ……にしても礼が店のコーヒー一杯で本当にいいのかよ?」  猪熊は何も加えられていないブラックコーヒーを翔太の前に置き、もう一つ甘くカスタマイズされたコーヒーを翔太の対面に置くとその前に自分が腰掛けた。カップを受け取った翔太は軽く頭を下げ謝意を表しながら口を開く。 「はい、これで十分でございますよ」 「マジかぁ。だって、それ一杯100円くらいだろ?時給換算すると……30円くらいになっちゃうんじゃない?いや、流石にそれは悪いって」  猪熊の言葉に翔太は柔らかく微笑む。 「大丈夫ですよ。それに猪熊さんには日頃からお世話になっておりますので、これくらいさせてください」 「翔ちゃんってホントいいやつだな」呆れたような、感心したような様子で猪熊は言う。「だって、恩つったってそれこの前ちょっと駐車場に車停めてときの話だろう?ンなことで律儀に三時間も無給で働くことないって。大体いつもウチに来るリーマン連中なんて無断で1時間以上も駐車場に車停めて携帯弄ってんだぜ?」 「いえ、他の方がどうあれ僕は僕の道理に従いお手伝いさせていただいただけですから、どうぞお気になさらず」 「はぁ、偉いねぇ。ったくウチのバイトに翔ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりてぇぜ」  今年で40を迎える猪熊からすれば二十代前半の翔太も本日無断欠勤した二十歳の学生バイトも同い年に思えるのだろう。しみじみ言ってため息を吐いた。 「それよりそのバイトの方が心配ですね。体調など崩してらっしゃらないとよいのですが」 「あー、ない、ない。雇った俺が言うのもなんだけどいい加減なやつだから。どうせ飲み過ぎて二日酔いになってるか遊びに行ってるだけだろ?」 などと言いながらも猪熊はそんなこともあるかもしれないなと思った。いい加減で調子のいい学生であるが悪いやつではない。男の一人暮らし。体調を崩して部屋で唸っている姿を想像して哀れを感じた。仕方ない、あとで確認の電話をしてみるか。などと考えるあたり猪熊もなかなかにお人好しと言えるだろう。 「左様でございますか」 翔太が言った。察しのいい男であるから猪熊の考えも見抜いたのだろう。頬に優しい微笑が浮かんでいる。 「ま、気にすることでもないさ。それより翔ちゃん、急にバイトが休んだから助けてって電話で頼んだ俺が言うのもなんだけど、迦阿子嬢ちゃんはよかったのかい?本来あんたの仕事はあの子の面倒をみることだろ?」 「ご心配におよびませんよ。本日お嬢様は朝からご友人とお買い物に出かけてらっしゃいますので」 「なら、よかった」ホッとしたような表情を浮かべ猪熊は言った。「まぁ、あの子も女子高生だもんな。そりゃ休みの日にはダチと服やら化粧品やらを買いにいくよな」  などと猪熊は一人納得しているが迦阿子たちの買い物はアニメや漫画のグッズを買うことが目的で彼の思い描くファッション用品ではなかったりする。しかし、そのことを猪熊に伝えても誰も得をしないと思ったのだろう、翔太は特に訂正もせず黙っていた。 「ああ、そうだ。コーヒー飲みなよ、翔ちゃん。冷めちまうぞ?」 「では、いただきます」  そう断ってから翔太はコーヒーを口元へと運ぶ。ただそれだけのことなのに翔太の動きには品があり、男の猪熊が思わず見惚れてしまうほどの華があった。   「……なるほどなぁ」  それを見て猪熊はポツリと呟き、翔太は首を傾げた。 「どうかされたのですか?」 「ん?いや、翔ちゃんに似てるなって思ってさ」 「僕に似ている?どなたがですか?」 「さっき話してた女だよ。その女の噂を聞いたとき誰かに似てるってフッと思ったんだよ。それが最初誰かわかんなかったんだけど、今わかった。翔ちゃんだ。性別が違うからわからなかったけど今確信した」  そう言って猪熊はうん、うんと頷く。 「しかし、その女性と猪熊さんは直接お会いしたことがないんですよね?」 「ああ、だから実際の顔立ちが似てるとかって話じゃなくてイメージの話だな。翔ちゃんもさ、イメージだけ抽出すると顔がめちゃくちゃ整ってて動作が綺麗って感じになるから同じなんだよな、少なくとも俺の中じゃ」 「左様ですか」 「うん。でも、翔ちゃんの動作が綺麗に見えるのって執事としての作法を身につけてるからって前言ってたよな?もしかして、その女……翔ちゃんと同じ執事、いや、メイドだったりして?」  耳目を集める女であった。  透き通るような白い肌に、長い手足。さらに高身長なので非常にバランスの良い姿をしている。彫りの深い整った顔立ちから彼女が異国の人間であることが察せられた。その素晴らしい美女を形容する言葉など思いつかず、彼女を見た人間は妖精のようだというあまりに陳腐な言葉と感嘆の息を漏らすことしかできない。 そんな女がアニメや漫画の専門店、いわゆるオタショップに居た。 「ねぇ!見て、見て、カァちゃん!すっごい綺麗、すっごい綺麗、すっごい綺麗!!」  興奮した様子で背中をバンバン叩いてくる友人の手をやや乱暴に払いのけながら迦阿子は口を開く。 「わかった、わかったっすよ、美鈴。だから背中を叩かないでほしいっす!」 「でも、ほら!あんな美人!!」  なおも興奮冷めやらぬ美鈴は一点をじっと見つめたまま言った。その視線の先を迦阿子が追いかけると一人の女がいた。 76f54c94-64ac-4532-9e10-942effe8e1d6  女を見た瞬間、迦阿子はハッと息を飲む。なるほど、美鈴が興奮する気持ちがよくわかる。そう思うほどに女は美しかった。知らずほぅっと息が漏れた。 「本当、綺麗っすねぇ」 「でしょ?」何故か美鈴は我がことのように誇らしげに言った。「しかし、前世でどんな徳を積んだらあんな美人になれるんだろ?」 「異世界で魔王でも倒したんじゃないっすかね?」 などと適当なことを言ってみると、美鈴はうむむと腕を組み悩んでから言った。 「異世界の魔王かぁ。でも、異世界転生はハードル高いなぁ。ねぇ、第六天魔王じゃダメ?」 「いや、それ謀反だし。つか、裏切りなんてしたら逆に徳を失うんじゃないすっか?」 そもそも美鈴の前世が明智光秀であったという事実が初耳である。おそらく根拠もないだろう。 「なら、来世に期待だな、うん」 「じゃ、今生で徳を積まないとっすね」   「帰りに募金箱へ千円入れたら徳コンプリートできないかな?」 「……美鈴の中で千円の価値高すぎないっすか?」 あるいは徳の価値が低すぎるのかもしれない。いずれにしても神か魔王のどちらかが泣き出しそうなことをのたまう友人に迦阿子は呆れる。 「えー、でも、千円大金じゃん!」  そう言って口を尖らせる友人の来世が畜生でないことを迦阿子は願うばかりである。 「ねぇ、それよりさ。あの人、ちょっと困ってんじゃないっすか?」  美鈴と話しながらも女から視線を逸らさず見つめ続けていた迦阿子は彼女の様子の変化に気がついていた。 「え、ホント?……ああ、たしかにあれは店の配置が分からず目的のグッズを探して右往左往するビギナーの動きだね」  顎に指を当て美鈴は何故か偉そうに言った。 「そうっすね……声、かけてみる?」 「いいんじゃない?」あっさり美鈴は言った。外国人と思しき女に話しかけるとなると言葉の壁で苦労しそうだがそれをわかっているのやら?「助けてあげたら徳も積めそうだし」  そう言う気持ちで施した恩義では徳にならない気もしたが迦阿子は黙っておくことにした。 「んじゃ、あたしが話しかけるけど、英語とかあんまり得意じゃないし、いざと言うときは助けてよね、美鈴!」 「任せて。私のボディーランゲージはワールド級だから、どの国の人にも通じるよ!試したことないけど!」  自信満々に不安なことを言う友人に迦阿子はジトッとした視線を向けるが当の本人は気づいた様子もない。だが、今更引き返せない。諦めて女の元へと歩み寄る。 「は、ハロー?」  ベタベタの日本語英語である。話しかけられた女は不思議そうな顔で迦阿子を見ながら首を傾げる。女の反応に迦阿子は一瞬怖気付きそうになるが、腹を括り言葉を続ける。 「い、イズ ゼアー エニシング あ、アイ キャン ヘルプ ユー ウィズ?」 『お手伝いしましょうか?』という意味合いの英語であるが、この発音で果たして相手に通じたかどうか?ちなみに美鈴は迦阿子の隣で宣言通りボディーランゲージで何かを伝えようとしてくれている。だが、その動きは完全に不審者のソレであり『困ってるなら力になるよ!』という意味だとはワールド級に思えなかったし、なんなら通報してやろうかと迦阿子は思った。   そんな二人を見て女は目を丸くし驚いた様子だったが、しばらくすると意図が理解できたらしい。プッと吹き出し顔を綻ばせた。 「ありがとう、可愛らしい日本のお嬢さん方。実は困っていたから助けてもらえると嬉しいな……ああ、それと私少しだけど日本語もできるから安心して話してもらっていいよ?」  女は流暢な日本語で言った。ど下手くそな英語で話しかけてしまった迦阿子は顔から火が出そうになったが、美鈴は『どや!』と言わんばかりの顔で得意げに仁王立ちしていた。そんな友人の根拠不明な自信を迦阿子は羨ましく思った、見習う気はないが。 「ああ、いや、なんかごめんなさいっす!あたしたちめっちゃ不審者だったっすよね!」 「ううん、そんなことない。話しかけてもらえてすごく嬉しかった。やっぱり来たばかりの国で一人だと色々不安だし、あなたたちみたいな優しい子に出会えてよかったって思ってるよ」  美人で気遣いもできる女の流暢な日本語に流石の迦阿子も『前世でどんな徳を積んで、今生でどんな努力をすればこんな完璧な女の人になれるんっすか?』と思ってしまう。 「いやー、そこまで言ってもられえるとやっぱり嬉しいね、カァちゃん!」 カラカラ 笑いながら言った美鈴の頬が赤い。誤魔化しているようではあるが、美鈴も女の持つ人間力に当てられ興奮しているようだった。 「そ、そうだね。ところでお姉さんは何をお探しだったんっすか?あたしらこの店の常連だから大抵のグッズの場所は知ってるんっすよ」  迦阿子も己の頬が熱くなっていることに気づいていたが、それを悟られぬよう精一杯平静を装い言った。 「うん、それはね……」  迦阿子の問いに女は探しものの説明をはじめる。二人の少女が興奮しきっているのをわかっていないはずがないのだが、気遣いのできる人なのか、あるいは己の容姿に相手が浮かれてしまう状況に慣れているのか迦阿子たちの様子に戸惑う様子も見せない。
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