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12話 執事と同僚 中編
しばし、女の説明を聞いた迦阿子と美鈴は一瞬顔を見合わせるとすぐ女のほうを向き同時に同じ場所を指差した。
「「それならあっちだよ!」」
「本当!」
さすが常連を名乗るだけはある、と言ったところだろう。二人は女の説明を聞くや即答した。女は二人が指差す方に歩いて行き「Прикольно!」と叫んだ。その言葉の意味を迦阿子たちはわからなかったが表情から喜んでいることは理解できた。(後にこれは日本語で表記するならプリコーリナとなり、素晴らしいという意味のロシア語だと教えられた)
ディスプレイされたグッズをいそいそ手に取り嬉しそうにしている女を見て、美人も趣味が同じなら行動も似てくるのだな、と思い迦阿子の中で親近感が湧いた。
「んじゃ、私らは私らの買い物をしよっか?」
「そうっすね」
ここから先は彼女の時間である。あまり話しかけて邪魔するのは野暮と言うものだろう。二人はそっとその場を立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと待って!」女の声が上がり二人は振り向く。「何かお礼をさせてよ」
そう言われてどうしようかと迦阿子は悩む。お礼をされるほどのことでもないと思う反面せっかくの申し出を断るのも悪いという気もする。悩みながら友人の顔を見ると美鈴は少し眉を上げた。そのジェスチャーが意味するのは(受ければいいんじゃない?)であった。それで迦阿子の気持ちは決まった。
「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうっす」
それを聞いた女は辺りがパッと明るくなるような極上の笑みを浮かべる。
「よーし、それじゃこの後カフェでお姉さんが二人に美味しいものご馳走してあげるよ!」
こうして3人はカフェへ行く運びになったわけである。
三人がやってきたのはアニメグッズ販売店から歩いて15分ほどの場所にあるカフェであった。
「この店なかなかの穴場でパフェが特に美味しいんだよ」
とは店を紹介してくれた美鈴の言葉である。
なるほど、たしかに穴場と言うだけあって落ち着いた雰囲気でゆっくりドリンクやデザートを楽しめそうである。しばしメニューと睨めっこした三人は店員にそれぞれの注文をした。それでようやく話をする余裕が生まれたのだった。
「そういえば自己紹介まだだったね。私はアナスタシア・ティモシエンコ。親しい人たちからは『アーシャ』って呼ばれってるの。だから、あなたたちもそう呼んでくれると嬉しいな」
「よろしくね、アーシャ!私は美鈴。で、こっちの子が迦阿子だよ」
「よ、よろしくっす」
「美鈴に迦阿子、ね。うん、覚えた。じゃ、改めてよろしくね」
などと挨拶を済ませたところで注文していたデザートたちが運ばれる。透明なグラスに注がれた炭酸水はまるで宝石のようなとりどりの色を煌めかせ、クリームとアイスでデコレーションされたパフェは遊園地のメリーゴーランドのように楽しげでテーブルの上はさながら楽園のようである。
「ふわぁぁあっ!」
並べられた絢爛なデザートを眺め迦阿子は感嘆の声をあげる。その横では彼女の友人、美鈴も同じような表情を浮かべ目を輝かせていた。アーシャはそんな二人を優しい目で見つめる。
「さぁ、召し上がれ」
「「いただきます!」」
その言葉を合図に楽園が蹂躙される。猛烈な、と言っていい勢いで娘たちはハグハグとスイーツを貪る。華奢な体をしていてもさすがは食べ盛りである。どこに入っていくのかと不思議に思える勢いでテーブルの上のデザートが消えていった。
呆気に取られたように見ていたアーシャであったが、すぐに微笑を浮かべるとこれでは足りないと判断したのだろう。そっと店員に追加オーダーを出してくれた。その気遣いに迦阿子は気が付いたが、美鈴はデザートに夢中になっていてまったく気づかなかった。
『あっざす、アーシャ』
迦阿子はアーシャにそっと小声で言った。
『気にしなくていいよ。だってこれはあなたたちへのお礼なんだもん。ゲストを満足させるのはホストの務めでしょ?』
同じく小声で答えたアーシャに(これができる大人か)と思い舌を巻いた迦阿子の脳裏にフッと翔太の顔がよぎった。彼女の振る舞いや考え方は翔太によく似ていると思った。
「ねぇ、ねぇ、そう言えばアーシャって日本にどれくらいいるの?数日?それとも一週間くらい?できればアーシャが帰る前にまた一緒に遊びたいからさ」
テーブルの上の料理をあらかた片付けられたところで美鈴が言った。
「あたしも!アーシャとまた遊びたいっす!!案内したいところもいっぱいあるし」
アーシャの顔が嬉しそうにパッと輝く。
「ありがとう。私も二人とまた遊びたいと思っていたからそう言ってもらえると嬉しいわ!でもね、心配はしなくていいよ。だって、私この国にあと一年はいるつもりだから一緒に遊ぶ機会なら沢山あるよ」
「「一年!」」
二人の娘は素っ頓狂な声を同時にあげた。アーシャは楽しげにその様子を見ながら口を開く。
「うん、実は私働き始めてからずっとまとまった休みとってなかったんだよね。そうしたら主人様から『一年休みなさい』って言ってもらえたの。だから、思い切って日本へ来てみたんだ」
「へー、すごい!一年……いいなぁ!」
羨ましそうに美鈴が言った。美鈴は気にしていないようだが『主人様』という言い方に迦阿子は違和感を覚えた。しかし、それは日本語に不慣れなアーシャが言い間違えたのかと思いあえて口にしなかった。
疑問が少しずつ降り積もる。
「じゃ、アーシャってこの辺に家とか持ってるんっすか?それとも1年間ホテル暮らしとか?」
「ううん、賃貸暮らしだよ」
続いてアーシャは今自分が住んでいる町の名前を口にした。それを聞いた二人は再び驚く。二人が住んでいるのと同じ町であったからだ。迦阿子はその旨をアーシャに伝える。するとアーシャは何かを考え込むように俯く。しかし、悩んでいても仕方ないと思ったのだろう意を決したように顔を上げると口を開く。
「ねぇ、二人は『烏丸』って人のこと知らないかなぁ?私たちが住む町に昔から居る名家の人らしいんだけど?」
「えっ」と二人は声を上げる。
「何か知ってるの?お願いその人のことを教えて。どんな小さなことでもいいから!私、その人の元へ行かなくちゃならないの」
迦阿子と美鈴は顔を見合わせる。迦阿子はアーシャに少し怖いものを感じた。だ が結局彼女の熱意に絆される形で答えることにした。
「あの……あたしがその『烏丸』っす。町で他に烏丸って苗字の人はいないから多分アーシャが探してるのはあたしだと思うっす」
迦阿子が言うとアーシャは天を仰ぎ「неужели(ニウジェーリ まさかの意)」と呟いた。
「もしかして祖母に会いに来たんっすか?だけど、おばあちゃんはもう……」
迦阿子の亡き祖母は地元の名士でありまた、ある企業の会長でもあった。もっとも、だからといって世界に名を知られるほどの有名人ではないが。だが、祖母は企業の元代表らしく交友関係が広くただの高校生にすぎない自分を訪ねてくるよりは可能性があるだろうと迦阿子は祖母のことを口にしたのだ。
「いえ、違う、違うの迦阿子」
アーシャは目眩を抑えるように頭へ手を当て言った。彼女もまたこの偶然に混乱し平静を失っている様子であった。
「私は烏丸の家の人のことは何も知らない。ただ、その人の下で働いている男に会いにきただけだから」
「男?」
「うん、知っているでしょう?赤井翔太。私は彼に会いに日本まで来たの」
携帯電話に迦阿子からのコールが入ったのは、翔太がコンビニ店長猪熊から二杯目のコーヒーを受け取ったときであった。電話に気づいた翔太は猪熊に断りを入れてから席を立つと店の外へ出て行った。
ほどなくして戻ってきた翔太に猪熊は「迦阿子嬢ちゃんはなんだって?」と尋ねた。コーヒーからはまだ湯気が立っていた。
「僕の知り合いと街で偶然会ったのでその人と一緒にこちらへ参られる、とのことです」
「翔ちゃんの知り合い?なに、なに、女かい?」
ニタリと笑ってそう言った猪熊の顔は中年男、というより異性に目覚めたばかりの中学生のように見えた。
「いえ、どなたがいらっしゃるのか尋ねても答えてくださらなかったのでどのような方かは分かりかねます」
「ふーん」まじめ腐った翔太の答えに毒気を抜かれたのか猪熊は気のない返事を返す。「でも、誰が来るか教えてくれないのってなんか変だよな?」
「何かお嬢様には意図がお有りのようなのですが、僕にはとんと検討がつきません」
そう言って首を傾げる翔太に猪熊はナハハと気楽に笑ってみせる。
「ま、いいじゃねぇか。会ってみりゃわかることだしさ」
「左様ですね」猪熊に釣られたのか翔太も口元に小さな笑みを浮かべながら答えた。「それで猪熊さん。申し訳ないのですが、一時間ほどお嬢様たちがお越しになるまでここで待たせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぜ。一時間でも二時間でも嬢ちゃんが来るまでここで待ってな……ただし!」
「ただし?」
察しのいい翔太にしては珍しく猪熊の意図が理解できなかったのか目をパチクリさせおうむ返しする。
「これで俺に恩ができたなんて思わなくていいからな。今日はこっちのほうがずっと翔ちゃんに助けてもらったんだからさ」
「……ありがとうございます」
「おう!ま、気にすんなって。ところで、嬢ちゃんたちは繁華街のほうにいるんだろう?なら、こっちに戻るまで2時間近くかかるんじゃないか?」
「電車で帰宅されたらそうなりますが、僕の知り合いとおっしゃる方が車でこちらまで送ってくださるそうです」
「なるほど、なら1時間か」
果たして言葉通り、一時間ほどのちに店の扉が開き三人の女が入ってきた。迦阿子と美鈴そして。
「アーシャ!」
最後に入ってきた女の名を翔太は嬉しそうに呼んだ。しかし、アーシャは「久しぶり」とぶっきらぼうに答えただけであった。
「僕の知り合いと言うから誰かと思えばあなたでしたか!」
感情の起伏が少ない翔太には珍しく興奮した様子である。そんな彼を見た迦阿子の顔にスッと暗い影が落ちるのを美鈴は気づいた。だが、ジッと翔太とアーシャを見つめる迦阿子の瞳に揺らいだ感情の色が嫉妬であったのか、それとも寂寥であったのか美鈴には見抜けなかった。友達に何か言おうと口を開きかけた美鈴を制するように迦阿子が言う。
「ね、翔太もアーシャもお互い久しぶりに会ったんだから話したいこといっぱいあるんじゃないっすか? 」その口調は明るく普段通りの彼女に見えた。だから、美鈴は先ほど感じた違和感は気のせいだったのだと思うことにして口を閉じる。「あたしたちがお菓子やジュース買ってくるから二人は先にイートインスペースでおしゃべりしててよ」
「いえ、お嬢様にそのようなことをしていただくわけにはまいりません。買い物なら僕に任せてお嬢様はおくつろぎください」
と翔太が言えばアーシャもそれに頷き。
「そうよ、迦阿子。あなたはゆっくりしてればいいんだから……まったく翔太、あんた主人にこんな気を遣わせるなんて普段どんな仕事してるの?日本に帰って、少し気が抜けてるんじゃないの?」
と、翔太を冷たい目で睨みつける始末だ。
(み、美鈴、アーシャってこんなキャラだったけ?)
(し、知らないよ。ってかなんでこんなに当たりが強いわけ?アーシャって赤井さんのこと好きじゃなかったの!?)
小声で聞いてきた迦阿子に同じく美鈴は小声で答える。アーシャは翔太に好意を持っているものと、二人は認識していたのだが勘違いであったのだろうかと首を傾げる。
「面目次第もございません。これよりはお嬢様からの信頼をいただけるよう粉骨砕身いたします。そういうわけですのでお嬢様、どうぞ僕にお任せください」
などと翔太は恐縮するしアーシャは「当然よ。さぁ、早く行きなさい」と煽る始末なので、間に挟まれた迦阿子と美鈴はオロオロするより他はない。
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