13話 執事と同僚 後編

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13話 執事と同僚 後編

「さぁ、迦阿子、美鈴。二人はこっちにいらっしゃい。後のことは翔太がなんとかするからあなたたちはここで座っておしゃべりしていていいのよ?」 優しい笑みを浮かべアーシャがフードコートへ手招きする。翔太に対する態度とこちらに対する態度のあまりの温度差に少女二人は風邪でもひきそうになる。しかし、これを固辞をしたりしようものなら話がさらにややこしくなるのは火を見るよりも明らかである。二人は黙ってアーシャの言葉に従う。 それで『7やれやれこれでひと心地つける』と少女たちが息をついた時だ。 「翔ちゃ〜ん!!」 それまで黙って成り行きを見守っていたややこしい男が口を開く。 猪熊である。 「お前こんな美人と知り合いだったのかよ!ズルいぞ、卑怯だぞ、羨ましいぞ!」 などとウザ絡みしながら背の高い翔太の首を掴もうと手を伸ばすが届かず肩のあたりに抱きついた。 「何をなさるのですか、猪熊さん!?危のうございます」 慌てたように翔太は言うが体幹がよほどしっかりしているのだろう。猪熊に抱きつかれてもビクともしない。その姿を見て迦阿子は申し訳ないが木に掴まるチンパンジーを連想した。翔太は猪熊を引きずったまま 店内に向かうと商品を物色し始める。体幹だけでなくそれ以外の筋力もなかなかのものである。 「なに、なに、何なの!?一体いつどこであんな美人と知り合ったんだよ!」 「あ、アーシャは僕がイギリスにいた頃の同僚ですよ」 「同僚?じゃ、あの姉ちゃんも執事だってのかよ?いや、いや、いや、女なら執事じゃなくてメイドじゃないのか?」 「簡単に申し上げますと執事とは使用人を管理する者を指す言葉で、メイドはその下で働く女性使用人のことをさします。たしかに執事が男性職であった時代もあったそうですが、近年においては女性の執事も珍しくはないのですよ」 「あー、そうなんだ。勉強になるぅ…じゃ、なくて!お前みたいなイケメンの隣に美女がいるとか嫌味すぎるだろう?この野郎!」 言葉と同時に猪熊はピョンピョン飛び跳ね翔太に体当たりする。翔太は猪熊に「おやめください」と抗議しながらも平然と店内で買い物を続ける。 「……アレはアレでいいコンビって言うんっすかね?」 フードコートから大人気ない中年に絡まれる執事の姿を見て呆れたように迦阿子が呟く。 「いやー、コンビって言うか木の上ではしゃぐチンパンジーって感じ?」 美鈴がなかなか酷いことを口にする。しかし、迦阿子も似たような感想を抱いていたので何とも言えず否定とも肯定とも取れない微妙な沈黙が2人の間に棚引いた。それと反比例するように店内からは騒がしい声が響き渡り迦阿子と美鈴は互いに顔を見合わせため息を吐く。自分たちの他に客がいなくて本当に良かった、そう思い迦阿子はまたため息を吐いたのだった。 「ズルいぞ、翔太!なんでお前だけ美女と話できるんだよぉおお!」  という叫びを残し猪熊はバイトに引きずられていった。店に客が入り始め忙しくなったからだ。それで店に静寂が訪れた。 「これで落ち着いて話ができるね」  そう言ったのは今のメンツの中では落ち着きがない側に分類される美鈴であったので猪熊は一度猛省した方が良いかもしれない。 「さて、改めまして久しぶりですね、アーシャ。ところで日本へは何しにいらっしゃったのです?」 翔太の問いにアーシャはフンっとつまらなさそうに鼻を鳴らすと答える。 「休暇。ずっとまとまった休みを頂いてなかったのでトーマス侯爵から一年ほど休むようお気遣い頂いたんだ」 トーマスと言うのは翔太が以前仕えていたイギリス人貴族の名であることを迦阿子は聞いていたので、隣でキョトンとしている美鈴にそっと耳打ちして教える。 「なるほど、さすがトーマス侯爵であらせられるますね。しかし、休暇で日本を訪れるならそう連絡してくれれば良いものを」 「別に……アナタにいちいち報告する義務があるとは私には思えないのだけど?」 「それはそうなのですが、事前にアーシャが来ることを知っていれば空港までお迎えに上がるくらいのことはさせていただきましたよ」 「いい。折角の休暇くらい一人でゆっくり過ごしたいから」 「左様でございますか」  それだけ言葉を交わすと二人は沈黙し互いの前に置いてあったコーヒーを啜る。 (ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、カァちゃん?やっぱりこの二人なんかめっちゃ仲悪そうじゃない?何これ?今すぐにでも殴り合いに発展しそうなんですけどぉ?)  美鈴が震えながら小声で言った。迦阿子も全くの同感である。 (そ、そうっすね。でも車内で翔太のことを喋ってたアーシャってもっとキラキラしてたような?) ここに着くまでの道中、イギリスでの翔太との思い出を語るアーシャの輝くような瞳は恋愛に疎い二人からも恋をする女性のそれに見えたのだが…… 『『オトナってよくわからない』』 二人の娘はそう思い息を吐いた。 「さぁ、どうぞ遠慮しないで召し上がってください」 すっかり静かになった二人をどう思ったのか翔太が言った。テーブルの上には彼が購入した和菓子が並んでいる。おそらく海外からやってきた客人に気を使ったのだろう。 手持ち無沙汰になった2人は手に取りモサモサ食べたがアーシャは手をつけず。まだ半分以上残っているの席を立ちあがると「帰る」と短く言った。 「え、アーシャ?」 驚いて美鈴がアーシャを見上げる。 「ごめんね、美鈴。まだ日本に来て間もないから疲れが残っていたみたい。少し体調が優れないので先にお(いとま)させてもらうわ」 そう言ったアーシャの顔は少し赤いように迦阿子には見えた。熱でもあるのかもしれない、と思い慌てて言う。 「だ、大丈夫っすか、アーシャ?具合が悪いのなら翔太に送ってもらってもいいんっすよ?」 迦阿子の申し出にアーシャは柔らかく微笑み答える。 「ありがとう、迦阿子。でも、大丈夫。一人で帰れるわ」 「だ、だったら私も一緒に帰るよ。心配だもん」 と美鈴が名乗りを上げた。 「そう、ね。ありがとう、美鈴。じゃ、お願いしちゃおうかな?」 「うん!」  美鈴を連れ外へ行こうとするアーシャの背中に翔太が声をかける。 「アーシャ!あなたにまた会えて僕は嬉しかったです。それではお大事に」 「うん、またね、翔太」 翔太とアーシャの視線が絡み合う。しかしそれは刹那のことですぐに二人は目を逸らすとアーシャは今度こそ美鈴を伴い店から出ていった。アーシャたちを見送ると翔太はテーブルの上の食品を片付けを始める。迦阿子はしばらく二人が出ていった扉を眺めてから翔太の手伝いを始めた。 帰りの車内を沈黙が支配した。どちらかと言えばおしゃべりな方の迦阿子にしては珍しいことであった。 主人が黙っているので翔太も口を開かない。無言が続いた。 そうして二人は静かに帰宅をした。車を降り、翔太の自室を兼用するガレージを出て屋敷の庭へと入る。 見慣れた庭であるのに翔太と並び歩くと迦阿子の胸に言い知れない感情が芽生えてくる。鼓動が速くなる。鳩尾のあたりに何かを流し込まれたかのような感覚がした。 脳裏に画像の粗い動画のような古い記憶が瞬いた。感情が荒波となって迦阿子を襲う。 足が止まる。 すぐに主人の異変に気づいた翔太も足を止める。 「大丈夫でございますか、お嬢様?」 心配そうな執事の問いかけに応えようと口を開くがカラカラに乾いた口内に舌が張り付きうまく声を出せず迦阿子は何度も唾を飲み込みようやく言葉を振り絞る。 「だ、大丈夫っすよ!ちょっとあたしも疲れてたみたいっす」 そう言って迦阿子は笑ってみせた。だが、それは嘘だ。彼女の心の中には叫び出したくなるような感情の嵐が吹き荒れていた。 それは嫉妬。少なくとも迦阿子は自分の気持ちがそうであると結論づけていた。 アーシャに翔太を盗られる。 翔太が自分の元をさってしまう。また一人ぼっちになってしまう。そう思ったのだ。だが、もしそうなったとしてもそれは仕方のないことだと迦阿子は思う。アーシャは素敵な女性であるし、そんな女性を翔太が選んだとしてもなんの不思議もない。 むしろそれは喜ばしいことであると迦阿子は思い込もうとした。祝福すべきことなのだと。どうせ、祖母を喪った時から一人になるのは覚悟をしていたことだ。もし、今一人になったとしてもそれは元に戻ったということでしかない。ならば、少しの間でも自分に家族というものをも与えてくれた翔太に感謝こそすれ恨むことなどできるはずがない。 だから笑った。 翔太に心配をかけないように。心を押し殺して。精一杯笑った。 「お嬢様」 「うん?」 「僕はお嬢様が大変好ましい心根をお持ちの方だと思います。人に心配をかけないよう、自分が相手の負担にならないよう、お心を隠してしまわれるのはお嬢様がお優しい方だからということを僕はわかっていますよ」 「翔太?」 「ですが、せめて僕の前でだけは無理をなさらないでください」 翔太の手が迦阿子の頬に触れる。気付かぬうちに迦阿子は涙を流していたのだ。翔太はそれをそっと拭い去った。 「なぜなら僕はこうして貴女の涙を拭い、貴女に幸せを届けるためにここに居るのですから」 そう言って微笑んだ翔太に迦阿子はギュッと抱きついた。 「ねぇ、翔太はどこにも行かないよね?あたしを置いてどこかへ行ったりしないよね!?……嫌なの、もう一人は。おばあちゃんもお父さんもお母さんも、誰もいないここにまた一人ぼっちなんてあたし嫌だよ……寂しいよ」 主人の心を聞いた翔太はその背に手を回し幼児をあやすように優しく叩いた。 「ご安心ください、お嬢様。僕はちゃんとここに居ますよ。どこにも行きません。貴女が僕を必要とする限り絶対にどこへも行ったりなどしません」 翔太の腕の中で迦阿子はグズグズと鼻を鳴らした。それが泣きじゃくる彼女にできる精一杯の肯定の意であった。 「お嬢様、約束です。僕が貴女を守ります、この世のあらゆるものから必ず」 遠い昔、誰かに同じことを言われたような気がした。しかし、それが誰であるか思い出せず迦阿子はひたすらに泣き続けた。しかし、今彼女が流す涙は温かく、不安など彼方へと吹き飛んで行ってしまったかのようだった。
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