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14話 番外編 美鈴とアーシャ
帰りの車内を奇声がこだました。
「んんん〜っっ!!」
声の主は美貌の女、アナスタシア・ティモシエンコことアーシャである。
「ちょっ!アーシャ、前、前、前を見て!!」
その隣で悲鳴をあげたのは小動物のように小柄な少女、綾瀬美鈴。
現在二人は車で帰宅の徒についているところなのだが、コンビニを出て数分ほどが経った頃アーシャが壊れた。
奇声を発し、顔を赤くさせたり青くさせたりしながらクネクネと体をくゆらせ悶絶をし始めたのだ。なぜこうなったのかは分からないが、危険極まりない状態であることは間違いない。
むしろそれは間違いであって欲しかったが残念ながら悲しいくらい現実で、泣きたくなるほど危機的な状況であった。美鈴が涙目になりながら悲鳴をあげるのも宜なるかな、と言ったところである。しかし、意外にも車は片側一車線の道を外れることなくきちんと走行していた。
だが、それで安心できるかと言えば無論そんなわけはない。怖いものは怖いし、危ないものは危ない、のである。
「あ、アーシャ車を止めてぇぇえええ」
「んんん〜っっっ!!!」
夕暮れの町に二人の娘の絶叫が響き渡った。
幸い、と言うべきか迷うところであるが程なくして出発したところとは別のコンビニを発見し美鈴は慌ててアーシャに店の駐車場へ入るよう指示する。危なげなく車は駐車スペースへと滑り込む。危ないのは運転しているドライバーだけである。
「ど、どうしたのアーシャ!?」
「ねぇ、美鈴、どうしよう。私、翔太に嫌われちゃったかな!?」
美鈴の問いにアーシャは涙声で問い返してきた。まるで会話になっていないが美鈴は迷わず答える。
「うん、嫌われたと思う。だってアーシャ、赤井さんに言いたい放題だったもん!アレは流石に嫌われる、少なくとも私なら絶縁ものだね!」
正論である。しかし、正論が人を救うとは限らない。
「ふんぬ〜!!」
美鈴の答えを聞いたアーシャはガンガンと頭を車のハンドルに打ち付ける。その度車体がグラグラと揺れた。
「ちょ、ちょっ!だからアーシャどうしたの!?って言うかハンドルに頭打つけるのやめて!めっちゃ車が揺れるんですけど!?酔いそうなんですけど!?」
随分と三半規管が弱い発言をする美鈴だが、彼女の言うことも理解できなくない。それほどまでに車は揺れていたのだ。そろそろこの異様な事態に気づいたものが警察あるいは病院へ一報いれそうな勢いである。
「うぁああああっっっっ!!!」
結局。アナスタシア・ティモシエンコが落ち着きを取り戻すのにそれから数分ほどの時間を要した。ちなみに通報の類はされなかったが、車の周りには人がそれなりの数集まっており美鈴はその人たちに頭を下げる羽目になったりした。
「……ごめんね、美鈴。ちょっと取り乱してたみたい」
「ううん、いいよ。平気、平気」
ちょっとどころの騒ぎでなかったが、美鈴は気にした風もなく答えた。そんな気のいい娘にアーシャはなおさら申し訳なさを感じてしまう。
「はぁ、ダメだなぁ、私」
ため息と共にアーシャは言葉を吐く。エメラルドを思わせる緑の瞳が物憂げに窓の外へと向けられる。
「ねぇ、アーシャって赤井さんのこと……」
「好きよ、大好き」
美鈴の言葉にアーシャはあっさり答えた。美鈴は内心で(やっぱり)と思った。
「だったら、どうして?」
「どうして、か。そう思うよね。別に、さ。私もこれが初めての恋ってわけじゃないんだよ?これまで何度か男の人と付き合ったこともある。でもね……翔太は何か違うんだ。他の人と全然違う。前に付き合っていた人たちとは本気じゃなかったわけじゃないよ?でもね、それでも、翔太は違うんだ。絶対に失いたくない、離れたくない、そう思っちゃう」
「……」
「そう思うとダメね。全然意気地がなくなっちゃう。怖くて、好きなのに触れられなくて。それで、憎まれ口を叩いちゃう」自嘲気味にアーシャは笑う。「近づかなければ、あいつにとって口煩い同僚のままでいられたら、関係が変わらなければ。ずっと、一緒にいられるのかな。そんなふうに考えて一歩が踏み出せないんだ」
そんな関係が果たして幸せであるのかと言われれば、そうではないと美鈴は思う。思うが、それでもアーシャを臆病者と笑うこともできなかった。そこまで誰かを本気で好きになったことなど美鈴にはなかったからだ。だから、アーシャを羨ましいと思い、可愛いと思い、応援したいと思うのだ。
友人として。
「私、アーシャを応援するよ」
「え!?」
「だってアーシャには幸せになって欲しいもん。そのためには……きっと今のままじゃダメだよ!怖くても勇気出さなきゃ。だから、私はアーシャを応援する。アーシャの恋が実ように」
「Огромное спасибо(本当にありがとう!)」
そう言ってアーシャは美鈴をギュッと抱きしめた。美鈴はアーシャの腕の中でくすぐったそうに笑いながら言った。
「一緒に頑張ろう、アーシャ」
「ありがとう、美鈴。そう言ってくれたのはあなたで……14人目よ!」
「いや、結構多いな!どう言うこと?」
驚きでガバッとアーシャから身を離した美鈴は目を白黒させそう言った。問われたアーシャは指折り数え始める。
「えっと、まず同じ屋敷で働いていたメイドの友達が6人に、それから同僚の執事が2人、あとは出入りの庭師の人が2人にそれから料理長にトーマス卿と奥様からも!」
「主人夫婦までもか!」
職場総出で応援されていた。
「ああ、特にトーマス様からは『アーシャ、人はパンのみにて生くるにあらず、恋に生きるのです』と一年の休暇をいただき、感謝してもしきれない恩義を賜ったの」
「それで一年の休暇ね。つか、トーマス卿思考が乙女過ぎない?」
「いや、トーマス卿は50代の紳士だよ?」
などと言われても美鈴は反応に困る。心根は立派な紳士かもしれないが考え方は女子高生のそれに近い気がして仕方ない。もちろんそれが悪いわけではないが、胸のうちにモヤモヤしたものが湧いてくる自分は性格が悪いのだろうかと美鈴は思ってしまう。
「と、ともかく頑張ろう、アーシャ!」
色々と誤魔化すように美鈴が言えば「うん!」とアーシャは頷く。こうして日露共同戦線が出来上がったわけであるのだが彼女たちの活躍はまた別の話となる。
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