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15話 執事と一緒
『ただ、一さいは過ぎて行きます』
太宰治の代表作『人間失格』の一節である。言葉通り、まさしく時は人の思いなど一顧だにしないで過ぎ去って行く。そして今日も天には朝日が登り新たな1日が始まるのである。
「おうふ」
窓から差し込む爽やかな朝日を浴びながら部屋の主である娘、烏丸迦阿子は呻き声をあげベッドの上でゴロゴロと悶絶した。
『お嬢様、約束です。僕が貴女を守ります、この世のあらゆるものから必ず』
昨日男に言われた言葉が頭の中で反芻される。すると「でゅふぅ……」と言う麗しい少女の口から発せられたことを考慮してもなかなかに気持ちの悪い呻きがもれた。背中に男の腕の感触や温もりが生々しく思い出され迦阿子は再び悶絶する。
「いや、昨日はテンション上がってたから平気だったけど、平気だったけれどもっ!」
が、時が経ち一晩ぐっすり眠って落ち着いてみれば、これはなかなかに小っ恥ずかしい。迦阿子の耳は紅生姜みたいに真っ赤になっていた。
「えっ、え〜!?どんな顔して会えばいいんっすか?ねぇ、どんな顔すればいいんっすか!?教えてよ、おばあちゃ〜ん!」
大好きだった亡き祖母に呼びかける。どうも気恥ずかしさが限界を超え、若干幼児退行を起こしているようだ。
そうして延々ベッドの上でモソモソ、ゴロゴロ。枕に頭などをガンガンぶつけて懊悩していると部屋に控えめなノックの音が響いた。迦阿子はカバっとベッドから身を起こす。
「おはようございます、お嬢様。お食事の支度が整いました」
続いて聞こえてきたのは例の男。執事の赤井翔太の声であった。
「さ、左様でごじゃりましゅか!?」
もはや何と言ってもいいかわからない、無茶苦茶な言葉で迦阿子は返事をする。動揺しすぎである。
「はい。今朝はよい干物が手に入りましたので楽しみになさってくださいませ」
そう言うと翔太が扉の前から去っていく気配がした。ほっと息を吐く。
が。
「え、なに?つか、あいつめっちゃ普段通りじゃなかったっすか?」
確かに翔太の声はいたって平静でまるで昨夜のことなどなかったかのように冷静だったように迦阿子には思えた。すると今朝から延々ジタジタ悩んでいたのは自分だけということになる。
「なーんか、それは腹が立つっすねぇ」
思いっきり八つ当たりである。
「くそぉ、これじゃあたしだけ悩んで馬鹿みたいじゃないっすか!?」
そうぷりぷり怒ると迦阿子は着替えてドスドス階段を降りて行った。
居間に入ると旅館の朝食を思わせる、豪華で美味そうな、しかしかなりのボリュームを誇る和定食がテーブルの上に用意されていた。
「うわー、美味しそう」
先程までの怒りを一瞬忘れ迦阿子は思わずそう感嘆の声をあげる。すると翔太は柔らかな笑みを浮かべ口を開く。
「どうぞお召し上がりください」
「いただきまーす!」
元気にそう言うと迦阿子はご機嫌な様子でむしゃむしゃ食事を始める。非常にチョロい、と言わざる得ないだろう。
程なくして、テーブルの上にはすっかり空になった皿が並んでいた。成人男性でも完食するには気合いを必要としそうな量であったが思春期の娘の前ではどれほどのこともなかったようである。ちなみに一緒に食事をしていた翔太の皿には迦阿子より少ない量の食事が盛り付けられていた。
「ごちそうさまでした」
と合掌したところで迦阿子はハタと我にかえる。
(あれ?そういえばあたし怒ってたんじゃなかったっすか?)と。
気付くのが遅いと言うべきか、食い意地が張っていると言うべきか。おそらくその両方であろう。
そんな主人の気持ちを知って知らずか。執事はテキパキとした様子でテーブル上の空いた皿を片付けると食事後のデザートととしてイチゴを運んできた。
「徳島県産のイチゴでございます。知り合いの青果市場の方から譲っていただいたものですからお口に合うかと存じます」
(そういえば)
と迦阿子は思い出す。徳島は高級イチゴの生産地として有名で食べられる宝石などととも称されているとネットの記事に書いてあった。
フォークで一粒さして口に運ぶ。ジュワッと口に中に果汁が広がり、優しい甘さが味蕾を包み込む。
「ん、んん〜」
頬に手を当て幸せな感嘆を漏らす。もう限界いっぱいでこれ以上入らないと思っていた胃袋にイチゴがあっという間に収まって行く。
「ねぇ、翔太」
イチゴを食べ終えた迦阿子がフイと口を開いた。
「何でございましょう?」
「あー、なんつーか……これからもよろしくっす」
それが迦阿子の出した答えだった。昨夜のことがあっても二人の関係は変わらない。
いや、そもそも。
最初からだったのだ、と迦阿子は気がついた。最初から、出会った瞬間から翔太は迦阿子のことを想い、守り続けてきた。口に出す前からずっと行動でそれを示していてくれた。
そのことに気づけば、何も照れることも意識することもなかったのだ。
だから、今まで通りでいようと思った。
(あー、でも、これじゃ言葉足らずっすかね?)
そんな不安が少女の胸に浮かんだ。
しかし。
「はい、これからもよろしくお願いします、お嬢様」
言って柔らかく微笑む翔太の顔に迦阿子は安堵する。想いは伝わり、そして新しい、いつもの日常が二人の元に訪れた。
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