2話 執事と雨降り

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2話 執事と雨降り

曇天模様(どんてんもよう)の空は夕方になると(こら)えきれず、大粒の雨をアスファルトに落とし始めた。 「うわぁ、マジっすか!?」 校舎の玄関で立ち尽くし迦阿子は呆然と呟いた。見上げた空には黒々とした雲が広がっておりしばらく雨が止む気配はない。 『お嬢様、本日は雨が降ります。どうか合羽(かっぱ)のご準備お忘れなきよう』 空を眺めるうち出掛けに執事がそんなことを言っていたのを思い出した。 もちろん合羽の準備などしていない。面倒であったし朝食に舌鼓(したつづみ)を打っているうちにすっかり忘れてしまっていたからだ。 「うおぉ、マジっすかぁ?」 大切なことなので二回言ってみた。状況は全く変わらないが。 嘆息。 ボヤいていても仕方ない。さて、どうしたものかと迦阿子は考える。 思いついた方法は二つ。 一つ。友人たちから傘を借りる。 もっとも傘を二本以上持って学校へきている子がいるかまず怪しいし、迦阿子はいないと予想している。 二つ。(いさぎよ)く濡れて帰る。 ただし、学校から自宅まで自転車で三十分以上かかる。その間濡れ続けるというのはやはり気乗りがしない。だが、現実的にはこちらだろう。 怪しい天気の日、忠告を受けたにもかかわらず合羽(かっぱ)を持たず登校した自分が悪いのだ。ここは諦めるより仕方ない。大体、今朝観ていた天気予報でも…… 「ん、アレ?ちょっと待てよ?」 呟き記憶を探る。たしか予報で今日はゼロではないけど、雨が降る確率はかなり低いと言っていた。だから、その時執事に聞いたのだ「天気予報の降水確率から見て今日は雨降らないんじゃないんっすか?」と。 『いえ、この空気の湿り具合は間違いなく雨が降ります。そうですね……おそらくお嬢様が学校からご帰宅される夕方頃までには降り出すと僕は予想します』 迦阿子の問いかけに対する執事の返答がこれである。 「……なーんで気象予報士より正確な予報ができるんっすかね、あいつは?怖っ!」 降り続ける雨を見ながら迦阿子は呆れたように呟く。すると、迦阿子へ抗議するかのように携帯が鳴った。携帯をカバンから取り出し画面を確認すると『赤井翔太』と表示されていた。まさにその執事から電話がかかってきたのだ。あまりのタイミングの良さに若干気味の悪さを感じながら通話ボタンを押す。 「お疲れ様です、お嬢様」 「ああ、どうも。で、なんの用っすか?」 「よろしければ車でお迎えにあがろうかと思いまして。いかが致しましょう?」 なるほど、と迦阿子は思った。第三の選択肢である。執事に迎えにきてもらう。それもありといえばありである。 「うーん」 だが、迦阿子は考え込む。なぜなら迎えにきてもらうとなれば当然翔太が学校へ来ることになるからだ。 それはよろしくない。 スーツ姿の年上男が学校へ車で迎えにくる。それだけで刺激に飢えた学生たちを騒がせるに十分であろうが加えて翔太は美形ときている。それもテレビでだってなかなか見ないほどの美形だ。そんな男が来たら学校中の噂になるは想像に(かた)くない。 どんな形であれ注目されることに喜びを感じるタイプのものはいる。しかし、迦阿子はそうではない。むしろ静かに日々を過ごしたいと願うタイプなのだ。なのに妙な噂を立てられ周囲が騒がしくなるなど、考えただけでウンザリする。 結論、大却下(だいきゃっか)。 「いや、いいっす。自力で帰るよ」 そう答えるとしばし沈黙が流れた。翔太は何かを考えている様子である。 「僕がお迎えにあがることであらぬ噂が立つことをご心配されているのですか?でしたら、学校近くのコンビニまでお越しください。あそこなら学校に近すぎるので先生方に見つかるのを恐れた生徒さんたちはほとんど立ち寄らない、と親しくさせていただいてるコンビニの店長さんがおっしゃっていました。それに駐車場も広うございますから隅の方でご乗車いただければ人目につくこともほぼないかと存じます」   「……なんでコンビニの店長とお前が仲良いんっすか?」 「執事の仕事とはお仕えする主人に満足していただくことです。そのためには僕一人の力だけで足りず、他の方達のお力が必要になってくることもあります。ですから、様々な人脈を作り、必要な時に必要な方のお力をお借りできるようするのです。コンビニの店長さんと懇意にさせていただいてるのもそういう理由からなのですよ」 「ふーん」 まぁ、筋は通っている。納得できたかと言われると微妙なところであるが。とはいえ一応は説明に満足したので再び迦阿子は翔太に迎えに来てもらうか否かを考える。そこで問題は三つになる。 一つは学校の人間に騒がれる可能性だ。しかし、これは先程翔太から提案された方法で解決したと考える。 となれば残る問題は二つ。行きに乗ってきた自転車をどうどうするかということと、学校からコンビニまでは近いと言っても歩けば10分ほどかかり、それだけあれば翔太の元に着く頃には立派な濡れ(ねずみ)が誕生するだろうということだ。 その旨を翔太に告げる。 「自転車は今夜のうちに僕が引き取りに行かせていただきますので、お嬢様はご心配なさらずとも結構です。学校の用務員さんとは顔見知りですから事情を話せば学校に入れていただけると存じます」 迦阿子は翔太の人脈の広さに感心半分呆れ半分になる。 「それとコンビニまでご足労願(そくろうねが)うまでの問題ですが、こちらも大丈夫でございます。お嬢様の鞄に折り畳み傘と合羽(かっぱ)を入れさせていただきましたので」 「は?いつの間に??」 「今朝お嬢様がお出かけになる直前です」 さらりと翔太は言った。ちなみに迦阿子は言われるまで気がつかなかった。 携帯片手にカバンの中を探ってみると、翔太の言う通り折り畳みの傘と小さく畳まれた雨合羽(あまがっぱ)が内ポケットから姿を現した。 おそらく迦阿子が合羽を忘れることも、さらに入れておいた雨具に気づかぬことも見越してこの電話をかけてきたのだろう。まさに完璧なサービス、と言えなくもないが迦阿子はもう少し早く連絡して欲しかったと思う。 「雨具はございましたか。では、改めてどういたしましょう?合羽がありますので自転車でお帰りいただいてもよろしいのですが、僕といたしましては路面が濡れている状況でのご帰宅は危のうございますから、やはりご遠慮いただきたく存じます」 今日は親しい友人たちはみな部活やら委員会活動やらで忙しく一緒に帰る相手はいない。正直、断る理由もない。あえて言うなら、他の生徒たちが徒歩や自転車で苦労して帰る中自分だけ車に乗って楽をすることに後ろめたさを感じるくらいだ。 しばし考えるも、気持ちはすでに決まっていた。迦阿子はため息を吐くと「んじゃ、お願いするっす」と答えたのだった。 赤井翔太の愛車ジムニーはミディアムグレーであまり目立つ色ではないが、迦阿子は駐車場に停まる車をすぐに見つけることができた。あらかじめ停めてある場所を聞いていたからだ。車は店の裏手に停めてあり、なるほどこれなら建物の影になっているので表通りから発見されにくいだろうと思った。 それにしても車の到着が早すぎる。おそらく執事は電話をかけてきたのだろう。迦阿子の性格を考え文句を言いながらもここへ必ず来ると考えてもいたのかもしれない。なんとなく翔太の手の上で転がされいるような気になって迦阿子は溜息を吐いた。 迦阿子が車に近づくと傘を持った翔太が車から降りてきた。そして彼女が搭乗する際雨に濡れぬよう傘をさし鞄を預かってくれた。人に見られていないとはいえ気恥ずかしさを感じる。だが、それを言ったところで翔太は「これが仕事ですから」とやめないことは経験上知っているので迦阿子は黙って車に乗り込み「さんきゅっす」と代わりに礼だけ述べた。迦阿子が乗り込んだにを見届けてから翔太は車の後ろに周り、リアゲートを開き鞄を後部座席に積み込むと運転席へ戻ってきた。 それにしてもこのまま駐車場だけ使わせてもらうのは、いくらこの店のオーナーと翔太が知り合いでもよいものであろうか、何か買った方が、と迦阿子が思っていると翔太が口を開く。 「申し訳ありません、お嬢様。こちらで待たせていただいている間に幾つか個人的な品を購入させていただきました」言われて迦阿子が車の後部座席に視線をやると品物が詰められたエコバックが置いてあるのを確認できた。「無論買い物を済ませた後は速やかに店を去るのがマナーと存じますが、今回はオーナー様のご好意に甘えさせていただき、しばしの間駐車場をお借りさせていただいた次第にございます」 時折、この男は人の心を読む妖怪サトリなのではないかと迦阿子は思う。無論そんなはずはないが、もし『実は僕、(あやかし)の類のものなのです』と言われたら納得しかないなと迦阿子は息を吐いた。 「わかったっす、んじゃ車出してもらえる?」 「はい」 ゆっくりとジムニーが動き出す。 暖かな車内の空気にホッとした迦阿子がなんとなしに視線を転ずると、助手席側のドリンクホルダーにカップが入れられているのが目に入ってきた。 「ココアです。春とはいえ今日は冷えますからね、どうぞお召し上がりください」 そう言われて迦阿子は素直にカップを手に取り口をつける。甘みが味蕾に優しく広がり一日の疲れを解きほぐしてくれたような気がした。まさに至れり尽くせり。良い気分で窓の外を見る。 雨降りのアンニュイな町とそれを彩るカラフルな傘の群れ。車体を叩くリズミカルな雨粒のメロディが不思議と耳に心地いい。少し背の高いジムニーから見下ろす景色は見慣れた町をまるで初めて訪れた町のような新鮮さに塗り替えてくれた。 「〜♪」 思わず鼻歌が漏れる。そんないい気持ちの中、迦阿子は口を開く。 「ねぇ、翔太。このまま真っ直ぐ帰らずに少しまわり道をしてよ。あたし今すごく気分がいいんだ。だから、もう少しだけこのままで!せめてココアを飲み終わるまでドライブしていたいっす」 「かしこまりました」 いつもは右に曲がる交差点を翔太の操るジムニーは左へと曲がった。新たな景色が迦阿子の眼前に広がる。 雨に濡れた町が街灯に照らされキラキラと宝石のように輝いていた。 「うわぁ......」 感嘆の声が迦阿子の口から漏れる。 何気ない一日だったのに思いがけず忘れられぬ日となった。こんなことがあるから毎日って面白い!と迦阿子は思うのだった。
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