3話 執事とファミレス

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3話 執事とファミレス

烏丸(からすま)と言うのが迦阿子の苗字である。室町時代から続く一族で、迦阿子たちが住む町、逢沢市(あいざわし)の成り立ちにも関係している由緒正しい家系である。 それだけでない。 烏丸家はこの地方では有力な企業の創業一家としても知られていた。もっとも迦阿子はその本流とは異なる分家の娘であるから、華やかな一族史とは裏腹に比較的質素な生活を送っているが。それでも高校生の娘が屋敷を所有し、執事まで雇っているのだから一般の人々とは(かく)した生活と言えるだろう。 このように烏丸の姓を持ち生まれたことによる恩恵(おんけい)は多い。しかし名家ゆえにしがらみもまた多いのだ。例えば町で行われる行事。祭神めいたその行事への参加は烏丸の家に生まれたものが果たさねばならない責任というべきものである。ましてや、迦阿子は今この町に住むただ一人の烏丸性の人間なのである。学業を理由にしても欠席などまかり通るはずがない、彼女が烏丸を名乗る限り。 そのようなわけで本日迦阿子は平日にも関わらず行事に出席していた。普段は気楽な体育会系敬語で話す彼女であるが、お堅い老人たち(古狸)に囲まれてはそうもいかない。幼い頃に祖母から仕込まれた『正しい言葉遣い』で話すことを強いられ、なかなかにストレスを貯める羽目になっていた。それでも、時間は過ぎていくものだ。永遠にも思えた行事も終わりを迎え迦阿子は最後の気力と忍耐力を振り絞り参列していた老人達に『正しい言葉遣い』で別れの挨拶を告げる。 それでようやく解放された。 「お疲れ様です、お嬢様」 「ありがとう、翔太」 建物の出入り口まで迎えに来た執事に迦阿子は労いの言葉をかける。そして口を真っ直ぐ結び、悠然(ゆうぜん)と歩き建物を後にした彼女からは如何(いか)にも名家の令嬢らしい気品が漂っていた……のだが、やはり人間無理は長続きしないものである。 駐車場に停めてあった翔太の車に乗り込んだ瞬間、迦阿子は溶けた。無論、本当に体が溶解(ようかい)したわけではないがシートに座るやグデっとなった姿はそう表現する他ない。 「あー、疲れた。あー、疲れた、あーーー、疲れたぁ!!もう、ちゃっちゃと車出して欲しいっす」 ヒラヒラ手を振り出発を促す迦阿子に先ほどまで居た令嬢の面影は微塵(みじん)もない。 「かしこまりました」 そんな主人の姿と正反対に執事である翔太は体の芯に鉄の棒でも刺さっているのではないかと疑いたくなるほどしっかり背筋を伸ばし言った。 「ねぇ、翔太。あたしお腹すいったっす。ファミレスでお腹いっぱい食べたいよぉ」 口を尖らせ言った迦阿子はいつもよりさらに幼く見えた。半日無理をした反動で少し幼児退行しているのかもしれない。 「承知しました。10分ほどでここから一番近いレストランに到着いたします。それまでご辛抱ください」 町の地図が完璧に頭の中へ記憶されているのだろう、翔太はカーナビに視線を落とすことなく答えた。 「うっす。さー、何食べよう?ちゃんとお昼は出してもらったけど猫かぶってると満足に食べられないんっすよね。全然喉通らないんだもん」 自分で猫被りを告白するのもいかがなものかと思えるが、翔太は苦笑いを漏らしただけで特に説教じみたことを口にすることはなかった。内心はどうあれきちんと役割を全うした主人を(ねぎら)う気持ちがあったのだろう。 「それは(つろ)うございましたね」 そう言って翔太はハンドルを切った。車のエンジン音が車内に心地よく響く。空は青く晴れていた。 翔太が車を停めたのは手頃な価格が売りのファミリータイプのレストランであった。平日の昼食時を大分過ぎているからだろう。店内の席はまばらに埋まっているだけだった。二人が店に入るとすぐ店員がやってきて好きな席へ座るよう案内した。 店内には平日昼間の微妙な時間を持て余す客たちの気怠げな空気でチープな退廃(たいはい)さが充満していた。奥にある席へと向かう。席へ腰を下ろしラミネート加工されたメニューを迦阿子が手に取ってみると少し湿っていた。迦阿子はメニューと睨めっこをし大いに迷ってからブザーで店員を呼び注文する。 注文を終えると迦阿子は胸に溜まった鬱屈(うっくつ)を吐き出すようにため息をついた。それから対面に座る翔太へ視線を移す。すると、いつの間に持ってきていたのか彼の前にはコーヒーカップが置かれていた。迦阿子はそれを不満そうに眺め口を開く。 「ねぇ、そう言えば翔太はドリンクバーしか頼まなかったけどよかったの?」 「はい。お待ちしている間に昼食を摂らせていただきましたので」 「何食べたんっすか?」 翔太の答えは存外平凡(ぞんがいへいぼん)でコンビニエンスストアで購入した食品の名前をいくつかあげただけであった。 「へー、翔太でもコンビニ飯なんて食べるんっすね」 「それは食べますよ。コンビニは便利ですし、美味しいですからね」 「えー、でも翔太ってあたしのとこに来る前まではイギリスの貴族に仕えてたんっすよね?だから、なんていうかこう……もっとエレガントなものを食べるのかなって」 「たしかに以前お仕えさせていただい主人(あるじ)は貴族階級の方であられせられましたが、僕はあくまで執事ですからね。あまり豪華な食事を摂ることはなかったのですよ」 「そんなものなんっすか?てっきり主人(しゅじん)と一緒にいいもの食べてるのかと思っていたっす」 「主人(あるじ)と共に食事を()る執事は少ないと思いますよ?少なくとも僕がイギリスでお世話になっていたお屋敷で執事が主人と食事を共にすることはありませんでした」 「……なんだか味気ない話っすねぇ」 迦阿子の感想に翔太は苦笑いをする。 「僕たちの仕事は主人(あるじ)のお世話をさせていただくことですからね。そのためにはやはり食事をご一緒してしまうと色々不都合が生じるのです」 「だったらさ!」そう言って迦阿子はガタンと立ち上がるとテーブルに手をつき前屈みになる。「あたしといる時は翔太も一緒にご飯食べようよ」 迦阿子の提案に翔太は驚いたような表情を浮かべる。 「いえ、ですが、それではお嬢様のお世話が……」 「いいんっすよ。翔太の準備は完璧だから食事中に頼むことなんてほとんどないから平気っす!それに……嫌なの、一人はもう」 ポツリ迦阿子は不貞腐(ふてくさ)れたように言った。その寂しげな主人(あるじ)の顔を見て翔太はハッと息を飲む。 彼女の抱える孤独に思い至ったのだろう。 烏丸迦阿子には家族がいない。幼い頃に事故で両親を、そして育ての親であった祖母を先ごろ病で、それぞれ亡くしている。迦阿子はまだ16歳。子供ではないが、大人とも言えない年齢。なのにすっかり家族を失っているのだ。その悲しみは察するに余りある。 だからだろう。彼女は翔太に『家族』を求めてしまう。だが、執事は所詮(しょせん)雇われの身。契約が終われば容易く切れてしまう、そんな(もろ)い関係なのだ。その執事が主人(あるじ)の家族を気取るなど優しさではない、ただの自己満足のお(ため)ごかしだ。いや、いっそ残酷と言っていい行為である。 食事を共にすることくらいは構わない。少数だがそうしている執事もいる。しかし、そうするのなら執事はあくまで執事、他人であると一線を引くべきだ。何があっても最後まで主人に仕える覚悟がないのなら。いつかまた離れてしまうのなら。 そのことは赤井翔太もよく理解している。理解をしているが……それに従う気など毛頭なかった。なぜなら、彼が迦阿子の元を離れるなどことだからである。 『迦阿子のこと……頼んだよ、翔太』 あの日の声がまざまざと頭の中で甦る。交わした約束は彼の胸に深く刻まれていた。覚悟などとうの昔に決まっていた。 「承知しておりますよ、奥様」 翔太は小さく呟く。しかし、その呟きは迦阿子の耳に届かなかった。だから彼女は執事が黙して黙ったままだと思い不安そうに見つめ言った。 「ダメっすか?」 主人の問いに翔太は微笑みを浮かべ答える。 「いえ、大変光栄なお申し出です。これからは僕もお嬢様とお食事をご一緒させていただきますよ」 「本当に!」 迦阿子の顔がパッと輝く。それを翔太は眩しそうに見つめる。 「はい」返事をしてから翔太は立てかけてあったメニューを手に取る。「それでは早速」 呼び出しブザーを押して軽食を注文する。迦阿子はニヘラと笑い嬉しそうに言う。 「ひっひっ、あたしと一緒に食べれば、きっといつもよりずっとご飯が美味しくなると思うっすよ。だって、こんな美少女を前にしてるんだもんね!」 「左様でございますね」 真顔でそう答えた翔太に迦阿子は顔をしかめる。 「って、ツッコミなしっすか!?いやー、それは勘弁して欲しいっすよ!これじゃ、あたしがめちゃくちゃ痛いヤツみたいじゃないっすか?」 顔に両手を当て頬を赤らめた迦阿子に『いえ、僕は本当にお嬢様をお美しいと思っていますよ』と答えようか翔太は一瞬迷ったが、恥ずかしがり屋の主人が余計に照れてしまうだろうと思いやめておくことにした。その代わりに軽く笑い「食事、楽しみですね」と返すに留めると迦阿子は歯にかみながらも笑みを返してくれたのだった。
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